川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

骨折り損のくたびれ儲け

2017年5月22日(月) 

人の為に骨を折るのは、大変素晴らしい事だと常々考えていますが、自分の骨を折るのは何ら世の中の役に立たないばかりか、痛くて不便この上ないんで、全く無意味だと考えています。
にも関わらず、この度自分の骨を折ってしまいました。
いわゆる骨折というヤツです。
ああ、1月以来の不幸ネタの洪水、もう沢山です。

今月10日、日本のゴールデンウィークを挟んだ10日間、一日も休まず博物館でガイドの仕事をやり通したと威張ってブログをアップしたその日の夜、バイクで事故ってしまいました。

カンボジアに来てからのバイク事故は、これが4回目です。
最初が2013年12月10日。飛び出して来たバイクとぶつかって転倒し意識を失い、救急車で病院に運ばれそのまま入院。
「遂に身体も壊れちゃいました」
2回目が2016年7月26日。あの田辺美穂子さんをホテルに送り届けようとした瞬間、後ろから来たバイクに引っ掛けられて転倒し、かすり傷からばい菌が入ってその後浮腫を切開する羽目に。
ブログ復活第一弾「言い訳」
3回目が先月のクメール正月の最終日の4月16日。これは股の間に挟んでいた荷物が動いてバランスを崩して転倒し、胸を強打。
そして今回は、夜、小雨が降る中での正面衝突。

最初の2件は相手に非が有り、3件目は自損事故。
しかし、今回は完全にこちらに非があって、相手も足の小指の骨を折りました。
この事故で、さすがにバイクに乗るのが恐ろしくなりました。
まあ、これ位で済んだからまだしも、場合によっては命も落としかねません。
現にカンボジアでは、交通事故死亡者が年々増え続けています。
私の場合、博物館に行くのにバイクは欠かせませんので、乗らない訳には行きませんが、今までの様な熟年暴走族の走りは自粛して、安全運転に心掛けたいと思っています。
4回目の事故にして、やっとその事に気が付きました(遅い!)



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事故をした10日の夜、足は腫れていましたがまだ歩けたので、まさか折れているとは思っていませんでした。
翌日の11日には大事な予約が入っていたので、トゥクトゥクを呼んで博物館に行き、ガイドを1つこなしました。
そしてその後シェムリアップまで戻り、クリニックに行ってレントゲンを撮ったら骨折判明。
左足の甲の骨が折れていて、くるぶしを強打したのかエラく腫れています。
てっきりその場で石膏で固めるものと思っていたら、そのクリニックでは薬を塗って包帯を巻くだけ。明日からは自分で薬を塗って包帯を巻けとの事。
治るのは3ヶ月以上半年位先だとも。
冗談じゃ無い、たかが骨折位でそんなに長く掛かって堪るかと、素人判断ながら石膏で固めた方が絶対早く直る、それをしてくれる病院を探そうとクリニックを後にした瞬間から固く決意しました。
そして16日、友達のソテアレンに頼んで、別のクリニックに連れて行って貰い、石膏で固めました。本当は石膏では無く、グラスファイバーですが。
ネットで調べると、今は日本でも骨折治療は石膏では無くグラスファイバーで固める様です。
白いストッキング状のものを足に捌かせて、水を少し付けるだけで数分後ガチガチに固まるのです。
それを捌かせる時、3人掛かりで折れている足を容赦無く手で押さえつけ、弾力性の乏しいそのストッキング状のものを足の指先から膝に向けて数センチ単位で力任せに巻き上げて行くのですから、その痛い事ったらありゃしない。
もっと他に方法は無いのかよと思いながらも何とか痛みに耐えて、その治療を終えました。


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しか~し。

足を固めれば、痛みも前よりは感じなくなるだろうと考えていたのですが、おっとどっこい、前より格段に痛みが増しました。
前は引き摺りながらでも歩けたのですが、固めてからは足を地に着ける事も痛くて出来なくなりました。
前は、部屋の中では足を使って歩いていたのですが、固めてからは松葉杖無しには部屋の中でも動けなくなりました。
まあ、固めた2日目位から何とか立つ事は出来る様になりましたのでシャワーを浴びたりは出来るのですが、歩く事は今でもまだ出来ません。
事故をしてからもう直ぐ2週間。
当然ながら、ずっと博物館も休んでいて、そろそろ出掛けないと拙いぞと気が焦るのですが、何せ私の住まいは4階でして、(エレベーターなんて洒落たものは、カンボジアではホテルとか特別な所以外はまず有りません。)階段の上り下りは危なくて松葉杖が使えないので、外に出る事が出来ません。外に出てしまえば、松葉杖を使って何とかなるのですが。
そんな情けない日々を過ごしています今日この頃です。

来年には、私のこれからの残された人生の中で最大のイベントである「アキラ氏平和学習講演会」を控えております。
これからはその準備に専念したい、もうこんな不幸に付き合っている時間も心の余裕も無いので、1月から続いた不幸ネタは何としてももうこれを最後にしたいです。
治ったらお祓いでもして貰って、疫病神を追い払いたいと考えています。


話しは変わりますが、
カンボジアでは来月4日が地方選挙の投票日でして、一昨日から6月2日までの14日間が、選挙運動期間です。
聞くところによると、与党の人民党も野党の救国党もかなりの動員を掛けて運動を展開している模様です。
そして、いよいよ来年の今頃(7月か?)、総選挙が実施されます。
私は、日本の政治にも大変憂いを感じていますが、この国の政治体制にも危ういものを感じています。
何とか政治刷新が行われる事を願っています。
私自身は何も出来ないですけど、私の周りで政治を変えたいと頑張っている人々を応援したいと思っています。その人達が「骨折り損のくたびれ儲け」にならない様、祈っています。

やったー、上と下の文章が繋がったあ。骨はまだ、折れたままで繋がってないけど・・・。




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  1. 2017/05/22(月) 14:17:50|
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村に電気が通った、バンザイ。

5月14日(日)


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今日5月14日は、カンボジアのシハモニ国王の誕生日です。
今日で64歳になられたとの事ですので、私と同級生です。
因みに、フンセン首相は1つ年上です。

カンボジアでは、この国王誕生日を挟んで3日間が祝日になっていますが、カンボジアの祝日は日本よりも多くて、年間26日有ります。
日本では振り替え休日も含めて18日から20日位でしょうから。
シハモニ国王は、独身で子供は居ませんので、亡くなられた後は誰が国王の跡を継ぐんでしょうかねえ。
恐らく異母兄弟が何人か居る様ですから、その中の誰かが継ぐんでしょうけど、すんなり行くかどうか・・・・。
まあ、私が心配しても仕方が無いんですが。

さて、本日のブログのテーマは、前回10日のブログで予告しました電気開通の件ですが、実はその10日、ブログをアップした後で私の身にとんでもない事態が発生しました。
そのとんでもない事態とは・・・・足を骨折してしまったのです。
その件については又稿を改めたいと思いますが、1月以来の不幸の連続、まだ収束していない様です。
お祓いでもしなくっちゃ。

では、博物館の建っている地域に電気が開通した件について詳しく書きたいと思います。
カンボジアではまだまだ電気が通っていない村が数多く残っています。
何せこの国は、電力は輸入に頼っているのですから。
ですから、電気代は結構高いですし、停電もしょっちゅうです。
でも、電気が通っていないと言うと皆さんは、昔の日本映画やテレビドラマで見るランプ生活を想像するかも知れませんが、そうでは有りません。
大抵の家ではバッテリー発電をしていて、あの自動車のバッテリーを使って電力を供給しテレビや電球に接続して電気を賄っています。
バッテリーの充電が切れたら、専門の業者が家々を巡回して充電するのです。
でも、当然賄える電力量は限られていますから、家々に煌々と明かりが灯り、色々な電化製品が使えるという訳には行きません。

そんな中、このバンテアイスレイ地区に遂に先月電気が通ったのです。
工事が始まったのは、ほぼ1年前の3月でした。
私が博物館に通う沿線で、次々とコンクリート製の電柱が立てられて行き、遂に博物館にも3月24日に電柱が立ちました。
おお、これはカンボジアの歴史の一旦を垣間見たぞと思い、ワクワクしながらシャッターを切りました。
しかし、博物館に立った瞬間は見逃してしまい、隣の家の敷地に立ったのを写真に収めたのですが・・・ウウッ、ドジ



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2016年3月24日


その後、5月になって電線工事が始まりました。
博物館での電線工事は5月16日と17日でした。


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 2016年5月10日


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 2016年5月16日                   2016年5月17日


しか~し。
その後何の音沙汰もありません。
一体電気はいつ流れるのかとやきもきしながら待つ事約1年。
遂に先月4月10日に引込み線が供給されて、電気が通ったのです。
正に歴史的瞬間です。

カンボジアでは来年が5年毎の総選挙の年でして、今年は地方選挙の年です。
それが理由かどうかは断定出来ませんが、今あちこちで現フセイン政権によるインフラ整備が進んでいます。
田舎に電気が通って人々は大喜び。
しかし、インフラ整備だけでなく、子供の貧困にも政府は力を注いで欲しいですねえ。
それは日本も同じですが・・・。




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  1. 2017/05/14(日) 16:28:07|
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ゴールデンウィーク期間中の博物館

5月10日(水)

日曜日にブログを書くつもりだったのですが、ヘトヘトに疲れていて書けませんでした。
ごめんなさい・・・ナンチャッテ
本当は飲み会があってサボってしまったのです。ウソをついてゴメンナサイ



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あちゃあ、カンボジア人の奥さんが写ってなかった、失敗。


我々の仲間に、日本人のダンナさんとカンボジア人の奥さんのカップルが居まして、その夫婦の家で毎週日曜日の夕方6時からホームパーティならぬ単なる飲み会をやるのですが、私も時々参加します。今回は「おでんパーティ」をやると言うので、それは是非行かなくてはと参加して来ました。
シェムリアップでも、今や日本料理の店は数多く、日本の味に飢えている訳では無いのですが、さすがにおでんを出す店はまだ無い様に思います。私が知らないだけかも分かりませんが。
因みに今日10日と25日も、毎月日本人仲間数人が集まって、ある日本食レストランで飲み会をやるのが恒例になっています。そこでは何と日本酒が飲めるのです。
もっとも、日本酒が飲める店は他にも幾つか有りますし、店でも売ってはいるのですが。

まあ、そんな事はどうでもいいのです。
今日のブログのテーマは、ゴールデンウィーク期間中の博物館の様子です。
私は、最近では週休3日制を志していまして、水曜日と土曜日、日曜日は博物館のボランティアガイドの仕事を休む様に心掛けています。まあ、予約が入れば別ですが。
そうしないと、体がしんどいので・・・。やっぱりトシかなあ
でも、このゴールデンウィークの期間中は休まず博物館に出勤しました。
4月30日(日)から昨日5月9日まで10日間は全く休みませんでした。
誉めてやって下さい。
こんな事はそうそう有りません。
でも、こんな事を言っていたら、日本の皆さんに叱られますよね。
日本では、60歳どころか70歳を過ぎてもバリバリ働いている人は一杯居ますもんね。



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7日に来られた「タビックスジャパン」のお客様。この連休だけで、4/30、5/2、5/4、5/6、5/7と5組来られました。



今年のゴールデンウィークは、カンボジアを訪れた日本人観光客の数は例年より少なかったと言うのが、私の周りのカンボジア人ガイドの感想なのですが、博物館に関して言えば、全くそんな事は有りませんでした。
1日こそ少なかったのですが、2日からは毎日多くの日本人客が押し寄せて来て、私もてんてこ舞いでした。
写真を撮る間が無い程の忙しさだったので、残念ながら7日に来られた数組のお客様の写真しか有りませんし、何組かのお客様にはガイドが出来ませんでした。


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7日に来られたお客様の一部。本当はもっとワンサカ来られていたのですが、写真を撮れませんでした。


しかし、御安心下さい。
実は、博物館には3月から日本語の音声ガイドが導入されていまして、私が居なくてもその音声ガイドを聞きながら展示室を廻って頂ける様になっているのです。
英語の音声ガイドは数年前から導入されていたのですが、日本語のものも遂に先々月、15台が導入されたのです。
料金は無料ですよ、皆さん。凄いでしょ。
私も安心して、サボれる様になりました。ハハハ


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それからもう一つ、お伝えする事が有ります。
博物館の建っている場所はバンテアイスレイ地区と言って、シェムリアップの街中からおよそ30キロ離れた田舎です。(ここを私は毎日バイクで往復しているのですよ、皆さん。これって凄いでしょ、ムフフッ・・・自画自賛
その先6キロの所には「東洋のモナリザ」と呼ばれる精緻な彫刻の女神像を擁した有名な「バンテアイスレイ遺跡」と言うのが在ります。

この地区は田舎ですので、実は先月まで、まだ電気が通っていなかったのです。
この電気の件に関する詳しいお話しは、次回ブログで改めて書こうと思っていますので今回は省略しますが、その電気が実は先月、遂にこの田舎の地にも流れたのです。
もっとも博物館では、これまで太陽光による自家発電をしていて、多少の電力は賄っていたのですが、それでも決して電力量が十分とは言えませんでした。
ですから、今回待望の電気が来ましたので、博物館では早速各展示室にファン(扇風機)を取り付け、お客様が暑い中快適に館内見学出来る様に致しました。



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例年なら、ゴールデンウィーク明け後夏休みまでは日本人の客足が落ちるのですが、今年は音声ガイドとファン(扇風機)が皆様をお待ちしておりますし、今後も益々お客様の快適を追及して参りますので、場所的には遠おございますが、どうぞ日本人の皆様方、
これからの閑散期にもどうぞ博物館まで足をお運び下さる様お願い致します。
旅行会社の方々も、どうぞツアーコースに組み込んで下さいね。
アキラ氏を始め、スタッフ一同皆様のお越しを心よりお待ちしております。
ちゃんちゃん。




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  1. 2017/05/10(水) 18:57:07|
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不幸の連続の日々を振り返る

4月30日(日)


今日でもう4月も終わります。時間が過ぎるのは本当に早いですねえ。
日本ではゴールデンウィーク真っ盛り。
カンボジアにも大勢の日本人観光客が押し寄せていると思いきや、意外とそうでも無い様です。友達のカンボジア人ガイドに聞くと、予約もそんなに入っていないとか。
テレビニュースでは、成田を大勢の人が出国している様子を映していましたが、みんな何処へ行っているのでしょうねえ。
本当は、寅さんじゃないけどゴールデンウィークの間中押入れに隠れて家を留守にしている風を装っているとか・・・・。
アベノミクスの破綻で、潤っているのは大企業ばかりで庶民の生活は一向に良くならないから、海外旅行なんて贅沢はとてもじゃないけど出来ないと、多くの人が考えているんじゃないかなあ。
そうは言いながらも、今日は日曜日ですから普段でしたら私は博物館を休んで部屋でのんびり過ごすか飲んだくれの生活を送るのですが、15名の団体予約が入ったのでいそいそと博物館に出掛けました。

まあ、それは兎も角、今日のブログの話題はいわゆる不幸ネタです。
ブログをサボっていたこの4ヶ月の間に、私の身に数々の不幸が押し寄せて参りました。
まあ、一番酷かったのは先週書きました「ホームページ崩壊事件」ですが、その他にも色々有って、幾日もの眠れない夜を過ごしました。
2番目は「USBメモリー紛失事件」でしょうか。
日本に忘れて来た事が分かった今となっては笑い話なのですが、分かるまでの16日間は絶望の淵に立たされていました。
このメモリーには私がカンボジアにやって来た2011年3月から今年1月まで6年間の日誌、会計記録、その他重要な記録、思い出が山の様に保存されています。
それを無くしたのに気付いたのは1月22日でした。
カンボジアに戻って来てトランクを開け、荷物を整理したらこの小ちゃなメモリーだけが見当たらない。
日本を発つ時、間違いなくこのトランクに入れた。その時の情景ははっきり覚えている。それなのに無い。一日中トランクをひっくり返したり、他の荷物に紛れ込んでいないか調べ尽くしましたが出て来ない。
一体どうなったんだろう。岡山の家を出たのが1月20日の昼で、その後大阪で1泊し、関空から飛行機に乗ってベトナム・ホーチミン経由でカンボジアに戻って来た21日夜までの間の自分の行動をつぶさに思い起こし、何処かで無くす可能性があったかどうか考えましたが思い当たりません。
家に忘れて来た可能性は殆どゼロ(と、思っていました)なので、それなら空港で荷物検査の時にでも誰かに抜かれたか。そう言えば、最近誰かに後をつけられているなと感じていた(ウソですが)。これは絶対CIAかKGBの仕業だ。俺を北朝鮮か何処かのスパイと思ってマークしていたに違いない(何でやねん)。だから大事なUSBメモリーを抜かれたんだ。
こんなアホな事も、18パーセント位は考えました。
後の81パーセントは神隠し説、神様か仏様が無信心な私に悪戯しているに違いない。
トイレに入ったらトイレットペーパーが無い。あちゃあ、かみに見放された。これです。
そして残り1パーセントが家に忘れて来たという事。
こんな事を考えながら、心がへとへとに疲れ、絶望の淵を行ったり来たりの数日間。
しかし1週間経って、いかんいかん、思い出の詰まった大事な記録は無くなったけど、命を取られた訳では無い、辛いし、不便な事はあるけどまあ何とかなる、気持ちを切り替えて前向きに生きて行こうと考え直し、絶望から何とか抜け出しました。
そんな中で、可能性としては1パーセントだけど、まあ、念の為と思って妹に「今度家に行った時、無いとは思うけどもし何処かにUSBメモリーが転がっていたら保管しといてくれ」と頼んでいた所、数日後その妹から「家に掃除に行ったらUSBメモリーを発見した」との連絡。
私が帰宅した日本の家は両親の家で、その両親は去年の8月からケアホームに入っていて現在家は空き家になっています。だから普段は誰も住んでいないのですが、近所に住んでいる妹が掃除に行って見つけてくれたと言う訳です。無くしてから16日目の2月6日の事でした。
最初は信じられませんでした。何で家にあるのか。そのUSBメモリーを他のパソコン周辺機材と一緒に小袋に詰めて、トランクに入れた光景は今でもはっきり覚えている。
なのに何故それだけが家に残っていたのか。
考えても考えても分かりません。でも、有った、見つかった、バンザーイ。
飛び跳ねたい気持ち、この喜びを表す言葉が見つかりません。
本当に嬉しかった。一度は完全に諦めていただけに、後から後から喜びが込み上げて来ます。何て俺は幸せ者なんだ。道で100万円拾った気分です(無くしたと思っていた時には、100万円落とした気分だったので)
という事で、これは不幸ではなく幸いに転じたのですが、この他にもまだまだ不幸ネタが後を絶ちません。

去年は2月だったのに、今年は私が日本に帰国している間の1月に毎年恒例のリリーフセンターの子供たちの4泊5日の研修旅行が挙行され、私だけ置いてけぼりを食らったとか、
ソテアレンの弟の婚約式に出席する為プレイベンへの小旅行に出ている間に、ゲストハウスの自分の部屋の水道が漏れて部屋が水浸しになり、段ボール箱やプリンターが水に浸かって大変だったので、この前応援団の呼び掛け人になって貰った「アナコット・カンボジア」代表の田中千草さんに通訳を頼んで、大家に家賃を負けてくれる様交渉して貰ったけど、大家が承諾しなかったとか、2月22日、23日とバッタンバンに旅行に行って、帰って来てから体調を崩し、結局それが腎臓の病によるものと分かって1ヶ月以上酒が飲めなかったとか、完全復調では無いものの何とかやっとその酒が飲める様になったと思ったら今度は4月16日にバイクで転倒し、胸を強打して又してもその痛みで酒が飲めなくなったとか。
あれから今日でちょうど2週間経ちましたが、まだ痛みは続いています。

「USBメモリー紛失事件」に時間を割いてしまって、他の件は端折ってしまいましたが、事程左様にこの4ヶ月間は不幸のオンパレードでした。
小さい事を挙げれば切りが無い位まだまだ他にも有りました。


でも、私はこれを読まれた皆様に不快な気分を味わって貰おうと思って書いた訳ではありません。
逆です。
皆様に、「いつも幸せ一杯なんて人は存在しない、人生に不幸は付き物、しかし、その不幸と思っている事も実は些細な事、越えられない不幸の壁など無い、人生は前向きに進んでこそ道が開ける」
そうした事を考えて頂きたいと思って、今回のブログを書いた次第です。
ちょっとこじ付け感も否めませんが、でも、半分は本心です。

明日から5月、日本では若葉萌える新緑の5月です。
どうかプラス思考で、前向きに人生に立ち向かって行って下さい。
頑張れば、政治だって変えられる。
そんな事を思う今日この頃です。




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  1. 2017/04/30(日) 17:51:59|
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ブログに穴を空けたお詫びと言い訳

4月23日(日)

皆様、大変御無沙汰しております。
1月1日に「2017年元旦の御挨拶」を書いて以来、又しても長らく冬眠してしまい、このブログを楽しみにして下さった方々(ごく少数の方だとは思いますが)には、本当に申し訳ございませんでした。
さあ、ここからは言い訳タイムですが、暫くお付き合い下さい。


私は、1月5日から21日まで日本に帰国していましたが、その後数々のトラブルや災難、多忙な日々が押し寄せて来て、気持ちのゆとりが全く無い状態に襲われていました。
(と言いつつも、飲み会だけはコンスタントに続けていましたが、デヘッ)
カンボジアに戻ってから、大事なUSBメモリーを日本に忘れて来た事に気付いたとか(一時は紛失したと思ってパニックに陥りました)、怪我をしたり病気になったりとか、知人の結婚式やパーティ、旅行があったりとか。はたまた日本から次々と博物館に、或いはプライベートで客が来訪されたりとか。
兎に角、一杯一杯でした。
(まあ、反対を言えば、ブログネタも数々有った訳ではありますが)


そんな中で、一番私を苦しめ、気持ちを落ち込ませた問題が「アキラ地雷博物館・日本人応援団」のホームページ(http://akira-landminefree.org)が崩壊した事件でした。
ホームページを開いても、応援団員名簿が何年か前のものだったり、写真が消えていたり、表示がおかしかったり、新たな書き込みが出来なかったりと兎に角まともな状態とはかけ離れていて、来館者に対して、或いは応援団員の方々に対して、とてもじゃないですが「ホームページを御覧になって下さい」とは言えない状態になっていました。
それに気付いたのは日本に帰国中でした。
最初は、何処ぞの悪意の第三者が、サイバー攻撃を仕掛けているものと思っていました。
しかし、1月末にK氏と言うカンボジア在住日本人に相談して調べて貰った所、原因がこのホームページを5年前に作ってくれたウエブデザイナーの操作ミスによるものと判明しました。

そのウエブデザイナーの名は・・・・・・・・・・・「君の名は?」
ここから後の文章は一旦削除して、何れ再掲したいと思います。
請う、御期待。ワオッ



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  1. 2017/04/23(日) 13:59:31|
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