川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

タイ・チェンマイのランタン祭り

11月12日(日) 

10月31日から11月6日までタイに旅行したのですが、4日頃から風邪気味になり、帰国後完全に拗らせてしまって、3日間ダウン。10日、11日と2日間は何とか博物館で久しぶりにガイドを努めはしたのですが、今日もまだ完治せず、と言った具合です。
咳が出て、鼻はグズグズ、声はガラガラ。
その声は、初め浪曲師の広沢虎三(誰も知らんわな)だったのが、今は笑福亭鶴瓶位には回復してますが(どんだけの違いやねん)
前回のブログに書きました通り、10月25日にお寺で厄払いをして貰ったにも関わらず、まだ厄が落ち切っていないのか、或いは本当ならもっと酷くなる所が3日ダウンで済んだのか、真偽の程は定かではありませんが、まあ、何せシンドイです。
前にはしょっちゅう風邪を引いていたのに、最近は殆ど引いて無かったので、厄払いが却って災厄を引き寄せたとか・・・・ああ、仏様、ゴメンナサイ。こんな罰当たりな奴はホットケなんて言わないで下さい。ガハハ

さて、今回のブログは、そのタイ旅行について書こうと思います。


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今年の5月頃、シェムリアップに住む在住日本人仲間の氏本さんから、11月にタイのチェンマイで行われるランタン祭りを見に行こうと誘われ、来年の「アキラ氏日本平和学習講演会」が終わるまでは、他の事にエネルギーを注ぎたくない私としては、余り乗り気では無く、ランタン祭り自体に興味も関心も無かったので、最初は誘いを断っていました。
しかし、余りに熱心に誘う為、イヤイヤながらも氏本さんの顔を立てて行く事にしたのですが、これが行ってビックリ見てビックリで、今は本当に行って良かったと思っています。
と言いますのは、そのランタン祭りの、夜の闇を彩る幻想的な光の祭典にすっかり魅了されてしまったからです。
ロウソク(本当はロウソクではありませんが)の炎で照らされた数千個の灯籠が一斉に夜空に舞い上がり、風に流されてゆっくり遠ざかって行く光景は、まるで星々がシンフォニーを奏でているかの様です(ちょっとカッコ付け過ぎました)
まあ、何れにしても、生きている間にいいものを見せて貰いました。
一人でだったら、まず行く事は無かったでしょうから。

ランタン祭りと言うのは、コムローイ祭りとかイーペン祭りとか言うそうで、タイのチェンマイで毎年11月の満月の夜に開催される仏教のお祭りで、ブッダへの感謝の意味を込めて皆で一斉にランタン(コムローイ、灯籠)を打ち上げる行事との事です。
今はチェンマイの中心部から10キロ位の地にあるメージョー大学でコムローイを一斉に打ち上げる有料(100ドル位)のイベントが人気だそうですが、我々はそれには参加せず、1個150円から300円位のコムローイを5個買って、ターペー門近くのピン川に掛かった橋の上で午後7時きっかりに油紙に火を点けました。
一応開催時間は7時から1時となっていましたので、我々真面目な日本人は(ああ、氏本さんの奥さんと子供達はカンボジア人でした)、6時から橋の上に待機し、7時になるまで辛抱強く待ったのですが、周りの外国人たちはもう6時を過ぎた頃からあちらで1つ、こちらで1つと言う具合にフライングで上げてはいましたが。
この上げる作業が結構難しく、火を点けてコムローイの中の空気を十分暖めてからでないと、また風の流れも読まないと上手く上がらず、すぐに落下して燃えてしまいます。
あちこちで失敗もあり、他の人の失敗を見ては「このヘタクソ」と笑っていましたが、我々も5個の内2個失敗してしまいました。
まあ、紙が破れていた事が大きな失敗の要因ではあるのですが、このヘタクソ。
でもまあそういう失敗はあっても、夜空を焦がす光の祭典とも言うべきこの「ランタン祭り」は、一見するに十分値する感動的なショータイムでした。

この「ランタン祭り」見学が、今回の旅行のメインではあったのですが、その他にも今まで知らなかったタイの魅力に様々触れる旅となりました。
10月31日の朝、「ビレ・ボンタムバス」でシェムリアップを出発し、国境の街ポイペトへ。
同行者は氏本さんの家族4人(夫婦と9歳、4歳の男の子2人)と氏本さんの大阪の幼馴染である川口さん兄弟、そして私の7人。
私はタイに行くのはこれが2度目。1度目は2014年2月に日本に帰国する前にタイ・バンコクに立ち寄り2泊しましたが、その時も陸路でした。
このポイペトで出国手続きをし、それから歩いてタイ・アランヤプラテートの入国管理局に行き、入管手続きをしたのですが、ここで一大騒動が勃発・・・・。
でも、その事を書くと関係各位に迷惑を及ぼしますし、書く許可も得ていませんので、もし許可が出れば次回のブログにでも書きますので、余り期待せずに待っていて下さい。
さて、タイに入国した我々は、そこから車をチャーターしてタイ・バンコクのドンムアン国際空港へ。
そして夜の7時45分発のLCC航空「NOK AIR」に搭乗しチェンマイへ。
そのチェンマイに4泊し、「ランタン祭り」の他に古都であるチェンマイの街をそぞろ歩いたり、数多くのお寺や王様の別荘、庭園などを散策しました。
チェンマイでは、在住者であり、こちらも氏本さんの大阪の幼馴染で川口さん弟の同級生である山口千明さんに無料でガイドを引き受けて貰い、大助かりでした。
チェンマイ4泊の後はチャーターした車でチェンライに移動し、ここで2泊しました。
千明さんも一緒です。
チェンライでは、お寺巡りの他に首長(くびなが)族であるカレン族の観光村を訪ねたり、お茶畑やゴールデントライアングル(タイ、ラオス、ミャンマーがメコン川で接する地帯)を訪問したりと充実した時間を過ごしました。
勿論、夜飲み歩いたり、有名なタイ式マッサージを何度も受けた事は申すまでもありません。
チェンライ2泊の後、11月6日の朝、チェンライ空港からまた「NOK AIR」でドンムアン空港に飛び、そこから車を乗り継いでシェムリアップに帰り着いたのが夕方7時でした。

誰かが言っていましたが、トラベルとはトラブルと同義語だと言う事で、この1週間の間様々なアクシデントにも見舞われました。
同行者が、空港で他人の荷物と取り違えて、12時間余り気が休まら無かったとか、同じく空港で大事な思い出のナイフを没収されたりとか。(私も前に、カッターナイフやハサミを空港で没収された事がありますが。)
風邪を引いてしまった事もトラブルの一つでしょう。
何せ、タイでもチェンマイやチェンライは相当北部に位置し、カンボジアよりも大分寒かった為、殆ど全員が風邪を引いてしまいました。
あと、最後のカンボジア入国時にも、川口さん兄弟がビザを取る必要が有った為多少のトラブルはありましたが、それでも全体的には全て想定内のトラブルだったと思います。
怪我をしたとか、大金を盗まれたとか、時間に遅れて予定した事が出来なかったとか、そんな事は一つも無かったので良しと致しましょう。

面白いと言うか、行ってみて初めて知った事も幾つかありました。
兎に角タイは道が綺麗。
バンコクは大都会ですから、当然道も広く綺麗でしたが、チェンマイやチェンライの小都市でも、道はカンボジアに比べると遥かに綺麗でした。
それから、意外と物価が安い。衣料品や食料品など品数が多く、カンボジアよりも安い物が多くありました。
カンボジアから商売人が、交通費を払ってでもタイに買出しに来る理由が分かりました。
それから、大変面白いと言うか、ある意味怖い事が一つ。
朝の8時と夕方6時に国歌が流れて、国民は動きをストップしなければなりません。
歩いている人も、何か作業をしている人も、その場で暫く動きを止めるのです。
私が子供の時に見たテレビドラマ「時間よ、止まれ」の世界です。
国家、並びに国歌に敬意を表すという意味なのでしょう。
それから、これは面白くは無くて、むしろ腹が立ったし、この点はカンボジアの方が勝っていると思った事ですが、それは、タイのホテルには歯ブラシセット、フェイスタオルが置いて無いと言う事です。
カンボジアでは、どんなに安いホテルでも歯磨きセットやフェイスタオルは置いていますが、千明さんによると、タイでは大抵の所に置いて無いとの事。
実際我々が泊まった2つのホテルとも、バスタオルが1枚置いてあるだけで、歯磨きセット、フェイスタオルは有りませんでした。まあ、小さい石鹸とかシャンプー位は置いてありましたが。
この点は、カンボジアが勝っていると思った次第です。

まあ、そんなこんなで楽しい一週間を過ごしたのですが、帰って来てからは風邪でシンドイし、仕事も一杯溜まっていて、何かと気の滅入る今日この頃です。
憂さ晴らしに、パアッと飲みに行こうっと。デヘッ



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タイ・アランヤプラテートへの入国

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チェンライ空港からバンコク・ドンムアン空港へ  LCC NOCAIRチェックイン窓口

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チェンマイ美人とのツーショット

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カレン族(首なが族)の女性

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お茶畑で記念撮影



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  1. 2017/11/12(日) 19:55:23|
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遂に行った厄払い

10月29日(日) 

皆さん、遂に行きました念願の厄払い。



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今年と言うか、もう去年から災厄続きの私、川広。
ご案内の通り、もう、バイク事故だけで去年から今年に掛けて3、4回。
未発表でしたが、実は9月9日にもバスに轢き殺されそうになりました。
信号待ちで止まっているバスの前を横切ろうとして、私も止まってバスの脇の通行が途切れるのを待っていると、バスが突然私に気が付かずに発進して、あれよあれよと言う間にまんまと私とバイクはバスの餌食に。
幸い、私の身はかろうじて逃げる事が出来て事無きを得ましたが、可愛そうに私の愛車「ブラックパンサー」は、バスのタイヤの下敷きに。

交通事故だけで無く、これまで色々な災難に見舞われて来ました。
腎臓の病気になったり、大事な「アキラ地雷博物館・日本人応援団」
(http://akira-landminefree.org)のホームページが一時期閲覧不能になったり、等々。
足の骨折は、もう直ぐ半年になりますが、まだ腫れたり引いたりの繰り返しで未だに完治していません。
テツ&トモでは無いですが、本当に「何でだろう?何でだろう?」と言いたくなる位に災難続きで、心が折れまくっていました。
来年には、私にとって最後で最大のビッグイベント「アキラ氏日本縦断講演会」を控えていて、災厄続きを何としても断ち切らなくてはなりません。
いつまでも、地獄のデビルにチョッカイを出されている訳には行かないのです。
取り付いた悪霊を追っ払わなければなりません。

そこで、親友のソテアレンのお父さん(私と同年輩)の強い勧めもあって、2011年にカンボジアに住み始めてから初めて、4日前の10月25日にお寺で厄払いをして貰いました。
無信心な私は、日本では42歳の本厄の時ですら厄払いなどしていませんでしたが、遂に観念してと言うか必要に迫られてお寺にお参りし、厄払いして貰ったのです。



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行った先は、ロリュオス遺跡群の一つ、ロレイ遺跡の中にあるお寺「ワット・ロレイ」。
外観はそれ程立派ではありませんが、結構、由緒あるお寺の様です。
最初は、ソテアレンのお母さんが眠っている菩提寺に連れて行かれるものと思っていましたが、実際行ったのは「ワット・ロレイ」で、こちらのお坊さんの方が格が上の様です。
まあ、どうせやるなら少しでも悪霊が恐れるお坊さんにやって貰った方がいい訳で、私としては大歓迎です。
そのお寺でまずお供えをし、少し拝んで貰った後、聖水掛けに移ります。
ソテアレンからは、聖水で清めて貰うと聞いていましたので、私はてっきり結婚式なんかで行うあの刷毛の先に聖水を付けてピッピッと頭や体に振り掛ける式のものを想像していましたので、その場でやるものと思っていましたら、何と着替えをしてから井戸端に連れて行かれました。
着替えは、少し塗れるので半ズボンを用意する様にと言われていたので、下は半ズボン、上はすっ裸といういでたちで井戸端に向かいました。
すると、その聖水掛けと言うのは、水をピッピッでは無く、バケツでぶっ掛ける位凄いものでした。
実際はバケツでは無く柄杓を使いましたが、まあ、その凄いこと凄いこと。
何度も何度も水をドバッとぶっ掛けて、息も苦しく溺れ死ぬんではないかと恐怖すら感じました(んな、大袈裟な)
幼い頃、親が髪の毛を洗ってくれる時に水をぶっ掛けられて、苦しくて堪らなかった時の事を思い出しました。
まあ、本当にしんどかった。
5分位だったでしょうが、物凄く長く感じられました。
体も段々冷えて来て、もうこれ以上続けると窒息し凍え死ぬという寸前でやっと終わりました。
この拷問の様な体験を写真に残そうと思いましたら、ソテアレンも私の隣で一緒に水を浴びていたので、写真は撮れませんでした、残念。
(辛うじて1枚だけありましたので、載っけます。)
この長く過酷な行の間、一心不乱にお祈りし・・・ようと思いましたが、遂々ある事が気になってお祈りどころではありませんでした。
・・・・・・
「あ~あ、パンツの代えが無い」
・・・・・・
こんなんで、本当に厄払い出来たのかなあ。
まあ、1回でダメなら、また来ようっと。



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最後にお断りしておきますが、「地獄のデビル」とか「悪霊を追い払う」とかの言葉を使いましたが、これらはあくまで私の個人的感想であり、文章効果を高める為に使っている言葉でして、敬虔な仏教徒であるカンボジア人にとってはお聞き苦しいと言うか聞き捨てならない言葉かも知れませんし、厄払いの意味も、本当は違うのかも知れませんが、どうぞお許し下さい。まあ、カンボジア人はどうせこの私めのブログは読んでいないと思いますが、念の為お詫びしておきますです。


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  1. 2017/10/29(日) 15:42:26|
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地雷原訪問

10月22日(日) 


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昨日21日の土曜日、私は日本人4人と一緒にシェムリアップ州内の地雷原を訪問致しました。
本当はアキラ氏に連れて行って貰う事になっていたのですが、先月私と約束した後に、アキラ氏はビルさんと一緒に中東のドバイに行って講演する事になったので、急遽バーンの車をチャーターして行きました。
バーンと言うのはアキラ氏と同郷のカンボジア人で、昔アキラ氏の活動を手伝っていた事のある人物です。
日本語も、英語も堪能なので、これまでも何度か地雷原に連れて行って貰い、アキラ氏が居ない時にはアキラ氏に代わって通訳をして貰いました。
8月に柏木先生らと一緒にコンポントムの地雷原に行った時も、このバーンの車で行きました。
「柏木先生、カンボジア来訪の記」

今回の地雷原はシェムリアップ州内であり、街から車で1時間ちょっとの所でした。
まあ、途中がガタガタ道だったので、ゆっくり走った為1時間半位掛かってしまいましたが。
アンコールトム遺跡からも近く、博物館からだとバイクで30分位で行ける場所です。
実は、行くまでは場所を知らなくて、アキラ氏からはシェムリアップ州内で車で1時間位の所と聞いていただけだったのですが、段々近付くに従って「ここは、もしかして」と思ったらやはりそうでした。
去年の5月に、あの応援団員の後藤夫妻と一緒に訪問した地雷原のすぐ傍でした。
去年、その村の村長から地雷撤去の要請を受け、一定範囲の撤去活動を行いましたが、まだ3分の2くらいが残っていて、その残った地を今月と来月2ヶ月掛けて撤去活動するそうです。
村の中を1本の道が走っていますが、その道から僅か50メートル位の所が地雷原なのです。
周辺には当たり前の様に民家が点在し、田んぼや畑もあります。
こんな場所に、まだ多くの地雷や不発弾が眠っているのです。
この地は、内戦時代ベトナム軍が陣を構えていた場所との事ですので、この場所でベトナム兵とポルポト兵とが戦い、両軍が共に地雷を埋めたのでしょう。

CSHD(カンボジアン・セルフ・ヘルプ・デマイニング)の隊員達17人は、先月27日にこの地に入り、今月25日に一旦活動を終了して引き上げる予定でしたが、途中何日か雨で活動が出来なかった為、少し活動期間が延びそうです。
発見した対人地雷と不発弾、それに村人が偶然見つけた不発弾を含めて20数個が今日21日現在で見つかっていました。
今日の午前中にも、1個の不発弾(ロケット弾)と4個(パイナップル地雷3個とジャンピング地雷1個)の地雷が見つかったとの事でした。

我々日本人5人も、昼食後地雷原での隊員の活動を見学させて貰いました。
地雷原に入ると、あちこちに木や草を刈る隊員や金属探知機を操作する隊員が居ました。その中の一人の隊員の金属探知機が早速反応したので、我々はその隊員の一挙手一投足に注視しました。
草の根を鋏で切り、プロッダー(金属棒)やシャベルを使って慎重に土を掘り返しましたが、出て来たのは何かの金属製の破片がただ1つ。
暑い中、重いヘルメットを被り、プロテクターを着けての作業は、見ている我々の方が疲れる位過酷な任務ですが、その上、事程左様に、実際に地雷が見つかるまでには何度も何度も空振りを繰り返しますので、本当に気が遠くなる様な根気の要る作業なのです。

この日も、若い女性を含めて17人の隊員が作業に当たっていましたが、彼らは単にお金の為に活動しているのでは無く、カンボジアを少しでも早く安全な国にしたいとの信念の下、命懸けで地雷撤去に取り組んでいるのです。本当に頭が下がります。
尊敬すべきデマイナー達です。


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我々の来訪に合わせて、数日前に発見し保管していた地雷(中国製の72A型対人地雷)の爆破処理を見せてくれましたが、物凄い爆音と共に爆発して、遠く離れていても体が震えました。参加者皆が、一様に驚いていました。
何度立ち会っても、地雷は本当に恐ろしい兵器です。
こんな地雷が、カンボジアにはまだまだ数多く残っているのです。
それを思うと、アキラ氏達の活動がいかに重要な仕事なのか、カンボジアにとって、アキラ氏の存在がいかに大きいのかが、改めて分かります。
これからも私は、アキラ氏を応援し続ける覚悟です。
皆さんも、是非、私と一緒にアキラ氏の応援をして下さい。
私の作った「アキラ地雷博物館・日本人応援団」(http://akira-landminefree.org)に加入して、アキラ氏への活動資金の提供に力をお貸し下さい。
地雷原での隊員達の活動を報告している内に、いつの間にか応援団のPRになってしまいましたが、どうぞお許し下さい。


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私達日本人5人は、バーンの運転する車にギュウギュウ詰めになりながらも、感動と衝撃を心に留めながら、シェムリアップの街に16時頃無事帰還して参りました。
尚、アキラ氏は、ビル氏と一緒に19日にシェムリアップを出発し、プノンペンからバンコク経由でドバイに入りました。そして、1週間後に戻って来る予定です。


今日は、日本では超大型の台風21号が接近して、全国的に大変な事になっている模様です。
そんな中、衆院選の投開票日でもあります。
たかが1票、されど1票です。
皆様、どうか懸命な御選択を。




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  1. 2017/10/22(日) 17:02:40|
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憂鬱な気分

10月8日(日) 


カンボジアは今や雨季最終盤で、連日雨が降っています。
と言っても一日中降る訳では無く、今日も1時間程降っただけですが。
でも、雨季に入った5月頃(今年はもう少し早くに入った気もしますが)から先月までの事を考えるとやはり雨量が多く、先週は街のあちこちで冠水していました。
恐らく、これから月末に掛けて、もっと激しい雨に見舞われるのではないかと心配しています。
道路が冠水すると、バイクの私としては本当に大変です。博物館に行く道中が思いやられます。
何とも憂鬱な季節で気が滅入りますが、気が滅入るのは何も天候だけではありません。


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日本の総選挙が明後日10日に公示され、22日に投開票ですが、今回の選挙は何とも希望の持てない、お先真っ暗な選挙という気がしてなりません。
北朝鮮の脅威の為世の中がどんどん右傾化していて、先人が勝ち取って来た反戦平和の思想、民主主義の土台が大元から崩れて来つつあります。
何とも憂鬱な選挙です。

憂鬱の種は他にも有ります。
今年7月に国連で「核兵器禁止条約」が締結され、世界の122カ国がこれを採択しましたが、何と日本はアメリカ、ロシア、中国などの核保有国と共に条約締結に反対しました。
その言い分は、核保有国が参加しない条約では効果が無いと言うものです。
1997年の対人地雷禁止条約(162カ国が批准)、2010年のクラスター爆弾禁止条約(95ヶ国が署名)では、日本でも相当の反対意見も有った中で何とか締結に漕ぎ着けていますが、この核兵器禁止条約では、世界の中で唯一の被爆国であり、条約締結のリーダーとなるべき日本が、被爆者の願いに背を向けたのです。
安倍政権の本質を見る思いです。
ただ、今年のノーベル平和賞に、この条約締結に貢献した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が選ればれた事が、唯一の救いでは有りますが。
因みに、1997年の対人地雷禁止条約では、「地雷禁止国際キャンペーン」(ICBL)がノーベル平和賞を受賞しています。
これらの条約は、即効性は無いかも知れませんが、確実に保有国に対するプレッシャー効果を発揮していると考えます。

もう一つ憂鬱な事。
それは、日本では無くここカンボジアの政治状況です。
カンボジアでは来年7月に総選挙が行われます。
その総選挙を前に、現政権側による敵対勢力に対する弾圧がじわじわと始まっています。
先月には最大野党の党首が言われ無き罪で深夜逮捕され、政権に批判的な報道を続けていた新聞社が廃刊に追い込まれました。
およそ民主主義とは相容れない、野党潰し、言論弾圧が始まっています。
前回(2013年)の総選挙並びに今年の地方選挙の結果に危機感を抱いたフンセン首相が今後何をやって来るか、現在の政治状況を変えたいと願っている人々は固唾を飲んで見守っています。
アキラ氏を始め私の仲間のカンボジア人達も、例外では有りません。
カンボジアには軍隊も有りますから、軍が出て来る可能性も十分考えられます。
本当に憂鬱な、カンボジアの政治状況です。


ハアッ(深い溜め息)。
今回のブログは憂鬱な事ばかり書いて、すっかり気が滅入ってしまいました。
こんなの読まされた皆さんも、堪ったもんじゃ無いですよね。
次からは、もっと明るい話、面白い話を書きますから、どうぞ見捨てないで下さい。

ハアッ。



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  1. 2017/10/09(月) 01:54:33|
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アキラ氏の日本語ガイド時代の写真

9月24日(日) 

先週の19日から21日まで、カンボジアはプチュンバン(日本で言うところのお盆でして、お寺にお参りしたり、田舎に帰省したりします。年によって時期が違いますので、10月の時もありますが)でして、博物館のスタッフはその前後から皆お休み。
代わってリリーフセンターの子供達が、受付やらチケットのモギリ、みやげ物店での客対応をしていました。
管理責任者の一人であるアメリカ人のビルさんも、ちょうどこの時期アメリカに帰っていて、先週出勤したのはアキラ氏の義兄のヨンさんとビルさんの奥さんのジルさん、そして私の3人だけでした。

それに先立ち博物館では、14日の夜プチュンバン突入前のパーティをやりまして、リリーフセンターの子供達とスタッフの大人達で飲めや唄えの大宴会。そして何時もの如く、皆で踊りまくりました。勿論子供達はジュースですが。
私は、最近は自粛していてそんなに飲んではいないのですが(ホンマかいな)、皆が「帰るな、泊まれ」と言うものですから、近所のスタッフの家に初めて泊まりました。
むか~し、博物館でアキラ氏の奥さんの法事をやった時(2012年2月)、酔い潰れて知らぬ間に博物館に泊まった事がありますが、それ以来でした。
この宴会の次の日当たりから、スタッフも休み始め、リリーフセンターの子供達も親が居る子は皆帰省しました。


ここで、話はガラッと変わります。
そして、ここからが今日のブログのテーマです。



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今月の初めに、博物館に来館された千葉の綿貫様と言うお客様から、アキラ氏が日本語ガイドをしていた時代の写真DVDを託されました。
それは、綿貫様のお母様が今からちょうど20年前の1997年(カンボジアのプノンペンではクーデターがあった年です。この翌年の1998年にポルポトが死に、漸くポルポト派が解散して内戦が終結します)、シェムリアップを訪問されてアキラ氏から遺跡ガイドを受けられた時の写真でした。

アキラ氏は、10歳から20歳迄を少年兵として過ごし、20歳を過ぎてから地雷撤去活動を始めます。
そして26歳の時に初代の博物館を200ドルの資金でオープンしたのですが、その資金を稼ぐ為に最初英語を勉強して、国連の「UNTAC」で英語の通訳として働き、同時に地雷撤去を手伝って給料を貰い、それを蓄えます。そして「UNTAC」が去った後は、今度は日本語を勉強して日本語ガイドの資格を取り、日本人観光客相手の遺跡ガイドをして資金を稼ぎました。
そして、その蓄えたお金200ドルで最初の博物館をオープンしたのです。

その話は、私が博物館でのガイドの中で何時もしている事なのですが、私としてはあくまで聞いた話に過ぎませんでした。
しかし、実際にアキラ氏が日本語ガイドをしていた時の証拠写真が手に入ったのですから、これには本当に感激しました。
この貴重な写真DVDを早速写真屋に持ち込んで1枚コピーを取り、私も所蔵させて貰いました。また何枚かの写真をプリントアウトして、DVDと共にアキラ氏に手渡しました。
アキラ氏は、20年前の事なのにしっかりそのお客様の事を覚えていて、来年の日本での講演会の時に是非ともお会いしたいと申していました。
その事をメールで綿貫様にお伝えした所、綿貫様の方からもお母様が来年の講演会を楽しみにされているとのお返事を頂きました。
何と、素晴らしい話でしょう。
この私の感激を皆様にお裾分けしたくて、その写真をアップ致します。
どうぞ、ご覧になって下さい。
アキラ氏がまだ24歳頃ですから、本当に若いですよ。
でも、そのほんの少し前まで、少年兵として悪夢の中に居た訳ですが。



アキラ 時代 写真 あきら ガ アキラさん ガイド時代



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  1. 2017/09/24(日) 15:51:44|
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