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川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

「カフェHOC」開店4周年記念パーティに参加の記

2019年2月17日(日) 

寒い日本とは裏腹に、カンボジアでは毎日暑い日が続いています。
12月、1月は朝晩は結構涼しかったのに、今は夜中でも暑い毎日。
例年、3月、4月が一年中で最も暑い時期なのですが、今年は少々フライング気味です。

そんな中、4日前の2月13日(水)に、仲間3人と一緒にシェムリアップから西南約180キロの地バッタンバンに行って来ました。
このバッタンバンの地で、2009年からカンボジア人僧侶と一緒に孤児院を運営している岩田亮子さんが、その孤児院の自立プロジェクトの一環として、又、卒業生の雇用の場として立ち上げた「カフェHOC」の開店4周年記念パーティに出席する為に。

岩田さんの事は日本のテレビにも何度か取り上げられていますし、このブログにも数回登場頂いていますので、ご存知の方も多いと思います。
又、「アキラ地雷博物館・日本人応援団」の団員でもあり、応援団の呼び掛け人7人の内の1人としてプロフィールとメッセージを私のHP「アキラ地雷博物館・日本人応援団」の方に寄稿して貰っていますので、そちらを御覧頂くという事でこの場での詳しい紹介は割愛致しますが、兎に角凄い人です。

その岩田さんを訪ねて、2月13日の朝8時発のメコンバスに乗り込み、一路バッタンバンを目指しました。
一緒に行ったのは、カンボジア人の若い仲間のダリスとサッチャー。この2人とは、昨年5月にも一緒に「カフェHOC」を訪問しています。
もう1人は今井さんと言う日本人で、バッタンバンに1年間住んだ後、先月31日にシェムリアップに引っ越して来た人で、農業と水の浄化活動でアキラ氏を応援してくれているNPO法人「風のクリキンディ」の代表です。
この3人と一緒にバッタンバンに到着したのが午後1時。
普通なら、途中休憩を入れてもバスで3時間半位で到着する筈なのですが、何で5時間も掛かったかと言うと、途中で警察の検問に引っ掛かってしまったのです。
今まで、バスの故障により何時間も遅れたと言うのは何度か経験がありますが、検問で止められて何時間も到着が遅れたのは初めての経験です。
説明が無いので詳細は分かりませんが、サッチャーが言うには税金のステッカーを警察が指さしてドライバーに説教していたとの事なので、恐らくこのメコンバスの車輌が税金を滞納していたのでしょう。
まあここは、ユルさが売りのカンボジア。
これ位の事でピリピリしていたのでは、生きて行けません。
幸い、パーティは夜なのでのんびりとバスが動き出すのを待ちました。
乗客の多くは外国人でしたが、誰一人ドライバーや警察に食って掛かるでも無く、皆んなカンボジア慣れしているのか外に出てトイレを借りたり、タバコを吹かしたりしていました。
日本だったら、大変な事になっていたでしょうが・・・。
そんなトラブルを乗り越えて目的地バッタンバンに到着し、食事の後花屋に寄って、お祝いの花束を用意して「カフェHOC」を訪問したのが午後3時。
岩田さんを始めとするスタッフや日本から応援に駆けつけたメンバー数人が、7時から始まるパーティの準備に追われていました。
岩田さんに挨拶だけして、我々は直ぐにホテルに行ってチェックインし、私とダリスとサッチャーはバッタンバン観光に出掛けました。
と言ってももう何度も来ているし、時間も余り無いので行った先は「ワイナリー」と「コットンクラブ」だけでしたが。



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「コットンクラブ」は前にも一度訪問した事がありますが、元NHKの社員であった日本人の古澤敦さんが、地雷原を綿花畑に変えてオーガニックコットン製品を作って販売する事で、カンボジア人の雇用を生み出す為に立ち上げたNPO法人です。
その2箇所の見学を終えてホテルに帰り、7時キッカリに「カフェHOC」に参上しました。



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その時には客はまだまばらでしたが、その後大勢が押しかけてやがて満席となりました。
日本人だけでなく、10人近くの外国人の姿も見られました。
日本人は、カンボジア在住者だけでなく、この日の為にわざわざ日本から駆け付けた人も居まして、その中には岩田さんの90歳のお父上と、岩田さんの同級生、そして全国各地の岩田さんのファン総勢20名の方が、参加されていました。
4年間の活動ビデオ上映から始まり、子供たちの合唱やら日本からの応援団の方々の出し物、コマ回し、ビンゴゲームも有りました。
2時間余りの楽しい一時でした。食事も堪能しました。
参加者全員が岩田さんの活動を讃え、カフェ開店4周年を祝福していました。

この日が開店4年目と言う事ですから、オープンしたのは2015年2月13日です。
私は、開店直前でまだ工事中だった2015年1月と、2017年2月、2018年5月にこのカフェを訪れていますので、今回が4度目という事になりますが、来る度に料理の種類も増え、アイデアを次々と取り入れて、地域の皆様に愛されるカフェとなっている様に思います。
岩田さんの、カフェに掛ける熱い思いが伝わって来て感動しました。



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パーティの翌日の14日には、岩田さんと、日本から応援に駆け付けた20人の一行がチャーターしたバスに便乗させて貰って、一緒にシェムリアップに帰って来ました。
そして、レストランで昼食後、博物館を案内致しました。
岩田さんが博物館に来られたのは、これが2回目でしょうか。
前には、HOCの子供たちを一緒に連れて来てくれて、リリーフセンターの子供たちとの交流を深めて貰いました。



無題



岩田さんと私は同い年の65歳。
どちらが先にくたばるかは分かりませんが、生きている限りお互い今の活動を続けて行きたいものですねえ、岩田さん。
まあ、活動の内容は月とスッポンで、私がやっている事は岩田さんの足元にも及ばず、飲んだくれの日々ではありますが。ウガー




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  1. 2019/02/18(月) 00:00:47|
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2つの結婚披露パーティ

2019年2月4日(月) 

今日は、日本は立春ですね。
暦の上では春でも、実際は今が寒さのピークでしょう。
インフルエンザが流行っている様ですから、皆様、どうぞくれぐれもご用心下さい。

カンボジアは明日5日が中国正月(旧正月、春節)ですので、今日から3、4日間は中国系カンボジア人の家ではあちこちでパーティが行われるでしょう。
街には獅子舞も繰り出し、あちこちで爆竹が鳴らされます。
でも、カンボジアは日本と違ってとにかく暑い。
1月1日の正月も、この中国正月も、そして4月のクメール正月も、日本の正月とは雰囲気が全く違います。
ただ、昼間っから誰に遠慮する事無く、堂々と酒が飲めるのはどちらも同じ。
だから、正月は大好きです。

もっとも、カンボジアに来てから年中大酒を食らっている私としては、正月だからと言って特別な感慨が有る訳ではありません。
普段のパーティと同様、呼ばれれば、ただ酒目当てに何処へでもホイホイ出掛けます。



しか~し、結婚パーティとなるとちょっと事情が違います。
ただ酒と言う訳には行きません。
カンボジアも少しずつ物価が上がっていて、祝儀も、日本人相場として昔は10ドルか20ドルだったのが、今は普通で30ドル、少し近い関係だと50ドル必要です。
前回のブログでも書きましたが、今は結婚式シーズンでしてこの1週間で2つ、親しい人間の結婚披露パーティに出席しました。

1月30日(水)と昨日2月3日(日)に。

前者がアラのパーティでした。
アラは、子供の時爆弾で右腕を失い、アキラ氏の作ったリリーフセンター(養護施設)で育てられ、今はCSHD隊員としてアキラ氏の下で地雷撤去活動をしている29歳の若者です。
私が2011年3月にカンボジアに来た時はまだ事務所スタッフをしており、7月から約1年間、他の4人のメンバーと一緒に日本語を教えた内の一人です。
2013年10月に開いたアキラ氏の日本講演(京都、大阪、岡山、東京、福岡)では、アキラ氏と一緒に日本に連れて行きました。



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そして、後者がカリヤンのパーティでした。
カリヤンは、アキラ氏の義兄であるヨンさんの娘で、美人3姉妹の長女です。
私が地雷博物館でボランティアガイドを始めた当初からスタッフとして働いていて、別れた前の夫との間に2人の子供が居ます。
詳しい事は知りませんが、私が帰国していた2014年か2015年に離婚して、上の女の子は前夫が引き取り、下の男の子をカリヤンが引き取った様です。
ですから、今回は再婚です。
私もバツ1ですが、カンボジアでもバツ1は多く、それどころか私の周りにもバツ2、バツ3、中にはバツ4の猛者も居ます。
離婚する事のハードルは、それ程高く無い様です。



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そんな2人の結婚式が立て続けにあり、私も大変嬉しくて幸せな気分に浸ったのですが、酔いが冷めた後で襲って来るこの胸の疼き、切なさたるや。
その正体は・・・タケオで暮らす嫁と娘との今後1年の別居生活?
イヤ、イヤ、飛んで行った100ドルでしょう、
セコっ。




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  1. 2019/02/04(月) 20:47:32|
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博物館への道程

2019年1月20日(日) 


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      Happy Honeymoon


嫁が、今月4日から1週間、遠くタケオの地からシェムリアップに出て来て、束の間のハッピータイムを過ごしたのですが、我が幸せに留まらず、今月は他人が一杯幸せの瞬間を迎えています。
そうなんです。今は乾季ですから結婚式ラッシュでして、今月だけでも3人のCSHD隊員(地雷撤去チームメンバー)の結婚式があります。
既に2つ終えていて、30日には2013年にアキラ氏と一緒に日本での講演会に連れて行ったアラが結婚致します。
非常に嬉しい事なのですが、反面、財布がどんどん軽くなって行って年金のみが頼りの我が身には・・・・正直、辛いッ


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さて、今日のテーマは上記の前振りとは全く関係が無いのですが、「道」です。
私の住んでいるシェムリアップのゲストハウスから博物館に行くのに、行きは遺跡の中の道を通って行きます。
昔は帰りも同じ道を通れたのですが、2、3年前から帰りは何故か別の道を通らなければならなくなりました。
行きは、国道6号線からアプサラ道路に入り、遺跡チケット売り場やキョンギュー広場を横目に見ながらまっすぐ進むと、遺跡群の道に入る手前にチケットチェックポイントが在り、そこで外国人は遺跡チケットを見せなければなりません。
遺跡チケット代は、一昨年から一日券が37ドル掛かります(カンボジア人は無料)。
最初は私もチェックポイントで、遺跡を管理しているアプサラ機構の職員に止められて、「チケット不携帯の者はここを通さない」と言われたのですが、「私は遺跡を見学しに来たのでは無く、バンテアイスレイに在るアキラ地雷博物館に行くのだ」と言って何とか通行を許可され、それ以降は顔パスで通れる様になりました。


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           プラダック村に出来たチェックポイント


ところが、2、3年前のある日、そことは別にプラダック村にもチェックポイントが出来ました。そして、行く時はそこも通してくれるのですが、何故か帰りは通してくれないのです。幾ら「博物館からの帰りであって、これから遺跡見学に行く訳では無い」と言っても聞き入れてくれず、来た道を引き返して「韓国道路」を通って帰れと言うのです。
理由は、未だによく分かりませんが、まあ、距離的にはさほど変わらないし、実害は無いので指示に従って「韓国道路」を帰る様にしていました。
「韓国道路」と言うのは、正式には何と言うのか知りませんが、7、8年前に韓国政府が整備した道路なので通称「韓国道路」と呼ばれている10キロ弱の道です。
最初の頃はこの道も舗装された快適な道だったのですが、長年の風雪(雪は無いか)と車の重量に耐え切れず、2、3年前からはあちこちアスファルトが破壊されて大穴だらけの危険な道になっていて、特に夜、雨が降っている時などこの道を走ろうものなら、穴の深さが分からずに何度も転倒しかけ、又、穴に溜まったどろ水を思いっ切り顔に浴びる羽目になります。
「ええかげんにせんかい」と何度叫んだ事か。



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カンボジアにはまだまだこうした未舗装か、或いは一度は鋪装してもその後補修していないガタガタ道が数多くありますが、ここは仮にも韓国政府が整備した道路。入り口にも堂々と石碑を建てて「大韓民国が寄付をしたカンボジア・韓国友好道路」と謳っているのですから、「後々の面倒もちゃんと見ろよ」と言いたいです。
何も韓国政府批判をするのが本意では無いのですが、こうした政府間の支援事業の場合、やりっ放しが実に多い。それは日本も例外では有りませんが。
まあ、それはさて置き、この道は出来る事なら迂回したいと思っていた所、古川さんからいい抜け道が有ると教えられました。
この古川さんと言う人は、これまでも何度かこのブログに登場した事がありますが、私より1つ年上のカンボジア在住歴10年の先輩です。
兎に角物知りで、おまけに、この年代の人は私も含めてカンボジア語は殆ど話せないのが普通ですが(勝手に思っているだけかも)、この古川さんだけは例外で、カンボジア語もペラペラの達人です。
その古川さんが、韓国道路を通らず、又チェックポイントに引っ掛からずに帰る事の出来る道を教えてくれました。
それは、博物館から9キロ位南に下った韓国道路の手前1キロ位のプラダック村の中の未舗装道路で、東に行くと一ノ瀬泰造の墓に通じる道を反対に進む道です。


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   左に進むと一ノ瀬泰造の墓方面に、右に行くと東メボン遺跡方面に出られる

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      間道を抜け出た所にある東メボン遺跡
 

私は生来の方向音痴で、こんな地図にも載っていない様な道に足を踏み入れると大抵迷ってしまうので、普通なら決して一人で冒険したりしないのですが、もう2度とあの韓国道路は走りたくないとの思いが強く、意を決しました。
1回目は未舗装の道を抜けた所で案の定逆方向に進んだ為、とんでもなく大回りをする羽目になりましたが、2回目には上手く東メボン遺跡の前に出て、チケットチェックポイントの前を通らずに来た道を帰る事が出来ました。
この東メボン遺跡に通じる2、3キロの道も土埃の舞う砂利道で、決して快適な道と言う訳では有りませんが、穴凹だらけの韓国道路よりは大分ましです。
何で古川さんがこんな道を知っているのか。彼はシェムリアップ在住歴は私より短く、またこんな場所に用は無い筈なのに知っているのですからホントに不思議な人ですが、でもいい道を教えて貰って感謝で一杯です。
この道も、雨季にはどんな事になるのか今は想像も付きませんが、まあ当分この道を帰る事に致します。
我に幸あれ。


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        プレループ遺跡

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         スラスラン

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         バンテアイクディ遺跡




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  1. 2019/01/21(月) 02:12:36|
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博物館、遂にリオープン、イエーイ

2018年12月30日(日)

先週のブログで、12月20日にリオープン予定だったのに開かなかったと嘆いた所でしたが、皆さん、お待たせしました。
遂に、本当に、現実に、閉鎖からちょうど4ヶ月目の27日に「アキラ地雷博物館」が再開の運びと相成りました。
やったぜベイビー!よさこい祭りだ、ソーラン節だ、ああ、こりゃこりゃ。
何のこっちゃ。



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           許可状を手にするアキラ氏

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アキラ氏が、26日の早朝裁判所から呼び出され、正式な許可状を発行されて、そして午後1時にはお坊さんを呼んでオープンセレモニーを行い、お客様を迎え入れる準備を整えました。
そして、翌27日からお客様に入場頂きました。


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思えば、8月27日の爆発事故から丸4ヶ月。
一時は、このまま閉鎖になってしまうのでは無いかと不安になった時も有りましたが、取り越し苦労に終わって本当に良かったです。

これから又一生懸命ガイドに務めますので、皆様、どうぞ博物館に足をお運び下さい。
心より、お待ちしています。

それにしても、年内に解決して本当に良かった~
皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
ヤッホー


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  1. 2018/12/31(月) 01:44:03|
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今年を振り返って

2018年12月23日(日) 

時の経つのは何と早いことか・・・・もう10日後には新年を迎え、私も満65歳(元旦生まれなので満年齢65歳ですが、カンボジア式に数え年で言うと66歳です)。
遂に、高齢者の仲間入りと言ったところです。
もっとも、カンボジアは年中夏なので、正月が近付いていると言う実感は湧きませんが。

今年は何やかや有って、何度も日本に帰りました。
2月と5月と6月と9月と、そして最後が11月21日から今月16日までの計5回も。

何やかやと申しますのは、一つには93歳の父親が5月6日に他界しましたので、それに関連してですが、もう一つは何と言いましても私にとって人生最大のイベントであった日本全国での「アキラ氏平和学習講演会」開催の為でした。
残念ながらその肝心のアキラ氏は、8月27日に博物館で起きました爆発事故により警察に逮捕されると言う信じ難い大事件の為、9月2日から10月1日までの1ヶ月間はアキラ氏は日本に行けずに終わり、私や他のメンバーだけで日本行きを果たすと言う事になってしまいましたが。
でもまあ、既にブログにも書きましたが、アキラ氏不在の中でもそれなりの成果が上がった講演会だったと満足しています。

そのアキラ氏も、9月20日には釈放され、今は通常の生活に戻っています。
只、悲しい哉、「アキラ地雷博物館」がまだ閉じたままであり、「リリーフセンター」の子供達も戻って来ていません。

裁判所の許可が中々下りないのです。
何故下りないのか、詳しい事は書けませんが、アキラ氏が悪い訳では決して有りません。どうか皆さん、お察し下さい。

博物館への警察や裁判所の立ち入り検査もとっくに終わり、既に許可は下りた筈なのですが・・・。
裁判所とアキラ氏側との全ての交渉手続きが終わり、最初は11月初めには開館出来ると聞いていましたが延びて11月中旬となり、次に12月1日となり、更に延びて今度は12月20日、これは絶対間違い無いと思っていたのに、これもダメ。
今は、何日開館と聞いても私自身ちょっと信じられない心理状態に陥っています。
皆さんにも、「開く、開く」と言っておきながら一向に開かずで本当に申し訳なく思っています。
もう私の事を「狼少年」、いやいや「狼老人」、或いは「あくあく詐欺加害者」と言って頂いても結構です。
もう、こうなったら仕方が無い。
「開かぬなら、開くまで待とう博物館」
徳川家康の心境です。
しかし、それにしてももう4ヶ月も閉じたまま。
これ以上となると、私の精神が保ちません。
それで無くとも年を取り、肉体的衰退は勿論の事、気力もどんどん衰える一方でして、日本人応援団の活動も何処まで出来るか分かりません。
ああ、切ない、もう保たない、ああ、イヤだ、イヤだ。
と言いながらも実は、来年、東京中心に5箇所位で講演会をやろうかと密かに企んでいます。
今年、予定していた東京での講演が中止になってしまい、どうしてもアキラ氏に会いたいと仰っていた複数の方々とアキラ氏を会わせる事が出来ていません。
その方々も実は御高齢でして、そんなに先延ばしは出来ないのです。
ですから、何とか来年、アキラ氏を東京に連れて行きたいと思っています。

そして近い内、必ずや博物館も再開出来る・・筈・・ですので、皆さん、どうか今暫くお待ち下さい。



博物館の再開とは全く関係有りませんが、最後に一つ付け加えますと、今月の帰国時に、10月に結婚しましたカンボジア人の妻との入籍手続きを、私の本籍地の市役所にて無事終える事が出来ました。
65歳前に結婚すると、配偶者加給年金が加算されると言うので、今年末迄の入籍を4、5年前から計画していまして、その計画が無事果たせた事に大変安堵致しました。
これも既に発表済みですが、結婚の大きな目的は、カンボジア人妻に私の死んだ後の遺族年金を渡す事でした。
しか~し、つい先頃の新聞記事で、何と日本政府が「外国人労働者の受け入れ拡大に備え、厚生年金の加入者が扶養する配偶者について、年金の受給資格を得るには国内の居住を要件とする方向で検討に入った。2019年度中にも、国民年金法を改正する方針だ」との情報に接しました。
そうなったら、私の結婚の根本目的が覆ってしまいます。
大変なショックです。
折角、当初の計画通り、65歳前の入籍を果たせたと言うのに・・・・。

博物館の事と言い、結婚の事と言い、幸と不幸の波に翻弄され続けていますが、まあ、これが人生でしょう。
負けずに頑張りますです、ハイ。

その妻が、私の誕生日にシェムリアップに出て参ります。
一緒に住む様になるのは1年ちょっと先の予定ですが、10日後に出て来た時にはあんな事もしよう、こんな事もしようと色々計画しているところです。ウフフ。(ああ、気持ち悪い、オマエは変態か・・・。イヤイヤ、遺跡に連れて行くか、気球に乗せるかと考えています)
その時に、博物館が開館していれば是非連れて行こうと思っていますが、さあ、どうなります事やら・・・・。



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  1. 2018/12/23(日) 19:32:25|
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