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川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

待望の10月になりました。

2019年10月6日(日) 

遂に、待ちに待った10月がやって来ました。
今月4日は私と妻の結婚1周年記念日・・・・いやいや、その事はどうでもいいのです。
今月26日には東京でアキラ氏による平和講演会を開催し、その後27日も東京、31日は宮城県蔵王町、11月2日は千葉県松戸市、3日は愛知県小牧市で講演会を実施致します。
私は今月23日の夜にカンボジアを発ち、24日の朝名古屋入りする予定ですが、実はアキラ氏は、妻のソカさんと一緒に既に今月2日に愛知県一宮市に行っていて、そこで現在カフェ経営やパン作りの修行を行っています。

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博物館内にカフェがオープンする話、アキラ氏がパン作りの修行をする話は、8月25日のブログ「地雷博物館内カフェ建築プロジェクト」で既に御紹介済みですが、それが現在進行中です。

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アキラ氏は23日までソカさんと一緒に修行した後、24日朝名古屋駅で私と合流し、そこから2人で奈良に向かいます。奈良で古くからの支援者宅を訪問した後、夜は大阪で別の支援者と会食します。
その日は大阪に泊まり、翌25日の午前中に別の支援者と会った後、新幹線で東京に向かい千葉県柏市のホテルに宿泊します。
そして、翌26日から講演会がスタートします。
28日は今の所フリーですが、恐らく今後の支援協力を求めての企業・団体訪問、そして知人との面談が入ると思います。
29日は、前回のブログ「アキラ氏平和講演会のお知らせ」で発表しました通り、今回の日本行きの最大の目的とも言うべき綿貫様姉妹、そしてその息子さんとの会食があります。
そして、30日に宮城県蔵王町に向かい、31日の夜にそこで講演、そして翌11月1日に東京に戻り千葉で宿泊、2日に千葉県松戸市で昼夜2回の講演、そして3日の朝、新幹線で名古屋に向かい、午後に愛知県小牧市で講演、4日は愛知県一宮市の「さんさんガーデン」さんの所で最後の夜を過ごし、5日にアキラ氏、ソカさん、私の3人で中部セントレア空港からシェムリアップに戻って参ります。
そして、翌々日の7日には、カフェのオープンセレモニーを行いまして、カフェが本格的に起動します。

忙しいですが、本当にワクワク楽しみな10月がやって来ました。
私が日本に行っている間にカンボジアの雨季も明け、カフェオープンのセレモニーは、晴れ渡った空の下で行われる事になるでしょう。




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  1. 2019/10/06(日) 19:23:48|
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アキラ氏平和講演会のお知らせ

2019年9月22日(日)

ちょうど1年前の今頃は、アキラ氏の妻・ソカさん、子供のアマタ、ミン、メタ、そして地雷被害者で現在アキラ氏の作った地雷撤去NGO「CSHD」で活動しているポーイ君、通訳のオル君、私の7人で、日本全国を講演して廻っている最中でした。
22日は、前日に長崎市ブリックホール国際会議場での講演会を終えて沖縄に移動した日です。(沖縄では講演会は中止になっていたので、観光をしただけですが)

本当は、アキラ氏が主役の講演会の筈だったのですが、日本に渡る(9月2日)直前の8月27日に博物館内で起こった爆発事故により、博物館責任者のアキラ氏本人が日本に行けなくなった為に、主役を欠いた講演会となってしまいました。
主役をポーイに切り替え、脇をアキラ氏の家族とオル君と私で固める変則的な講演会となり、又、当初19の会場で予定していた講演会ですが、アキラ氏が行けなくなった事により5会場がキャンセルとなった為、東京や沖縄を除いた14の会場での実施となりました。
しかし、それでもその14会場では、各講演会主催者の方々の強力な支えにより、何とか無事に日本の皆様に戦争の悲惨さ、平和の尊さを伝える役割を果たす事が出来、100%とは言えないまでも、ほぼ満足した形で講演会を終了する事が出来ました。

あれから1年・・・。

アキラ氏との面会を心待ちにされながらも、去年それが果たせず非常に残念な思いをされた御高齢の姉妹が千葉におられまして、その方々の御希望を何とか叶えて差し上げたいと、今年異例ではありますが、何と東京近郊での講演会を企画致しました。
異例と申しますのは、講演会を企画するのも何かと骨が折れるので、私の中では5年に1度と決めていて、最初が2013年、そして去年の2018年、次は2023年の予定でした。
しかし、先程申しました様に、アキラ氏との再会を夢見ながらもそれが果たせなかった姉妹の為に、又、アキラ氏の方も、お二人にお会いしたのはもう20年以上も前の事なのに、お二人の事をよく覚えていて、是非もう一度お会いしたいと言うものですから、だったら私がひと肌脱ごう、今年アキラ氏を東京に連れて行こうと決め、それなら良い機会だからと講演会を企画した訳です。
最初は東京だけで考えていましたが、千葉、宮城、愛知の方からも講演会御協力のお返事を頂き、最終的に下記会場での講演会を実施するところとなりました。

御高齢の姉妹とは、お名前を綿貫さんと言われて、1997年、アキラ氏が最初の地雷博物館を建てるべく、その資金稼ぎの為に日本語の遺跡ガイドの仕事をしていた時、アキラ氏から直接ガイドを受けられた方々でして、その息子さんが2017年9月に来館され、その時お母様から託された、1997年当時のアキラ氏がガイドをしている写真をスライドにしたものをDVDに収めて、届けて下さったのです。その事は、2017年9月24日のブログ「アキラ氏の日本語ガイド時代の写真」で御紹介しています。
それから又アキラ氏との交流が復活し、昨年再会する約束をしていたのですが、それが果たせなかったので今年こそ両者の約束を果たさせて差し上げたい、言ってみれば、それにかこつけての講演会と言う訳ですが、まあ、動機はどうあれ、元少年兵で今や地雷撤去のスペシャリストとして世界的に有名なアキラ氏が日本で講演会をするのですから、御用とお急ぎの無い方は是非お立ち寄り下さい。お待ちしています。

日程は下記の通りです。


① 日時    10月26日(土)13時~15時
  会場    清泉女子大学
     東京都品川区東五反田3-16-21
  集客人員  100人
  対象    大学関係者以外の方もOKです
  チケット金額  任意の募金

主催「チームTorimitsu」
   担当;鳥光宏氏(駿台予備校古文科講師)
   090-2321-6691
   Torimitsu726@gmail.com

② 日時    10月27日(日)14時開場 14時半開演
  会場    大手町スペースパートナー
        東京都千代田区神田錦町2丁目11番地7小川ビル4階
  集客人員  100人
  対象    一般
  チケット金額 1500円

主催「株式会社KMT」
   担当;大房明良氏(行政書士)
   070-4200-4733
   a.ofusa@k-m-t.jp

③ 日時     10月31日(木)18時~20時    
  会場     蔵王町ふるさと文化会館(ございんホール)
         宮城県刈田郡蔵王町大字円田字西浦5
  講演会タイトル  「不撓不屈の勇者たち」-生涯をかけて地雷除去に挑む-
  集客人員   200名~300名
  対象     一般
  チケット金額 2000円

主催「白石蔵王倫理法人会」
   担当;羽田千賀子さん
   090-6223-4791
zaochikako@gmail.com
            
④ 日時     11月2日(土)     
  会場     14時~16時  萬福寺
                 千葉県松戸市小金原3-1-6
         集客人数 120人
        
  19時~21時 森のホール21(松戸市民会館)
             千葉県松戸市千駄堀646番地の4
         集客人数 200人
対象     小学生からお年寄りまで、世界の平和、地雷について0から一緒に
       学びましょう!先着30名様にはプレゼントもあります!
 チケット金額 無料  

主催「なかよし学園」
   担当;中村雄一氏
   047-704-9844
nakayoshigakuen.office@gmail.com

⑤ 日時     11月3日(日)14時~    
  会場     小牧市役所 2F多目的ホール
         愛知県小牧市堀の内3丁目1番地
  集客人員   100人
  対象     一般の方
  チケット金額 無料

主催「NPO法人//ふれあいサロンさん・さんガーデン」
   担当;速水洋義氏
0586-84-3305
sansangarden@gmail.com




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  1. 2019/09/23(月) 11:57:21|
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妻の実家・タケオへの帰省旅

9月8日(日) 

今回のブログのテーマは、アキラ氏や博物館、カンボジアの世間一般とはおよそかけ離れていて、大方の人にとって興味も関心も無く、面白くも何とも無い私の家族の話題ですので悪しからず。

今月1日から5日まで、ウチの家族3人と、シェムリアップに住んでいる妻の兄姉妹の家族13人と一緒に、ワゴン車をチャーターして妻の実家のタケオに行って参りました。
妻と子にとっては、3月にシェムリアップに出て来て一緒に暮らす様になって以来、初めての里帰りです。
(もっとも、つまらない事がきっかけでイヌも食わない夫婦喧嘩をして、荷物をまとめて帰り掛けた事は2回程ありますが・・・
1度目は荷物を詰めかけた段階でやめましたが、2度目はついこないだですが、私が「タケオへ帰れ」と怒鳴った所、本当に荷物を部屋の外まで運び出しました。危なかった~
それ以来、怒鳴る事は絶対に止めると誓わされました。ハハハ)


妻は7人兄弟の上から5番目(四女)で、タケオに長女、次女と下の弟(次男)が住んでいて、上から3番目の兄(長男)と姉(三女)、妹(五女)がシェムリアップに住んでいます。
その4家族総勢16人で、一緒に里帰りしました。
まあ、我が家にとってちょっとした用事が有ったのも事実ですが、それ以上にカンボジア人は兄弟姉妹の結束力が強くまた親を大切にするので、良い機会だから皆で一緒に里帰りし、両親の喜ぶ顔を見ようと言う事になった訳です。

タケオと言う州は、カンボジアの南部の州で、南端はベトナムに接しています。
プノンペンから真南に約80キロ、シェムリアップからは約400キロの地で、朝7時にシェムリアップを出発して着いたのが14時半でしたから、昼食時間を除いて約7時間掛かった計算になります。
このタケオは、1992年に日本の自衛隊がUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)に参加して、PKO活動の為に史上初めて海外派遣された際に宿営地を構えて道路建設などに従事した地であり、日本とも因縁浅からぬ場所です。
しかし、もう活動を終えてからも25年以上経っているので、当時の事を覚えているかと義父と義母に尋ねて見ましたが、全く記憶に無いとの事でした。

私がこのタケオに行くのは、今回が4回目です。
初回は、今や義理の弟と妹になったソテアレン(私の息子と同じ34歳で、私がカンボジアに住み着いた2011年からの知り合いで、最も信頼しているカンボジア人)とチャントリア(妻の妹)の結婚式に出席する為に行った2016年6月です。
2回目は、そのソテアレンとチャントリアとの縁で結婚する事になった妻・チェンダーとの結婚式を挙げに行った時ですから去年の10月です。
3回目は、今年3月に妻の従兄弟の結婚式がありそれに参加する為でしたが、結婚したとは言えそれまではタケオとシェムリアップで別々に暮らしていた妻と子をシェムリアップに連れて帰る所となりました。そしてそのまま家族3人での生活が始まり、今に至っています。

行くといつもながら兄弟全員とその家族が親元に集まり、カラオケで唄ったり踊ったりと昼間から連日どんちゃん騒ぎとなります。
こうした所に、今の日本では希薄になりつつある家族の絆の強さを感じて、暖かい気持ちになります。

今は雨季であり、タケオ滞在中も毎日雨が降りましたが、その雨の中を両親とシェムリアップ組総勢18人で観光にも出掛けました。
タケオにも、有名な観光地がいくつか有ります。と言っても、まあ、殆どが遺跡や寺院ですが。
そうそう、そう言えばカンボジアにしては珍しい「プノン・タマウ」(プノンはクメール語で山の意味)と言う動物園もありました。
その中で、一番有名なプノン・チソー(山の上の遺跡)は前に来た時に行ったので、今回はこれ又車をチャーターして2時間掛けて「キリ・カンボジア」と言うお寺を訪れました。
ここは、大小取り混ぜて87000体もの金色の仏像が安置されている事で有名なお寺です。
カンボジア人は敬虔な仏教徒が殆どですから我が一族もその例に漏れず、雨の中を傘も差さずに礼拝を続けました。
しかし私はと言えば葬式の時だけの名ばかり仏教徒ですから、只々皆の後をのこのこ付いて廻っただけですが。
この「キリ・カンボジア」で昼食を摂った後、次に向かったのは「プノン・ダー」と言う6世紀頃に作られた遺跡です。ここは何と142段もの階段を登らなければならず、さすがにお父さん、お母さんは登りませんでしたが、私は老骨に鞭打ってと言うか妻に支えられながら何とか頂上まで辿り着きました。
もうヘトヘトでしたが、下界を見下ろすと緑の美しい水田がそこかしこに広がっていて大変牧歌的であり、疲れた体に一服の清涼剤となりました。
ここを後にして家に帰り着いたのは夕方5時頃でしたが、それから又飲めや歌えのどんちゃん騒ぎが始まったのは言うまでもありません。

こうして、妻の両親、そして親類縁者との絆をより深める事の出来た5日間の旅を終えてシェムリアップに帰って来ました。
よ~し、また、明日から博物館の仕事を頑張るぞ。



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  1. 2019/09/10(火) 22:56:28|
  2. 旅行、探検ネタ
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地雷博物館内カフェ建築プロジェクト

2019年8月25日(日)

ここ3、4日、やっと雨季らしい様相を呈していますが、それまで本当に雨が降りませんでした。
雨季にしてここまで降らないのは、正に異常としか言えません。
(もっとも、最近はこうした異常気象が頻発してはいますが)

それが影響しているのかどうかは知りませんが、今年は例年以上にデング熱が流行していて、私の周りでも大勢が罹患しています。
アキラ氏の長女のメタもそうですし、バッタンバンの岩田亮子さんもカンボジア在住11年目にして、遂にその洗礼を受けたそうです。
しかも、岩田さんだけで無く、孤児院の子供たちやボランティアのほぼ全員が罹ったと言いますから、ああ、恐ろしやです。
幸い私の家では、妻も子もまだ生まれてから1度も罹った事が無いそうですが、私は既に2回罹っていますし、この先どうなるか分かりませんので、戦々恐々としています。


さて、今日の枕も含めて、これまで暗い話題が多かったのですが、今回のテーマはやっと明るい話題になりました。
「アキラ地雷博物館」の中に出来るカフェのお話です。
そうなんです、2年前に博物館に新しいモダンなトイレを作って下さった愛知県一宮市のNPO法人「ふれあいサロンさん・さんガーデン」の井浪理事長と坂井田理事のお二人が、この度個人的にお金を出し合って、館内にカフェを作って下さるのです。
昨年8月の爆発事故の後、4ヶ月間に渡る閉鎖で客足の減った博物館に、お客を呼び戻そうと企画して下さり、アキラ氏も大喜びのプロジェクトです。
売上は勿論全額寄付で博物館の収益になり、アキラ氏が強く望んでいる地雷撤去の新チーム結成に大きく寄与するものと期待しています。

その工事が一昨日の23日着工となり、9月、10月の工事を経て、11月7日にオープンする予定です。
そのカフェの責任者はアキラ氏夫人のソカさんであり、カフェでは手作りのパンも提供する予定なので、10月から1ヶ月間アキラ氏とソカさんが日本に渡り、「さんさんガーデン」さん運営のカフェにて経営、接客、パン作りの修行を行います。
地雷撤去のスペシャリストであり、日本の英語教科書にも載っている世界的有名人のアキラ氏が、何と日本でパン作りの修行をするのですから、これはひょっとしたら日本のマスコミが放って置かないかも知れませんね。

このプロジェクトは今年の1月に井浪理事長がカンボジアに来られた時からスタートし、建築業者の選定やら設計、着工時期についてその後何度かの協議を重ねた後、遂に8月23日着工となり、いよいよ本格始動となりました。
これから11月のオープンに向けて、工事の進行と並行して従業員を選定したり、調理道具、食器類、イスやテーブルなどの什器備品を揃えたりと仕事が目白押しですが、みんなで楽しみながらプロジェクトを進めて行き、オープンの日を待ちたいと思います。

さあ皆さん、カフェがオープンした暁には是非とも来館して下さり、アキラ氏の悲惨な戦争体験を聞かれた後で癒やしの一時をお過ごし下さい。


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 これまで、紳助の「世界バリバリバリュー」のDVDを見て頂いていたこの場所が、カフェになります

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    このブルーシートの奥がカフェとなります

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        ここに、カフェが建設されます



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  1. 2019/08/26(月) 21:46:51|
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To Be or Not To Be

2019年8月11日(日) 

本来このブログでは、カンボジアで起きた楽しい出来事を書いて、皆さんの顔をほころばせたい、そう言う思いから始めたのですが、ここの所そうしたネタが乏しく、面白くも何とも無い話しが続いていますが、今回こそ・・・・今まで以上に暗い話、そう、死についてです。
(何じゃそりゃ)

私は子供の時から物事を進める上で事細かく計画を立てるのが好きな性分で、中学生時代なんか中間テストとか期末テストの何日も前から勉強スケジュールを立て、いついつまでに教科書の何ページまでを制覇し、点数は何点を取ると表を作ってそれを机の前に貼り出していました。
しかし、計画を立て終えた段階でほぼ満足してしまい、やってもいないのにやり終えた感に浸ってしまって結果はいつも散々でしたが・・・・(アホでんがな)

それは兎も角、その性格は大人になってからも続いていて、今でも何でもかんでも計画を立てずにはおれません。
その計画の究極的なものが、いつまで生きるかという事です
最期の時を設定する事により、残された時間の中でやれる事、やれない事が明確になり、特にやるべき事を時間軸に沿って書き出して行きます。
私はかつては、長生きにあまり執着していなかったと言うか、むしろ逆でしたので、60歳をデッドラインに設定していました。
そして、それまでにやるべき事を全てやり終えて、死ぬ瞬間に悔いを残すまいと。
ですから、2011年3月(当時57歳)に日本を発ってカンボジアに出て来た時には、こちらでの生活は3年間と考えて、来る前には「自分史年表」と「遺言書」を作成し、又「自分の生きた証」を息子に託そうと、思い出の品々を10個の衣装ケースに整理して、更には葬式の手配(葬儀場、招待客リスト、葬式の時に流す曲、遺影写真など)なんかも全部済ませて来ました。
しかし、そのデッドラインを5年前に既にクリアしてしまいましたので、その後は70歳を新たな目標としていました。
しかし、昨年10月に子連れのカンボジア人女性(未亡人)と再婚し(これも5年前に立てた計画通りですが)、その妻と子に対して新たな責任を負った今は、70歳ではちと早過ぎる(何せあと5年しかないので)と思い、新たな目標を設定する必要に迫られていました。
そして、その目標を設定する上で、余り欲張り過ぎると達成出来ない可能性が高くなり、そうなると死ぬ瞬間に「ああ、もう少し生きたかった」と悔いが残るので、悔いを残さずに最期を迎える為には極力達成可能な目標を設定する必要があります。
と言う訳で、一応75歳を最期の時と設定するつもりだったのですが、でもここに来て、今4歳の娘が20歳になるのを見届けたいとの欲が出て、出来るなら81歳まで生きたいとの思いが強くなり、75歳81歳か、2つの間で心が揺れていました。

そんな最中の今年4月に、私の中学時代からの親友が65歳で逝ってしまいました。
昨年12月に会った時には元気一杯だったので、全く予想もしていなくて大変なショックを受けました。
そして、6月にはカンボジア在住の知人が75歳で突然亡くなり、先週8月4日にはその6月に亡くなった知人と同じアパートの隣の部屋に住んでいた別の知人が、同じく75歳で続け様に逝ってしまいました。
この2人が何歳まで生きるか、私もそれに続こうとの思いがあったので、この2人の死も大きなショックです。

そこで、やはり75歳をデッドラインに設定致します。あと10年です。
そこまで生きたら悔いは無い。満足して死ねる。
そこまでの計画をしっかり立てる事にします。

しかし、まあ運が良ければ81歳まで生きているかも知れないが、仮にそこまで生きてなくても後悔はしない。あくまで目標は75歳で、あとは運次第。
この方針で、これからの人生を歩んで行く事にします。

つまらない決意表明にお付き合い頂き、有難うございました。
謹んで、お礼申し上げます。




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