川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

2018年クメール正月

4月15日(日)


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          博物館の正月飾り



今年もクメール正月の時期となりました。
カンボジアでは、正月が3回あります。
1回目は1月1日の世界共通の正月、2回目は2月の中国正月(春節)、そして3回目が4月のクメール正月で、この正月が一番盛大に祝われます。
街はもう先月からあちこち装飾がなされ、ホテルやシェムリアップ川沿いは華やかなイルミネーションで彩られています。
クリスマスシーズンには、もう大分前からこうしたイルミネーションが登場していましたが、私の記憶の限りでは、昨年までは正月にここまでの装飾はなされていなかったのではないかと思います。
もっとも、私の記憶もいいかげんで、日本の首相秘書官だった柳瀬さんと同様あんまり信用出来ませんが。

このクメール正月は(春節もそうですが)毎年日時が変わり、今年は4月14日から16日までで、14日午前9時12分に新年となりました・・・とさ。
この時刻は天から今年の干支の犬の化身の女神が降臨した時刻で、王室専属の占い師のお告げによるとの事ですが、まあ、ネット情報ですので適当に聞き流して下さい。

正式な正月は3日間ですが、実際には前後数日間が正月休みで、田舎がある人は皆田舎に帰省します。
アキラ氏及び地雷撤去NGO・CSHDの隊員達も、4月8日に地雷原から帰って来て、9日の夜BBQの店でニューイヤーパーティをやり、10日から休みに入りました。
9日のパーティには、私も、その日にたまたま日本からやって来た奈良の森山夫妻を伴って参加しました。
そして、10日の夜には、今度はリリーフセンターでパーティがあり、翌11日から博物館のスタッフ達が休みに入り、子供達も実家がある子は実家に帰省しました。
博物館そのものは年中無休なので、ビルさんや私は、まあ正月と謂えども働いていますが・・・ナンチャッテ。
ホントは、私も昨日の土曜日、今日の日曜日と休み(まあこれは、正月だからと言う訳ではありませんが)、明日も休む予定です。
昨日は同じゲストハウス仲間の田島さんと、夜の街に繰り出してホテルのニューイヤーパーティでどんちゃん騒ぎ、今日はソテアレンの家でどんちゃん騒ぎ、そして明日は、若いカンボジア人仲間とアンコールワットでどんちゃん騒ぎ。
のんべえの私にとっては、夢の様な日々が続きます。
この幸せがいつまでも続きます様にと願いたいところですが、でも実際はそうは上手く行きません。
外形的には幸せ感一杯でも、心の中は怒り、絶望、無力感で覆われています。

何故アベさんは、内閣総辞職しないのですかねえ。
モリカケ問題、防衛省の日報隠し問題、財務省の決裁文書改ざん問題と次々に歪んだ行政の姿が明るみに出ても、逃げに終始して一向に責任を取ろうとしません。
アベさんは真っ黒だと思いますが、仮に、仮にですよ、アベさんがこれらの事に直接関係してなくて、知らなかったとしてもですよ、行政の長であるアベさんは責任を取って辞めるべきでしょう。民間なら、社長はとっくに辞めていて、もしそうしないなら世間から轟々たる非難を浴びるはずです。
日本の皆さん、もっと轟々たる非難をアベさんに浴びせましょう。
内閣支持率の世論調査で、不支持を80パーセント以上に持って行きましょう。
世論調査の対象になった人、頑張って下さい。
それからもう1つ。
4月8日に河野外務大臣がカンボジアを訪問し、フンセン首相に会って、7月に行われる総選挙が公正に行われる様要望し、見返りとして円借款を申し出、フンセンさんはそれに応え努力すると回答した様ですが、これは全くのナンセンス。
野党・救国党の党首が昨年逮捕され、救国党そのものが解散させられた今の状態で選挙をやっても、何ら公正な選挙になる訳がありません。
フンセンさんに要望するなら、党首を今すぐ解放し、救国党を復活させてからの総選挙を行う様要望するのでなければ意味がありません。
カンボジアは今、日本と同じく民主主義の危機的状態にあります。
ヨーロッパ諸国は、このカンボジアの姿勢に抗議の意味を込めて一定の距離を取りつつありますが、日本政府は従来と同様友好姿勢を取り続けています。
カンボジアの国民の多くは日本政府に対し、もっとフンセンさんにガツンと言ってくれと願っています。
日本の外交姿勢が問われています。

これらの問題が解決しない事には、私の憂鬱な気持ちは一向に晴れません。
飲み呆けて顔は笑っていても、心の中では泣いています。
と言いつつ、これから飲みに出掛けますが。
よ~し、どんちゃん騒ぎしてくるゾォー。



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4月13日の朝、カンボジアの若い仲間と一緒に、お供え物を持ってお寺へお参りに。

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4月9日の夜、BBQの店で行われたアキラ氏及びCSHDの隊員達の新年パーティに、森山夫妻と共に参加。

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4月14日の夜、田島さんんと一緒にホテルの新年パーティに参加。



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  1. 2018/04/15(日) 13:49:44|
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エイプリルフール

2018年4月1日(日)

あれっ、テレビで日本の安倍首相とカンボジアのフンセン首相が揃って謝罪会見をしている。
安倍首相
「皆さん、申し訳おまへんでした。ワテは、これまで国民の為と言いながら、ホントは国民のことなんかちっとも考えておまへんでした。」

何で関西弁なんやねん

「そもそも政治家になったんは、じいさんの岸信介と私自身の野望を実現する為でんねん。
今の憲法を変えて、日本をワテら長州が作った明治維新後の強い国、秩序のある国、アメリカに頼らずとも自分の国は自分で守れる国にしたいと思ったからでんねん。そうは言っても一遍には出来まへんので、実現する迄はアメリカさんの言うこともよう聞くし、金を提供してくれる財界の言う事もよう聞く。そもそも、民主主義なんてものは行き過ぎてはいかんのです。
国民の自由なんて、無制限に認めていては秩序が乱れてしまうんです。適当には認めるけど肝心な所では閉める。
そうでおます、明治憲法が理想でんねん。ワテらが、右向け右と号令を掛けたら、みんなに従って貰わなあかんのです。自分個人より、お国の為を思って貰わなあかんのです。
森友の籠池はんも、日本会議のメンバーであって、元はワテとおんなじ考えの同志でしたんや。
自分の幼稚園で子供に教育勅語を暗誦させて、アベ首相ガンバレと言わせてたんやさかい。
でっから女房の昭恵も、小学校の名誉校長を引き受けたんですねん。そしたら籠池はんがヘタ打って、詐欺がバレてもうた。こりゃ早いとこ潰さんと、こっちに火の粉が振りかかる。そんなんで今、徹底的に潰しに掛かってんですわ。
森友を優遇せいなんて、直接ワテが役人に指示したりしてまへん。そんなヘタ打ちますかいな。
証拠が残ることなんてせんでも、周りがみんなやってくれますねん。
そうなる様に今は役人の人事権を内閣人事局でガッチリ押さえておますし、内閣も仲間で固めてますねん。こないだの集団的自衛権の行使容認問題の時も、内閣法制局長の首をすげ替えて無理矢理法案を通しましたし、国会で近畿財務局の不正が追及された際、それを突っぱね続けた理財局長の佐川を論功行賞で国税庁長官に抜擢したんですわ。
もっとも、佐川は決裁文書の改竄問題が発覚したんで責任を取らせて辞めさせましたが。
そうそう改竄と言ったら、防衛省の南スーダン日報問題、働き方改革での厚生労働省の労働時間データの捏造問題などが次々と明るみになりましたが、これも決してワテが命じた訳ではありまへん。
役人がワテにゴマを擦る為勝手にワテの気持ちを忖度したんです。
もっとも、元を辿れば全部ワテがこうなる様に仕向けたんですが。
働き方改革と言えば、ワテも口では働く人の為の改革と言いましたが、全くのウソでんねん。
全部財界の要望でんねん。全部ではありまへんな、残業時間の制限とか一部は労働側の要望も取り入れて国民を丸め込んでおいて、高プロとか裁量労働制の枠拡大とかの財界の強い要望にも応える。国民は割と簡単に騙せますねん。
今、戦後最大の好景気で、失業率も低下し有効求人倍率も全国であまねく1倍を上回っている。
しかし、好景気なのは大企業だけで、中小企業や一般庶民はヒィヒィ言っている、しかし、そんなこたあ知ったこっちゃ無い。都合のいい数字だけを出して言葉で言いくるめておけば大丈夫。
景気がいいのは、アベノミクスで円安が進み輸出企業が空前の利益を上げているからです。
しかし、儲けた企業は投資や賃金に廻さず内部留保に廻してしまうので、内需は一向に上向かない。
求人倍率が高いのは大半が高齢者と、非正規雇用の求人が増えた為ですが、これもいい数字だけを示しておけば、国民はワテを信用してくれはる。楽なもんです。

これまでワテも、やりたい放題やって来ました。
国家秘密保護法、盗聴法、共謀罪、教育基本法の改悪、道徳授業の導入、武器輸出の解禁、
集団的自衛権の容認、原発再稼動と原発輸出、核兵器禁止条約反対・・・。
着々と戦争が出来る国作りへの環境整備が整って来ました。
口では、戦争なんてしたいとは1ミリも考えていない、あくまで抑止力ですわ、その為に社会保障費は削ってでも防衛費を増強し、自衛の為の軍事力増強に力を入れてますねんとうそぶいていますが、本当は北朝鮮を武力で制圧してやろうと思てますねん。中国とも戦ってやろうて思てますねん。
死ぬのは一般国民だけで、ワテらは痛くも痒くもありまへん。現にワテのじいさんは、戦争遂行に大いに加担してA級戦犯になりながらも、戦後、総理大臣になったんですから。
財界も、戦争になれば大いに儲かるので、ワテの尻を叩きますのや。
戦争をやりたい人間なんて、この国には一人も居ないなんて言いはしますが、本当はウソです。
軍需産業は儲けたくて仕方ないんです。
苦しむのは弱い立場の女、子供、戦争に借り出された一般人であり、特権階級は高見の見物を決め込んでいればいいだけですし、仮に何か責任が問われても、ゴマカセるんですねん、この国では。今まで上の人間は誰も責任なんて取っていないでしょ。
下の者に責任を押し付ける事は得意でも、上の者は責任なんて取らなくていいんです。
切腹でもすればまだ悪いながらも潔しと言う事になるんでしょうが、そんな潔さなんてワテらの辞書にはありまへん。

これら全部、ワテの目指す強い国作り、国民に戦前の様な忠君愛国、滅私奉公精神を植えつける為の手段でしてん。
それに対して、もし批判する輩がおっても、私の取り巻きの連中が、あれは左翼だ、反日だ、非国民だと言って潰してくれる。
沖縄でも、そう言う宣伝をバンバンやって、国に逆らう連中は潰して来ましたんや。
適当にアメもなめさせて。
ワテはそもそも坊ちゃん育ちですから、庶民の気持ちなんてものは分かりまへんし、分かろうとも思いまへん。
何の苦労もしてまへんし、学校でロクに勉強もしてまへん。
ただ、喋るのは子供の時から得意でしてん。ウソも100遍言えば本当になるとのナチスの宣伝相のゲッペルズの教えの通り、ウソでも自分で本当と信じ込んで、口で相手を言い負かして来ましたんですわ。
首相になった今でも、自画自賛でウソばっかり言ってますが、国民は簡単に騙せましたんや。
本当にもう一歩の所まで来てました。
じいさんと私の夢である自主憲法制定も、必ずやり遂げる積もりでやって来ました。
憲法9条を骨抜きにして死文化させれば、国民の大半は現憲法に固執する必要が無いと考えて自主憲法制定に賛成してくれる。
現憲法はアメリカの押し付けだから、独立国としては自主憲法が必要なんだと言っていますが、これも本当はウソです。
戦後の多くの日本人が、これまでこの憲法を誇りに思い、大事にして来たのですから、立派な日本の憲法なのです。今はアメリカ自身が9条を無くして軍事力を増強し、アメリカの負担を軽くする様に言って来ているのですから、今憲法を改正したらそれこそアメリカの押し付けに屈した事になるんですが、そんな事は一切表には出しまへん。
いつもはアメリカ様様と言いながら、この憲法についてだけはアメリカの押し付けに屈せず独立国として自主憲法を制定しようと呼び掛けて来ましたんや。
まあ、これを2枚舌とか御都合主義とか言うんでしょうな。

しかし、もうあきまへん。
森友、加計問題で支持率が急降下し、5パーセントになってしもうた。
森喜朗さんの時と一緒ですわ。
こうなったらもうあきまへん。
自民党内が言う事を聞かんようになった。下駄の雪の公明党も一緒。
みんな我が身可愛さで、表だってワテの事を批判して来る。
今まではヘイコラしていたくせに、ワテに付いていたら次の選挙で負けるかも知れんと、みんな手のひら返しですわ。
こうなったら、もう引退するしかおまへん。
ワテは反省なんかしてまへんで。前回もそうでしたが、ワテは引き際は早いんですわ。
一度引っ込んで、又次のチャンスを待ちますわ。
ほな、サイナラ


フンセン首相
「ワシも、実は国民の為でなく、自分と自分の家族の為、そして人民党の為に政治を私物化してきた」

こっちは日本語や

「30年以上この国を牛耳って、独裁政治を押し進めて来た。民主主義を謳いながら実際は民主主義を蹂躙して来た。私服を肥やし、ワイロを横行させ、国民には貧しさを強いて来た。選挙で不正を働き、敵対勢力は力で潰して来た。去年は野党・救国党の党首・ケムソカを国家転覆罪の容疑を掛けて逮捕し、その救国党そのものを解散させたし、政権に批判的な英字新聞社「カンボジア・デイリー紙」や複数のラジオ局を潰してやった。しかし、ワシもこれまでだ。何故なら、国連が介入して来た。今までの選挙の不正の証拠を握られて、今年7月の総選挙で選挙監視団を送ると言って来た。そうなったら、もうおしまいだ。幾ら中国の力を借りようとも、国連の目を欺く事は不可能だ。こうなったら潔く引退する。これがワシの美学だ。ほな、サイナラ


ウヒョッ、2人だけかと思ったら、トランプさん、プーチンさん、習近平さん、キムジョンウンさん、シリアのアサドさん・・・。大統領だけで無く、フランスの極右政党のルペン党首など、世界の名だたる強権政治家が、みんな国民に謝罪している・・・・


ガタッ、
何やねん、人が気持ちよお寝て、ええ夢見てたのに。
クソッ、今日は4月1日か。





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  1. 2018/04/01(日) 12:43:27|
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「博物館に遂に日の丸が掲揚されました」の巻

2018年3月18日(日)  

皆様、長い間ブログをお休みして、申し訳ありませんでした。
2月7日に一時帰国してから丸1ヶ月日本で過ごし、3月7日にカンボジアに戻って参りました。
その後もバタバタしていて、ブログ再開が今頃になってしまいました事、お詫び申し上げます。
日本に帰国している間は、あったかい(もとい、暑い)カンボジアで怠惰な生活をしていた私に神が試練を与えているのか、滅茶苦茶寒かったです。
そしてカンボジアに戻ると、今度は滅茶苦茶暑い。
ホントに、身体が付いて行きません。
幸い入院中の父親は、帰国中の2月25日に93歳の誕生日を迎える事が出来、その後も生き続けています。
でも、点滴だけで生かされている為、恐らく近い内に又日本に帰国する事になるでしょう。



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さて、今回のブログのテーマは、その帰国中に博物館に「日の丸」の旗が掲揚された事についてです。
 私にとって、博物館に「日の丸」を揚げる事は、2011年8月にボランティアガイドをし始めた時からの悲願でした。
博物館には従来、カンボジア国旗に加えてアメリカ国旗、オーストラリア国旗、そしてカナダ国旗が掲揚されていました。
アメリカ国旗は、アメリカ人夫妻のビルさん、ジルさんがアキラ氏の活動を全面的に支え、地雷撤去団体CSHDの活動資金の大半を工面している為、それを顕彰して。
オーストラリア国旗は、オーストラリア人グループの「ベトナム戦争退役軍人の会」が、アキラ氏を金銭面、地雷撤去活動面で支えている事を顕彰して。
そしてカナダ国旗は、カナダ人のリチャード・ヒトーシ氏がカナダにNGO団体を作り、そこが今の2代目の博物館を2007年に建設する際大きな役割を果たしてくれた事を顕彰して。
しかし、そのカナダのNGO団体は、建設には協力してくれたのですが、その後の運営には一切関わっていないので、カナダ国旗は一旦下ろしていました。
ですから、私が帰国する前の2月7日の時点では、揚がっていた国旗はカンボジア国旗、アメリカ国旗、オーストラリア国旗の3本だけでした。

ところが、3月7日にカンボジアに戻り博物館に出て行くと、何と新たに「日の丸」と、韓国国旗、それに一旦下ろしていたカナダ国旗の3本が追加されていたのです。

実は日本人も、もう20年以上前から色んな個人、団体がアキラ氏を支援して来ていました。
しかし、それぞれが個々バラバラで単発的だった為、「日の丸」は揚がっていませんでした。
支援していないなら兎も角、支援していながらそれが表に表れていないのが非常に残念なので、何とか継続的な支援をする事で日本の支援を表に表したいとの願いから、私は2012年に「アキラ地雷博物館・日本人応援団」を作って、日本人の皆様に御協力をお願いして参った次第です。
応援団員1000人を目指し、毎年アキラ氏に1000万円強のお金を活動資金として提供したいと言うのが私の願いでした。
それが実現した暁には、博物館正面に「日の丸」が掲揚されると信じて。

前にも書きましたが、「日の丸」そのものは、私は好きではありません。
若い人には分からないかも知れませんが、「日の丸」は戦時中(と言っても、私も戦後生まれではありますが)この旗で国威発揚を図った軍国主義の象徴であり、「君が代」を唄いながら「日の丸」を掲揚する事で、天皇陛下即ち国家の為に命も惜しまず戦う事が国民の務めだと教えたのです。
ですから、「日の丸」そのものには私は抵抗を感じるのですが、そうは言っても、日本人の支援を端的に表すには「日の丸」以上の物は思い浮かびません。
そこで、いつかは博物館に「日の丸」を揚げたいと願って来たのです。

韓国旗は、3年程前から韓国のある宗教団体がアキラ氏を支援する様になったので、「日の丸」を揚げると同時に揚げた様です。
カナダ国旗も同様です。

日本の旗が揚がったのは、私がこれまで頑張って来たからです・・・・
ナンチャッテ、ウソです。
アキラ氏に聞いても詳しくは教えてくれないのですが、ビルさん、ジルさんを始めとする博物館のスタッフが協議して、3月1日頃揚げたらしいのですが、私が帰国している間に揚げたのは、「川広の存在は大した事は無いけど、まあ、多くの日本人がこれまで応援して来てくれたからね」ってなもんで、日本人全体に対する感謝のメッセージでしょう。
そして、日本の旗を揚げるなら韓国旗とカナダ国旗も一緒に揚げようとなった様です。
まあ、川広が出て来た時に泣かせてやろうと言うのもあったかも知れませんが。

何れにしても、大変嬉しい限りです。
私にとって、7年間の念願が叶ったのですから。
でも、「アキラ地雷博物館・日本人応援団」の活動は、勿論これからも続けて行きます。
アキラ氏の活動資金は、まだまだ十分とは言えない上に、今年から、ビルさんがこれまで毎年受け取っていたアメリカ政府からの支援金10万ドルが、アメリカ第一主義のトランプ大統領によって、カットされると言うのです。
それだけに益々、我々日本人の出番が求められています。
何としても応援団員を1000人に増やし、毎年アキラ氏に1000万円強の活動資金を提供したい。
この思いは、「日の丸」が立った今、益々強くなっています。
どうか、皆様の御協力を、強くお願いする次第です。




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  1. 2018/03/18(日) 23:12:50|
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アキラ氏、日本のテレビ取材を受けるの巻

2018年2月4日(日) 

今の時期、日本は例年以上に寒く、雪で全国各地大変な事になっていますね。
カンボジアは反対に暑くて大変なのですが、でも今や当たり前になってしまった異常気象で、この時期(11月頃から5月頃まで)は乾季にも関わらず、先月には随分雨が降りました。
日本の皆様に、乾季だから雨の心配はしなくて大丈夫とは言えなくなってしまいました。

さて、前回のブログの続きを書きます。
先月17日からコッコンという海に面した州に旅行に出掛けましたが、19日にアキラ氏に日本のテレビ取材が入っていた為、アキラ氏、ビル氏、私の3人は皆と別れて飛行機でシェムリアップに帰る事にしていました。
しかし、その飛行機が予定通り飛ばなかった為に起こる様々なハプニング。
それを書きますね。

18日の昼頃、私宛CSHDスタッフのソーパーリから電話が入って、翌日の飛行機の出発時刻が3時間遅れると言って来たからドツボにはまってさあ大変(どじょうが出て来てコンニチハ、ああ、コリャコリャ)。
19日は、午後2時半にシェムリアップ空港に到着し、そこから迎えの車で博物館に行き、3時半から博物館でアキラ氏のテレビ取材を受ける段取りだったのですが、シェムリアップ空港に到着するのが午後5時半になってしまうので、博物館での取材は無理。
そこで、今回のテレビ取材の話を持ち掛けてくれ、テレビ局と我々の間を取り持ってくれているシェムリアップ在住のテレビコーディネーターの方に電話して、取材時間と場所の変更を相談し、CSHDの事務所だと空港から車で30分で着けるので、では、事務所で夕方6時から取材を受ける事に変更致しましょうという事になりました。

そして19日の朝は6時に起床し、子供達と一緒に朝食を摂った後、一旦子供達と共にホテルから程近い観光地に車で出掛け、我々3人だけ9時過ぎにホテルに戻って来ました。
そして、10時にアキラ氏が手配したタクシーで空港のあるシアヌークビル(コンポンソム)に向かう事になるのですが、これが又大変。
アキラ氏がタクシーと称したのは、普通のタクシーで無く、何と乗り合いタクシーだったのです。
ワゴン車で、我々が乗り込んだ時に既に10人位が居ましたが、途中まだ数人乗り込んで来て、もう初日の朝のギュウギュウ詰め以上でした。
この状態で空港までの200キロを走ったのですから、もう完全にグロッキー。
やっとの思いで空港に到着したのが14時20分。
途中食事休憩が有りましたが、それを引いても4時間近くその状態を堪えた事になります。
16時半発だったのでまだ少し余裕が有りましたが、早々とチェックインを済ませ、16時に搭乗口に行きました。
すると何たルチア。
出発が更に遅れて17時だと言うのです。

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これでは、シェムリアップ空港到着は18時と言う事になります。
もう、頭はグデングデンの酔っ払い状態。
又、コーディネーターの方と、空港に出迎えに来てくれるアキラ氏の友人のドライバーのバーンに電話する羽目となりました。
結局アキラ氏の取材は、空港近くのレストランで行う事に再度変更。
そして、飛行機に乗り込んだら、今度は17時発の筈が16時40分には離陸するではありませんか。
もう訳分からん。
又しても二人に電話。
そんなこんなで予定が二転三転した後、やっとシェムリアップ空港に17時40分に到着し、そこからバーンの運転する車で一行の待つ「ピョンヤンレストラン」に向かいました。
そう、「ピョンヤンレストラン」と言うのは、北朝鮮のやっているレストランです。
カンボジアは北朝鮮とも国交があるので、プノンペンにもシェムリアップにもこうしたレストランがあり、毎晩美女軍団によるショーが行われています。
私も、ここには5年程前に来た事がありますが、今回が2度目の訪問。
そして、ここで待ち受けていたのがテレビ局のクルー10数名とテレビ界の大御所2人。
その大御所2人とは・・・
パンパカパーン。さあ、名前を発表致します。
何と、あの池上彰さんと宮崎美子さんだったのです。
どうです、ビッグネームでしょ?
この一行は、実はこの後20時半頃出発の飛行機でプノンペンに向かうので、もう余り時間がありません。
それでも、何とか「ピョンヤンレストラン」で一緒に食事し、ショーを見て、そして当初の予定ではアキラ氏にインタビューするのが池上彰さんと宮崎美子さんだったのですが、2人は朝からあちこち駆けずり回り、博物館にも15時半に行って取材しているのでもう疲れ果てているとの事で、結局レストランの外の駐車場でアキラ氏にマイクを向けたのはテレビ局のディレクターでした。

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そして、テレビ取材が終わってレストランに戻ったら、何と池上彰さんと宮崎美子さんはもう既に空港に向かうマイクロバスに乗り込んでいるではありませんか。
一緒に食事したと言っても、我々と池上さんらの席はかなり離れていて、2人がアキラ氏に挨拶に来た後は全然2人と話していません。
ゲゲッ、このまま別れては一生悔いが残ると思い、無理を言って記念撮影をお願いしたら、2人とも気さくに応じてくれバスから降りて来てくれたので、まあ余り話は出来なかったとはいえ、良しと致しましょう。
本当は、ミーハーの広島の田辺美穂子さんの為に、サインをお願いする積りでいたのですが、それはさすがに諦めました。


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アキラ氏は、これまでも何度か日本のテレビに出演しています。
古い所では、2007年に俳優の向井理がやって来てアキラ氏にインタビューした「世界ウルルン滞在記」とか島田紳助が司会をした「世界バリバリバリュー」、その他NHK始め結構取り上げられていたのですが、最近は余り出ていませんでした。
まあ、2年前の2016年1月に、ビートたけしと所ジョージが司会した「世界まるみえテレビ特捜部・神わざスペシャル」と言う番組の中で、アキラ氏が単独で素手で地雷撤去している昔の映像が使われはしましたが。
そんな訳で、外国メディアはよく来ていますが、日本のテレビは久し振りでした。
でも、久し振りに来たのが誰あろう池上彰さんと宮崎美子さんだった訳ですから、これは多くの日本人視聴者の方に見て頂ける事でしょう。
アキラ氏を今まで知らなかった人にも知って頂ける、絶好の機会となります。
まだ番組名は公表出来ませんが、恐らく6月に放送されると思いますので、その時が来ましたら又このブログで発表致しますのでお楽しみに。


さて、私は今月7日にカンボジアを出発して、また1ヶ月程日本に帰ります。
昨年の11月23日から1ヶ月日本に帰りましたが、今度も父親の病気見舞いといった所です。
その為、また暫くこのブログはお休みさせて頂きますが、悪しからず御了承下さいませ。




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  1. 2018/02/04(日) 19:41:04|
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リリーフセンターの子供達と「コッコン」への小旅行

2018年1月21日(日)

毎年のこの時期には、リリーフセンターの子供達の研修旅行(field trip)があり、私も極力同行しています。
これまでもブログで紹介していますが、いつも子供達から元気を貰っています。
     2012年12月16日「モンドルキリ研修旅行」
     2016年2月21日「リリーフセンター研修旅行」
去年はたまたま日本に帰っていた時期だったので参加出来ませんでしたが、一昨年はベトナム、ラオス国境近くのラタナキリ、モンドルキリ方面に行きました。
そして今回は、1月17日から20日までの3泊4日の日程で、タイ国境近くの「コッコン」へ行きました。(実際は、私は19日には皆と別れてシェムリアップに帰るのですが)
「コッコン」と言う地名は一応知ってはいましたが、私にとって行くのは初めて。
そして、この「コッコン」には、何と海がありました。
カンボジアは日本の半分位の面積の国で、周辺をベトナム、ラオス、タイに囲まれています。ですから、海(南シナ海)に面しているのは南西部の極僅かな地だけです。
「シアヌークビル(コンポンソム)」と言う地が海に面していて、リゾート地として有名なのは知っていましたが、この「コッコン」が海に面しているとは全く知りませんでした。


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17日、朝5時にワゴン車3台に分乗して、シェムリアップの別々の場所から同時に出発しました。
2台は30人近くの子供達と子供達の先生のローウィンとチーの男女2名を乗せて博物館から出発。
もう1台はシェムリアップのビルさん、ジルさん夫妻の家から出発。
ビルさんは博物館で英語でガイドをし、ジルさんはリリーフセンターの子供達に英語を教えている人で、又、ネット上に「ランドマイン・リリーフファンド」を作ってアキラ氏の活動資金の大半を捻出しているアメリカ人夫妻であり、この2人無くしてはアキラ氏の活動も立ち行かない位の大きな存在です。
私は4時15分にシェムリアップのビルさんの家に集合と伝えられていたので、4時に住まいのゲストハウスを出てトゥクトゥクでビルさんの家に行きました。
そこには既に、ウェイ、スレイトーイ、スレインの3人の子供達が来ていました。
この子達は、一昨年高校を卒業と同時にリリーフセンターを離れて、今はシェムリアップの大学に通っています。
今回の旅行には、この3人と、後で合流するプノンペンの大学に通っているサーイの4人がOB,OGとして参加しました。
やがてビルさん、ジルさんが起きて来て、その後博物館のスタッフのソクンティア夫妻が幼子2人を連れて到着し計10人が1台のワゴン車に乗り込んでビルさんの家を出発。
途中ソクンティアの奥さんの両親を拾ったので計12名となり、荷物も一杯なのでかなりのギュウギュウ詰め状態。
でもこんなのはカンボジアでは当たり前、と言うよりまだ良い方かも。
しかし、この状態で2時間以上走ったので、車を降りた時には腰や首が曲がったままで正にエビさん状態(どんなんや)・・・暫く元に戻りませんでした。ハハハ
7時半に、コンポントム辺りの河畔で他の2台と合流し、そこで持参の弁当で朝食タイム。
8時に、3台揃って国道6号線を一路プノンペン方面へ向けて出発進行。
ここからは、ウェイ、スレイトーイ、スレインの3人が他の車に乗り移ったので、グッと楽になり、エビさん状態からやっと解放されました。ヨカッター
でも、これよりずっと後に、またエビさん状態を強いられる事になるのですが、それは後程に・・・。

シェムリアップからプノンペンまでの距離が約300キロ。
そのプノンペンの街に入る少し手前を右折して、コッコンに向かいます。
ここからは私にとって全く未知の道
何処をどう走っているのかさっぱり分からないまま、昼食タイムに。
立ち寄った食堂で、ウェイらの同級生でプノンペンの大学に通っているサーイが合流しました。
この子はとっても明るく元気な女の子で、せっせとみんなの給仕をやっていました。

食堂を出た後何箇所か立ち寄り、やがてコッコン州に入り、綺麗な浜辺に到着。
恐らくここまでの距離が、シェムリアップからおよそ600キロ位ではないかと思います。
時間は夕方の5時半。
その浜辺に車を止めて暫く遊び、やがて5台のモーターボートに乗り込んで向かいの島に渡りました。
島の名は、ウェイが言うには「キングアイランド」との事でしたが、後でネットで調べても出て来ませんので、真偽の程は分かりません。
その島の民宿に泊まる事になるのですが、ノーテンキな私はその事を全く知らなくて、私は車から降りた時に写真に夢中になっていた為皆が荷物を持ち出した事に全く気付かず、手ぶらのままモーターボートに乗り込んでしまいました。
15分位で島に到着し、モーターボートから上陸した所が民宿(まあ、船宿ですねえ)で、皆が大きな荷物を持っているではありませんか。その時になって初めてここに泊まるんだと気付いたのですが、後の祭り。
私は、旅の初日は着替えも洗面道具も一切無いまま過ごす事になりました。
ホントにドジな私です。
でもまあ、これ位のドジは私にとっては日常茶飯事なので、まあ良しと致しましょう。

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その島で一泊し、翌18日にはその島から別の島へ渡って海底探検。
ここいらの海は本当に綺麗で、肉眼でも海の底が見えるのではないかと思う位ですが、子供達は救命胴衣を付けて海に飛び込み、水中眼鏡で海の中を観察します。
子供達だけでなく、チー先生など大人も大はしゃぎで、何度も海に飛び込み私に写真を写せとせがみます。
私はデジカメに塩水が掛かっては大変と拒むのですが、あまりのしつこさに根負けし、いつの間にやらバシャバシャと写真を撮っていました。


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10時過ぎに泊まった島に戻り、シャワーを浴びてから車を止めている浜辺に上陸し、そこからコッコン州の他の場所の見学に向かいます。
夕方、「マングローブ・サンクチュアリイ・リゾート」へ。
そこは広大なマングローブの林で、これぞ熱帯とも言うべき場所でしたが、ここでアキラ氏が合流。
アキラ氏は地雷原に行っていたのですが、子供達の為に飛行機でこの地にやって来て、このマングローブ林に颯爽と登場したと言う訳です。
これまで、研修旅行にアキラ氏が参加した事は私が知る限り無いのですが、今回は特別と言う訳でした。
しかし、折角無理をしてやって来たアキラ氏ですが、たった一泊しただけで、私と一緒に翌19日にはシェムリアップに帰る事になるのですが、その話も後程に・・・・。


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その日の夜は、全員で浜辺で22時頃迄楽しく過ごしました。
子供達は日が暮れてもサッカーをする子、集団でゲームをする子、水と戯れる子、カラオケに興じる子、ダンスをする子、それぞれに楽しみ、大人達は缶ビールで大宴会。
アキラ氏もカラオケで何曲か歌っていました。
しかし私はと言うと、ビール片手に皆とワイワイ騒ぎながらも、頭の片隅である事に気を揉んでいました。


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それは、翌日の段取りでした。
実は10日程前に、シェムリアップ在住で日本のテレビ局のコーディネーターをやっている方から「アキラ氏のテレビ取材をさせて欲しい」との依頼を受け、それが旅行中の19日であった事から最初は断ろうと思ったのですが、アキラ氏にインタビューをしにやって来る人が日本のビックネーム2人だった事から、これはアキラ氏の日本でのPRにもって来いだと思い直し、アキラ氏を説得してこの取材を受ける事にしたのです。
そして、19日にアキラ氏とビルさん、私の3人が、シアヌークビルから飛行機でシェムリアップに戻り、午後3時半から博物館においてテレビ取材を受ける段取りだったのですが、何と航空チケットを予約してくれていたスタッフのソーパーリからお昼頃電話が入り、明日の飛行機の出発が3時間遅れると言うのです。
さあ、どうしたものか。
この後、先方のテレビコーディネーターの方やらシェムリアップの空港に迎えに来て貰うドライバーのバーンとの電話対応に追い捲られ、又、翌日になったらなったで次々と困難な状況に追い立てられるのですが、この続きは次回のブログに回します。
日本の超大物2人の名前も次回明かしますので乞う御期待。チャンチャン



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  1. 2018/01/22(月) 11:33:31|
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