川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

アキラ氏の日本語ガイド時代の写真

9月24日(日) 

先週の19日から21日まで、カンボジアはプチュンバン(日本で言うところのお盆でして、お寺にお参りしたり、田舎に帰省したりします。年によって時期が違いますので、10月の時もありますが)でして、博物館のスタッフはその前後から皆お休み。
代わってリリーフセンターの子供達が、受付やらチケットのモギリ、みやげ物店での客対応をしていました。
管理責任者の一人であるアメリカ人のビルさんも、ちょうどこの時期アメリカに帰っていて、先週出勤したのはアキラ氏の義兄のヨンさんとビルさんの奥さんのジルさん、そして私の3人だけでした。

それに先立ち博物館では、14日の夜プチュンバン突入前のパーティをやりまして、リリーフセンターの子供達とスタッフの大人達で飲めや唄えの大宴会。そして何時もの如く、皆で踊りまくりました。勿論子供達はジュースですが。
私は、最近は自粛していてそんなに飲んではいないのですが(ホンマかいな)、皆が「帰るな、泊まれ」と言うものですから、近所のスタッフの家に初めて泊まりました。
むか~し、博物館でアキラ氏の奥さんの法事をやった時(2012年2月)、酔い潰れて知らぬ間に博物館に泊まった事がありますが、それ以来でした。
この宴会の次の日当たりから、スタッフも休み始め、リリーフセンターの子供達も親が居る子は皆帰省しました。


ここで、話はガラッと変わります。
そして、ここからが今日のブログのテーマです。



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今月の初めに、博物館に来館された千葉の綿貫様と言うお客様から、アキラ氏が日本語ガイドをしていた時代の写真DVDを託されました。
それは、綿貫様のお母様が今からちょうど20年前の1997年(カンボジアのプノンペンではクーデターがあった年です。この翌年の1998年にポルポトが死に、漸くポルポト派が解散して内戦が終結します)、シェムリアップを訪問されてアキラ氏から遺跡ガイドを受けられた時の写真でした。

アキラ氏は、10歳から20歳迄を少年兵として過ごし、20歳を過ぎてから地雷撤去活動を始めます。
そして26歳の時に初代の博物館を200ドルの資金でオープンしたのですが、その資金を稼ぐ為に最初英語を勉強して、国連の「UNTAC」で英語の通訳として働き、同時に地雷撤去を手伝って給料を貰い、それを蓄えます。そして「UNTAC」が去った後は、今度は日本語を勉強して日本語ガイドの資格を取り、日本人観光客相手の遺跡ガイドをして資金を稼ぎました。
そして、その蓄えたお金200ドルで最初の博物館をオープンしたのです。

その話は、私が博物館でのガイドの中で何時もしている事なのですが、私としてはあくまで聞いた話に過ぎませんでした。
しかし、実際にアキラ氏が日本語ガイドをしていた時の証拠写真が手に入ったのですから、これには本当に感激しました。
この貴重な写真DVDを早速写真屋に持ち込んで1枚コピーを取り、私も所蔵させて貰いました。また何枚かの写真をプリントアウトして、DVDと共にアキラ氏に手渡しました。
アキラ氏は、20年前の事なのにしっかりそのお客様の事を覚えていて、来年の日本での講演会の時に是非ともお会いしたいと申していました。
その事をメールで綿貫様にお伝えした所、綿貫様の方からもお母様が来年の講演会を楽しみにされているとのお返事を頂きました。
何と、素晴らしい話でしょう。
この私の感激を皆様にお裾分けしたくて、その写真をアップ致します。
どうぞ、ご覧になって下さい。
アキラ氏がまだ24歳頃ですから、本当に若いですよ。
でも、そのほんの少し前まで、少年兵として悪夢の中に居た訳ですが。



アキラ 時代 写真 あきら ガ アキラさん ガイド時代



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  1. 2017/09/24(日) 15:51:44|
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博物館に遂に新しいトイレが完成

9月10日(日)


9月5日
9月5日にソッカホテル内「竹園」で行われた「さんさんガーデン」様主催の懇親会 



パン・パカ・パーン 今週のハイライト・・・。
なんちゃって、かなり古いか。
実はこの度、博物館に新しいトイレが完成致しました。
これまで、博物館の外の2箇所の食堂の所にそれぞれトイレがあったのですが、カンボジアのトイレというのは、概してあまり綺麗ではありません。
街中のレストランやホテルのトイレは、今は大抵洋式便器で水洗になっていますが、田舎ではまだまだそう言う訳には行きません。
昔の私のブログ「カンボジア 生きるも死ぬもウン(チ)次第」に、その辺の事情を詳しく書いていますので、爆笑しながら読んで下さい。

という事で、博物館の所在地もかなりの田舎でありトイレも決して綺麗なものでは無く、カンボジア生活に慣れた人間にとっては当たり前に感じていたものであっても、日本人や欧米人のお客様にとってはやはり抵抗があった様です。
そんな中、あのアキラ氏の日本語の先生である鬼一二三さん(応援団の呼び掛け人にもなって頂いています)から紹介頂いた愛知県一宮市のNPO法人「ふれあいサロン・さんさんガーデン」の井浪典子理事長の御一行が博物館に来られた際トイレを見られて、「折角博物館のコンセプトは素晴らしいのに、このトイレでは日本人が失望してしまい、客が減ってしまう。自分達がお金を出してあげるから、新しいトイレを作ったらどうですか」と言って下さり、その後博物館の管理責任者であるアメリカ人のビルさんと井浪理事長との間で半年近くに渡って何回かのやり取りを重ね、遂に8月15日から工事に着工し、9月4日に完成式に漕ぎ着けたという訳です。
この新しいトイレは本当に快適で、用が無くても入りたくなる(それは無いか)、そんな素敵なトイレが完成しましたので、少々トイレが近い方やお腹に自信が無い方でも、カンボジアに来られた際には安心して博物館に足をお運び頂きたいと思います。

さて、そのトイレ工事ですが、9月4日には寄贈者の「さんさんガーデン」の皆様が日本からカンボジア入りされて、博物館で完成式典を行う段取りになっていましたのに8月になっても一向に工事が始まりません。
一体何時になったら工事が始まるんだとヤキモキしていた所、8月15日になってやっと資材の搬入が始まりました。
今からで間に合うのかと業者に聞くと、「オッパニャハー(問題無い)、心配しなさんな、8月28日には完成するもんね、ブヒブヒ」と言うので半信半疑で待っていた所、案の定28日にはまだ屋根の取り付けが終わった位で完成にはほど遠い状態でした。
こりゃもう4日に完成なんて絶対に有り得ないと思いましたが、しかし、カンボジアではこれはごく当たり前で、工期なんて有って無い様なもの。
最初から期待してはダメなのです。
そうした事に神経を尖らせていると、カンボジアでは生きて行けません。
故に私も、「ええい、ままよ、なるようになるさ」と腹を括った所、その後一日一日と急ピッチで工事が進み、9月2日には「ひょっとして、何とか間に合うのか」という所まで漕ぎ着けていました。
9月3日は日曜日で私は博物館を休んだのですが、4日に博物館に来てみると、かろうじて完成形となっていました。
(もっとも、7日にまだ工事をやってはいましたが。)


8月15日 8月16日 8月17日 8月18日 8月19日 8月22日 8月24日 8月25日 8月27日 8月30日 8月31日 9月1日 9月2日 9月2日(3) 9月2日(2)


そして、その9月4日に博物館にて「トイレ寄贈式典」が厳かに開催されました。
寄贈者として「さんさんガーデン」から井浪理事長ら4人が出席され、受け手の博物館側からアキラ氏を始めとする博物館のスタッフ、リリーフセンターの子供達、ビルさん、ジルさん、添え物の私が出席し、それに一二三先生や応援団員の後藤夫妻、村長、村人、外国人支援者をお招きして盛大にセレモニー、テープカット、食事会が実施されました。
念願の新しいトイレが完成したとあって、みんな大喜びです。
私も本当に幸せを感じ、ついつい飲み過ぎてしまいました。
そして、頭が朦朧とする中でアキラ氏がマイクを握って感謝の言葉を述べている姿を見て、私は何をどう勘違いしたのか、「これはトイレの寄贈式で無く、アキラ氏が歌のCD吹き込みをやっているのではないか」と錯覚してしまいました。
オトイレ。
ちゃんちゃん、お後がよろしいようで。




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9月4日

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  1. 2017/09/10(日) 23:54:42|
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 来年の「アキラ氏日本講演会」のお知らせ

2017年9月3日(日) 

皆様、来年の日本に於ける「アキラ氏平和学習講演会」の日程が、遂に決定致しましたので、発表致します。
時期は、今からちょうど1年後の来年の9月です。
9月1日にシェムリアップを出発し、9月30日に帰って参りますので、丸々1ヶ月間日本に参ります。
しかも、今回は7人が日本に行きます。
前回2013年には、アキラ氏とアラと言うアキラ氏の下で育った24歳の青年、そして私・川広の3人で参りましたが、今回は、アキラ氏と3人の子供、そして奥さん、ポーイと言うやはりアキラ氏の下で育った27歳の青年、そして私の7人です。
前回は、京都、大阪、岡山、東京、福岡の5県で講演会を実施致しましたが、今回は北海道から沖縄まで1道8県、15箇所で実施致します。
私の人生に於ける最後で最大のイベントですので、何としても成功させなければなりません。
アキラ氏の事をより多くの日本人に知って貰う為、そして平和の尊さについて日本人に改めて考えて貰う為にこの講演会を実施致します。
皆様、是非絶大なる応援をお願い致します。



2018年9月
1(土) シェムリアップ出発
2(日) 北海道・千歳着 
3(月) 飛行機の欠航を考えて一日空ける(観光)
4(火) ボランティア団体kurikindy・大崎裕稀様(会場は北海道文教大学)①
5(水) 岡美香様②(4泊)
6(木) 札幌→東京                          
7(金) 東京ディズニーランド観光
8(土) 千葉・チームTorimitsu鳥光宏様③(3泊)
9(日) 千葉→静岡(浜松市)                      
10(月) 静岡・浜松市内の学校④
11(火) 静岡・鳥居公美子様⑤(3泊)
12(水) 静岡(浜松)→山梨(甲府市)   山梨・山本大志様⑥(1泊)      
13(木) 山梨(甲府市)→愛知(名古屋) 
14(金) 愛知・一宮のNPO法人「ふれあいサロン・さんさんガーデン」様⑦             
15(土) 愛知・同NPO法人様⑧⑨
16(日) 愛知・同NPO法人様⑩(4泊)
       (会場・名古屋大学、中部学院大学、柳津小学校、他)     
17(月) 愛知→広島                          
18(火) 広島・山崎桃様⑪(2泊)
19(水) 広島→長崎                       
20(木) 長崎で観光                                             
21(金) 長崎・NPO法人「ふれあいサロン・さんさんガーデン」様⑫(3泊)
22(土) 長崎→沖縄 
23(日) 沖縄・チームTorimitsu鳥光宏様(会場は沖縄大学)⑬                    
24(月) 沖縄観光
25(火) 沖縄観光(4泊)
26(水) 沖縄→岡山                            
27(木) 岡山・菅木智子様⑭
28(金) 岡山・中川尚子様⑮(会場は市内中学校)(3泊)   
29(土) 岡山→大阪(1泊)                 
30(日) 大阪・関空→シェムリアップ



今後、詳細が決まる都度順次このブログ、或いはホームページ「アキラ地雷博物館・日本人応援団」にて発表して参りますので、御注視下さいます様お願い致します。




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  1. 2017/09/03(日) 22:15:50|
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「プノン・クロム」での宴

8月20日(日)

この1週間も、色々な事があって大変忙しい1週間でした。
まず、先週のブログで紹介しましたが、葬式騒音が意外な展開を見せ、日曜日から3日で終わると思っていたのに木曜日まで続き、その前の3日間と合わせて計8日間連続で早朝5時半からのお経に悩まされ、睡眠不足もいいとこです。
それでなくても日頃から眠りの浅い私なのに、この近隣の葬式騒音被害の為、もう体はガタガタです。
更には、博物館に来て下さる日本人のお客様が8月になって増え始め、特に日本のお盆の13日以降は驚異的な数で、館内が日本人だらけとなったりして私はてんてこ舞い。
まあ、嬉しい悲鳴ではありますが、体はガタガタ。
更に、今週は2014年に私の後で5ヶ月間博物館でガイドをしてくれた例の田辺美穂子さんが1年振りにカンボジアにやって来て、その対応に追われたり、カンボジアの若い連中に誘われて年甲斐もなく山へピクニックに行ったりて体がガタガタ。

まあ、そんな1週間で頭がボーッとしていますが(今週に限らず普段からボーッとしてはおりますが)、頑張ってこのブログを書こうと思います。
今日のブログのテーマは、そのカンボジアの若い連中と一緒に山へピクニックに行った時の話しです。

前から約束していたので、8月16日(水)に博物館から帰った後でオールド・マーケットのみやげ物店に行き、そこでカンボジア人の女の子2人(ソンポアとダリス)と、この日初めて出会った日本人のイマオシンヤ君と4人で2台のバイクに跨り、目的地の「プノン・クロム」を目指しました。
この時まで目的地が「プノン・クロム」とは知らず、と言うか聞き間違えではあったのですが、以前誘われた時「プノン・クーレン」と聞いたつもりだったので、16時半にオールドマーケットの店に集合と言われた時には「何でや」と思いました。
「プノン・クーレン」だったら博物館の先なので、私は何もわざわざシェムリアップの街まで戻らなくても博物館で待っていれば良かったからです。
でも、結果的には「プノン・クロム」で大満足でした。
最初に誘いを受けた時、折角若い連中が決めた事なので口出ししては悪いかなと思って、「プノンクーレンには1度行った事があるんで出来たら他のこれまで行った事のない所に行きたいのは山々だけど、折角の貴方達からのお誘いなので、文句を言わずに着いて行きますです、オヨヨ」とウジウジ思っていました。
それが実際は「プノン・クロム」であり、私が以前から一度行きたいと思いながらもまだ行った事の無い場所だったのですから、ホントにラッキーでした。


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「プノン・クロム」はトンレサップ湖近くの小高い山であり、夕日の鑑賞スポットとして有名な所です。
目的地に到着すると、他のカンボジア人の若者3人が待っていて、更に後から2人の若者がやって来て全部で9人(8人の若者と1人の高齢者一歩手前の熟年の私。2人以外はみんな前々からの知り合いです)で山へ登り、曇っていた為サンセットは見る事が出来ませんでしたが、下界の景色を楽しみながら持参した料理を食べました。
まあ、日本でやる「花見の宴」の感じです。
カンボジア人はしょっちゅう、こうした野外での宴会を楽しみます。
今日の場所はまあそれなりの観光スポットではありますが、何も無い川端とか道端で、家族や友達同士が集まって食事している光景をよく目にします。
外だけでは無く家でも、パーティと称してしょっちゅう宴会をやる国民でもあります。
この日集まったのは、30代前半のイマオ君以外は、カンボジア人全員20代です。
こうした若者達が、日本の様に盛り場やゲームセンターにたむろするので無く、外に出て景色を眺めながら親交を温める。
何て健全なんでしょうか。
みんながワイワイ話に花を咲かせながら、絆を深める。
この様なカンボジア人が私は大好きです。
もっとも私が一番好きなのは、その場で飲めるビールではありますが、チャンチャン


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「プノン・クロム」での宴を終えた後、最初の4人で街まで戻り、食事後、もう1人初めて会った日本人の女子大生・オオタマユさんを加えて5人でカラオケに行き、唄いまくって一日を終えました。

本当に楽しい一日だったのですが、体はもうガタガタです。




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  1. 2017/08/20(日) 13:55:35|
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柏木先生、カンボジア来訪の記

8月13日(日)

今、部屋の外では大音量で、お経を読む声が流れています。
つい先日も、3日間に渡って同様にお経や音楽が早朝から流れ、安眠を妨害され、更にはテレビの音が聞こえない被害を被ったばかりでした。
昨日、その葬式会場前を通ったら、テントが撤収されていたのでヤレヤレ終わったなと安堵したのも束の間、今朝は他の場所で葬式が行われていて、この騒音被害です。
恐らく明日も明後日も続くでしょう。
何で、こんなに大音量で音を垂れ流すのか、近所迷惑もいいとこですが、カンボジアではこれが当たり前。
葬式だけで無く、法事でも結婚式でも他の様々な行事でも、兎に角大型スピーカーを設えて音の大きさを競い合います。
理由を確かめた事はありませんが、恐らく各々の存在を誇示しているのでしょうね。
しかし、それにしてもカンボジア人は音には寛容と言うか、我慢強いと言うか、自己チューと言うか。
日本人には耐えられません。でも、カンボジアで生きて行く以上、耐えるしか無いのです。ウウッ(涙)。

さて、先週の6日から10日まで、日本人応援団のメンバーであり、私と同郷の岡山の中学校の英語の先生である柏木信恵さんがシェムリアップに滞在され、あちこち案内して回りました。
柏木先生に初めてお会いしたのは、ちょうど1年前の去年の8月でした。
同僚の中川先生と2人でカンボジアに来られ、後で生徒に話を聞かせる為に、アキラ氏と対面してインタビューさせて欲しいとミュージアムに来館されたのが最初の出会いでした。

そうそう、アキラ氏は、日本の中学校2年生用の英語の教科書に、6年程前から記事が掲載されているんですよ。
三省堂から出版されている「ニュー・クラウン」です。
私の中学校時代は、もうかれこれ50年も昔ですが、使った英語の教科書は確か「ニュー・プリンス・リーダーズ」でした。ナチカシ~(懐かしい)
学校によって、と言うか、地域によって採用されている教科書が違うので、「ニュー・クラウン」がどれ位の割合で使用されているのか知りませんが、恐らく結構多くの学校で使用されているものと思われます。
現に、来館される人々の中に、アキラ氏の事を授業で習いましたと言う人や、教えている中学校の英語の先生が、少なからずいらっしゃるからです。

柏木先生も、そうした人達の中の一人でした。
でも、私と同郷の岡山の先生だと言う事は全くの偶然でしたが。
帰国された後、中川先生共々早々に、応援団員に登録して下さいました。
その柏木先生は、去年の12月には1人でカンボジアに来られ、その時にもあちこち案内して回りましたが、今回が3度目と言う事で、前回行けなかった所を中心に案内しました。

彼女が一番行きたかった所は、地雷原でした。
地雷原は危険な所であり、余り安易に行くべき所ではありませんが、私は基本的には行きたがっている人は案内する様にしています。
話を聞いただけでは、中々実感として分からない地雷の怖さや、撤去活動の困難な実情を身をもって体感する事により、私が博物館でガイドしている内容をよりリアルなものとして捉えて貰えるからです。
今回の地雷原は、シェムリアップから車で約2時間半のコンポン・トムと言う地でした。
近くには、先月世界遺産登録されたばかりの「サンボープレイクック遺跡」や、1993年の総選挙の時にポルポト派に襲撃されて殺された中田厚仁さんを顕彰して建てられた「アツ小・中学校」が在ります。
私はこれまで10回近く地雷原に行っていますが、今回の地雷原は、私が今まで行った事のある通常の地雷原、つまり地中に埋められた地雷や不発弾を探す現場と異なり、アメリカ軍が落としたクラスター爆弾の中の子爆弾を探す現場でした。
幹線道路からそれ程離れてなく、近くに民家が点在する普通の場所でしたが、そこら一帯では2009年から現在までで500個の子爆弾が住民によって発見され、数人の死傷者も出た様です。
CSHDの隊員17名が、今月7日から31日まで、この地で地中に埋まった子爆弾の探索活動をすると言う事でした。
我々が行った時、子爆弾では無いのですが、ちょうどヒューズの外れたパイナップル地雷が1個見つかっていて、その爆破処理を見学する事が出来ました。
隊員達と同じ防護服とヘルメットを身に着け、地雷原を歩き、この爆破現場を目撃した柏木先生は、相当衝撃を受けた様です。
それまでは相当おしゃべりだったのに、帰りの車の中では殆ど喋べりませんでしたから。




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地雷原の説明を受ける柏木先生                        隊員達との記念撮影

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見つかったパイナップル地雷                               爆破処理



この地雷原行きとは別の日には、今度は私が一番案内したい所のあの「アナコット・カンボジア」の田中千草さんを訪ねました。
田中千草さんには「アキラ地雷博物館・日本人応援団」の呼び掛け人にもなって貰っていますし、このブログにも何度か登場頂いていますが、カンボジアで活動している人の中で、私が一番凄いなあと尊敬している人です。
2012年11月11日付け 「カンボジア・アナコットの紹介」
2013年3月10日付け 「ワットボー小学校に日本のプロ歌手登場の巻」 
2013年3月31日付け 「ワットボー小学校第8回芸術音楽発表会」

因みに2番目がバッタンバンの岩田亮子さんです。
(えっ、私は2番目なのと怒っている岩田さんの顔が目に浮かびます。ゴメンナサイ、亮子さん。)
正に、「カンボジアのマザー・テレサ」と呼んでいい位の人ですが(柏木先生が、初めて千草さんに会って話を聞いた時、思わずそう呼んでいました)、まあ、その辺の事は改めて書くとして、兎に角この田中千草さんのシェルターを訪問しました。
実は、去年の12月にも柏木先生を田中千草さんに会わせようとこのシェルターを訪問したのですが、生憎本人に会えなくて、今回が初めての対面となりました。
忙しい中、家庭訪問に同行させて貰い、又別の日には学校での音楽の授業を見学させて貰い、食事もご一緒する事が出来ました。
柏木先生だけでなく、私も大感激でした。
就労支援活動、貧困家庭の救援活動の現場を垣間見ただけでも、また、タイに売り飛ばされそうになった子供を正に命懸けで救出する話や、家庭訪問先の親子の惨状を目の当たりにして、改めて凄い人だなあと柏木先生と二人して感動しまくりました。


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田中千草さんの音楽の授業を見学する柏木先生              田中千草さんとの会食



他にも、前回訪問した「ケセド孤児院」(今の名前は「hope」だそうです)に行って子供達と一緒にカレーを作って食べたり、ゲームしたり。
それから、アキラ氏の家に行ってアキラ氏や子供達に会ってプレゼントを渡したり。
勿論、博物館にも来て貰って、アメリカ人のビルさんに私が前から聞きたいと思っていた事を英語で質問して貰ったり、或いは「リリーフセンター」の子供達にジルさんが英語の授業をしている所を見学したり。
その他、日本人経営のレストラン3店舗、フルーツパーラー、みやげ物店等に行って、経営者の日本人から話を聞かせて貰ったり、そこに集まったカンボジアで活動している若者達に刺激を受けたりとか。
他にも行った所はまだまだありますが、もういい加減疲れたので止めますが、兎に角滞在期間中、目一杯動き回りました。



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食事中の「ケセド孤児院」の子供たちと柏木先生                子供たちに授業をする柏木先生 

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干し飯作りの現場を見学する柏木先生                


これは、柏木先生がカンボジアに初めて来た時からカンボジアを大好きになり、これから自分がカンボジアに対して何が出来るか出来ないかを検証する為だそうです。
嬉しいですねえ、こうしてカンボジアを好きになってくれる人が増える事が、私の喜びでもあります。

このブログを読んで下さった皆様の中で、まだカンボジアに来られた事の無い方は、是非一度カンボジアに足をお運び下さい。
私が、誠心誠意水先案内人を務めますので。



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  1. 2017/08/14(月) 02:34:52|
  2. 人物紹介
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