FC2ブログ

川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

To Be or Not To Be

2019年8月11日(日) 

本来このブログでは、カンボジアで起きた楽しい出来事を書いて、皆さんの顔をほころばせたい、そう言う思いから始めたのですが、ここの所そうしたネタが乏しく、面白くも何とも無い話しが続いていますが、今回こそ・・・・今まで以上に暗い話、そう、死についてです。
(何じゃそりゃ)

私は子供の時から物事を進める上で事細かく計画を立てるのが好きな性分で、中学生時代なんか中間テストとか期末テストの何日も前から勉強スケジュールを立て、いついつまでに教科書の何ページまでを制覇し、点数は何点を取ると表を作ってそれを机の前に貼り出していました。
しかし、計画を立て終えた段階でほぼ満足してしまい、やってもいないのにやり終えた感に浸ってしまって結果はいつも散々でしたが・・・・(アホでんがな)

それは兎も角、その性格は大人になってからも続いていて、今でも何でもかんでも計画を立てずにはおれません。
その計画の究極的なものが、いつまで生きるかという事です
最期の時を設定する事により、残された時間の中でやれる事、やれない事が明確になり、特にやるべき事を時間軸に沿って書き出して行きます。
私はかつては、長生きにあまり執着していなかったと言うか、むしろ逆でしたので、60歳をデッドラインに設定していました。
そして、それまでにやるべき事を全てやり終えて、死ぬ瞬間に悔いを残すまいと。
ですから、2011年3月(当時57歳)に日本を発ってカンボジアに出て来た時には、こちらでの生活は3年間と考えて、来る前には「自分史年表」と「遺言書」を作成し、又「自分の生きた証」を息子に託そうと、思い出の品々を10個の衣装ケースに整理して、更には葬式の手配(葬儀場、招待客リスト、葬式の時に流す曲、遺影写真など)なんかも全部済ませて来ました。
しかし、そのデッドラインを5年前に既にクリアしてしまいましたので、その後は70歳を新たな目標としていました。
しかし、昨年10月に子連れのカンボジア人女性(未亡人)と再婚し(これも5年前に立てた計画通りですが)、その妻と子に対して新たな責任を負った今は、70歳ではちと早過ぎる(何せあと5年しかないので)と思い、新たな目標を設定する必要に迫られていました。
そして、その目標を設定する上で、余り欲張り過ぎると達成出来ない可能性が高くなり、そうなると死ぬ瞬間に「ああ、もう少し生きたかった」と悔いが残るので、悔いを残さずに最期を迎える為には極力達成可能な目標を設定する必要があります。
と言う訳で、一応75歳を最期の時と設定するつもりだったのですが、でもここに来て、今4歳の娘が20歳になるのを見届けたいとの欲が出て、出来るなら81歳まで生きたいとの思いが強くなり、75歳81歳か、2つの間で心が揺れていました。

そんな最中の今年4月に、私の中学時代からの親友が65歳で逝ってしまいました。
昨年12月に会った時には元気一杯だったので、全く予想もしていなくて大変なショックを受けました。
そして、6月にはカンボジア在住の知人が75歳で突然亡くなり、先週8月4日にはその6月に亡くなった知人と同じアパートの隣の部屋に住んでいた別の知人が、同じく75歳で続け様に逝ってしまいました。
この2人が何歳まで生きるか、私もそれに続こうとの思いがあったので、この2人の死も大きなショックです。

そこで、やはり75歳をデッドラインに設定致します。あと10年です。
そこまで生きたら悔いは無い。満足して死ねる。
そこまでの計画をしっかり立てる事にします。

しかし、まあ運が良ければ81歳まで生きているかも知れないが、仮にそこまで生きてなくても後悔はしない。あくまで目標は75歳で、あとは運次第。
この方針で、これからの人生を歩んで行く事にします。

つまらない決意表明にお付き合い頂き、有難うございました。
謹んで、お礼申し上げます。




後継者募集中
お問い合わせは joyful57@hotmail.co.jp(川広)まで
>




スポンサーサイト



  1. 2019/08/12(月) 15:05:35|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

日本行きビザ申請のお話

2019年7月28日(日) 

前にこのブログで、博物館からの帰りに通らなければならない通称韓国道路が工事中で、土煙が舞い上がるので今は通りたくないと書きましたら、そのブログ「博物館への道程part2」を読んだ渡辺新太氏が抜け道の情報を送って来てくれました。
その道は、砂利道ではありますが土煙も舞い上がらず、雨が降っても水溜まりが出来る事も無く、ホントに地獄に仏の脇道です。
渡辺新太さん、貴重な情報を有難うございました。


さて、今回のブログは、アキラ氏の日本渡航の為に必要なビザのお話です。

今年の10月下旬から11月初めに掛けて、東京、千葉、宮城、愛知でアキラ氏の講演会を実施致します。
詳細については、9月にこのブログやHPで改めて発表致しますが、その日本行きの為のビザの発給申請を今月行い、25日に無事に取得完了致しました。
今回のアキラ氏の日本行きについては、昨年の博物館内爆発事故によるアキラ氏逮捕の一件が有りますので、ビザが発給されるかどうかについては一抹の不安を抱いていましたが、何とか無事に発給されましたので、これで安心して一緒に日本に行く事が出来ます。

ビザの発給申請に際しては、これまでは必ずプノンペンの日本大使館まで行かなければなりませんでしたが、昨年1月にシェムリアップに領事事務所が開設された為、今回はわざわざプノンペンまで行かなくても、シェムリアップで手続きが完結出来、非常に助かりました。
プノンペンまで行くとなると時間も掛かるし、それもビザ申請については午前中のみの受付でしたから前泊しなければなりませんでした。
金も掛かるし時間も掛かるで本当に大変だったのですが、それが今回は大幅に負担が軽減された訳です。

しか~し・・・。
もう済んだ事ですから、わざわざ思い出さなくてもいいのですが、まあブログネタとしてちょっと書いておきます。
去年の9月に、アキラ氏だけでなく家族も同伴し、更に地雷被害者のポーイと通訳のオル君、そして私の総勢8人て、1ヶ月間掛けて日本全国を廻ると言う、私一世一代の「日本全国大講演会」を企画し、ビザ申請をしたのが7月でした。
去年の1月にはシェムリアップに領事事務所が開設されたので、てっきりシェムリアップでビザ申請が出来るものと喜んでいたところ、何と領事事務所で他の業務は1月からスタートしていたのですが、ことビザ業務に関しては準備が整っていないので、7月時点ではまだ出来ないとの事で、結局8人でプノンペンまで行かなければなりませんでした。
(皮肉にもこの後、我々が日本に行った9月2日から業務が開始されました)
折角1月に領事事務所が開設されたのに、とんだぬか喜びに終わった訳です。

これがケチの付き始めで、この後8月27日の博物館の爆発事故、それを受けての主役のアキラ氏の日本渡航中止、9月2日のアキラ氏を除いた7人での日本渡航、日本に着いて早々の9月6日に北海道大地震に遭遇し、初めての経験にカンボジア人6人が恐怖に震え、北海道に2日足止めを食い、日本最終日の9月30日には台風21号の接近で飛行機が飛ばず帰国が1日遅れると言う踏んだり蹴ったりの悲惨極まりない日本行きとなってしまいました。
(まあ、そんな中にあっても、講演会そのものはやり遂げたと言う達成感を味合う事が出来、満足してはいますが・・・。)


ビザ申請にまつわる、ほろ苦い思い出話でした。




後継者募集中
お問い合わせは joyful57@hotmail.co.jp(川広)まで
>




  1. 2019/07/28(日) 21:03:48|
  2. 博物館関連
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

参議院議員選挙

2019年7月14日(日) 

3月から毎日妻の手料理を食べる様になって、急激に腹が出て来ました。
美味しいからと言うよりも、作る量が多過ぎて腹八分どころか無理矢理十二分位食わされるので、間違いなく食べ過ぎによるものです。
これはヤバイと、今月に入って毎朝6時から30分間、家の近所を早歩きしています。
所謂有酸素運動と言うヤツです。
あれ程好きだったビールも断っています。
経験上、直ぐには効果が現れないものの、3ヶ月位続ければ効果が現れるものと信じて頑張っています。
雨が降れば休むつもりですが、これまでまだ一度も休まず続けています。
10月にはアキラ氏と一緒に講演をしに日本へ行きますので、その時にはスッキリしたお腹で、皆さんの前に登場したいものです。


さて、皆さん、来週の日曜日は参院選投票日です。
私も今回、カンボジアに来て初めて選挙の投票をしました。
と言いますのが、去年の1月にシェムリアップに領事事務所が開設されたので、わざわざ300キロ離れたプノンペンの日本大使館まで行かなくても、シェムリアップで投票が出来る様になったからです。
公示日の4日の翌日、5日に領事事務所まで行って投票して来ました。

私は今カンボジアに住んでいて、今後も死ぬまでカンボジアで暮らすので、日本の政治は私にとっては一見関係無い様なものですが、子供や孫が日本で暮らしていますので、やはり日本の政治は大いに気になります。
少しでも良い政治が行われる事を願っています。
今回の選挙は参院選ですから、所謂政権選択選挙ではありませんが、それでも重要な選挙です。
これまで6年間続いた安倍自公政権を良しとするのかしないのか。
私は、決して良しと致しません。
この政権がこれまでやって来た事は、金持ちや大企業にとっては素晴らしい政治かも知れませんが、一般庶民にとっては最悪の政治です。
非正規雇用が増え、年金が削られ、子供の貧困が増え、長時間労働の解消に向けては、見せかけの弥縫策で対応。
戦争で塗炭の苦しみを味わった私の親の世代の人々が、必死で守って来た憲法9条を蔑ろにし、共謀罪や特定秘密保護法で政権批判に圧力を課し、国民の知る権利や自由に制約を加える。
社会保障費がどんどん削られ、その分防衛費が増大するばかり。
国民の命と健康を守るどころか、経済優先とアメリカ追従で種子法を廃止し、水道事業の民営化を行い、カジノを誘致してこれまでの日本の良き伝統と文化を破壊する。
10月には逆進課税の消費税を、10%に上げようとしています。
国民の生活、特に母子、父子家庭や障害者などギリギリの生活を強いられている人々の暮らしは益々厳しくなり、100年安心の年金制度もまゆつばと分かり、将来不安が増大するばかりです。

カンボジアの現政権も、それはそれは酷い独裁政権ですが、今の日本も大差有りません。
この政権に鉄槌を下すには、選挙で負かす以外に有りません。
幸い、今回は野党共闘が一定割合進み、また、山本太郎氏率いる「令和新選組」も登場して政権に批判的な人々の受け皿も出来ています。
皆さん、自分の1票など高が知れていると諦めずに、是非投票に行って下さい。
そして、自民党や公明党、その補完勢力の日本維新の会に投票するのでなく、野党を勝たせましょう。
安倍自公政権にノーを突き付けましょう。


今回のブログはテーマが選挙なので、面白くも何とも無い、極めて堅苦しいものになりましたが、どうぞお許し下さい。
名前がハジメなので、たまには私のこうしたマジメな部分にも触れて下さい。

有難うございました。




後継者募集中
お問い合わせは joyful57@hotmail.co.jp(川広)まで
>




  1. 2019/07/14(日) 20:15:11|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

博物館への道程 part2

2019年6月30日(日) 

9日から日本に一時帰国し、20日にカンボジアに戻って参りました。
帰国時の計画はほぼ達成出来て、満足して関空から機上の人となり、ハノイ経由でシェムリアップに戻って来たのですが、最後の最後でとんでもないアクシデントに見舞われました。
前にも一度、飛行機に積み込んだ荷物の中から中身を取り出した時、大事な物が一つ紛失している(結局後から見つかりましたが)と言うトラブル(2017.4.30「不幸の連続の日々を振り返る」)がありましたが、今回は飛行機に積み込んだ荷物(トランクとリュックサックの2つ)そのものが届かないと言う大トラブルでした。
そもそもシェムリアップ空港への到着が予定の時間より30分以上遅れて、それで無くとも首を長くして外で待っている妻と子の事が気になっているのに、荷物受け取りの為にターンテーブルで待つ事30分、待てど暮せど一向に私の荷物が出て来ない。
他の同乗者は一人去り二人去り、最後に残ったのは私だけ。
非常に惨めな思いで空港内の紛失届け窓口に行き、紛失届を書いて外に出たのは到着してから1時間以上経っていたでしょう。
もう、10回以上カンボジアと日本を行き来していますが、こんな事は初めてであり、このまま荷物が手元に届かなかったらどうしようと絶望的な気持ちになり、気が気ではありませんでした。
結局、荷物はトランジットのハノイで積み忘れられた様で、翌日の夜には私の手元に戻って来たので事無きを得ましたが、本当に肝を冷やしました。
何せ、トランクは家で金庫代わりに使っているので、荷物の中には日本からのおみやげやパソコン以外に、預金通帳やら現金やらその他貴重品が満載だったのですから。
もうこれに懲りて、これからはこうした貴重品は持って帰らない事にします。

閑話休題

日本に居る間も、殆ど雨は降りませんでした。
何でも、私の地元岡山が梅雨入りしたのは例年よりも大分遅く、6月26日だった様です。
ここカンボジアも、雨季に入ったのは5月6日頃でその頃は結構降ったのですが、中旬以降たまにしか降らず、私がカンボジアに戻った6月20以降今日まで殆ど降りません。
今日も、少しパラついた程度です。
ですから、普段は水を満々と蓄えている観光名所の「スラスラン」(王様の沐浴場の意味)が、今は干上がっています。
そんな訳で、博物館からの帰りに利用する韓国道路が、悲惨な状況です。

行きは遺跡の中を通って行くので問題無いのですが、帰りは遺跡チケットを持っていないと遺跡の中を通してくれませんので、韓国道路を使わざるを得ません。
乾季だったら利用出来る脇道もあるのですが、そこも雨季に入ってからは危なくて通れませんので、一人の時には韓国道路を利用するしか今は手が有りません。(2019.1.20「博物館への道程」)
(妻子と一緒の時は、妻にバイクを運転させて私は後ろでヘルメットを深々と被っていればチケットポイントを無事通過出来ますので、韓国道路を通らなくても大丈夫です)

その韓国道路、何が悲惨かと言うと、今年1月から補修工事が始まったのですが工事は遅々として進まず、土を入れて凸凹はある程度解消されたのですが、雨が降らない為土が乾いて砂埃が半端ありません。
車に追い抜かれたり、すれ違った時にはモウモウと白煙が舞い上がり前が見えなくなります。
家に着いた時には服やズボンが真っ白になり、まつ毛や顔をティッシュで拭くと拭いたティッシュが赤茶色になります。
これには、ホント身が萎えます。
博物館に行くのが億劫になります。

雨が降った時には、カッパを二重重ねに着て雨の浸透を防ぐので、対策はバッチリですが、降らなければ、対策の仕様が無く砂埃だらけ。
雨季が明ける11月まで、と言うか工事が終了するまで苦悩の日々が続きます。
ああ、神様・・・・イヤイヤここはカンボジアだから仏様か。
どうか一刻も早く、この韓国道路の補修工事を終了させて下さい。
お頼み申します。

何とも切ない今日この頃です。




20190119_164134 (1)
           水を蓄えた普段の「スラスラン」


20190627_131828 (1)
           干上がった現在の「スラスラン」



後継者募集中
お問い合わせは joyful57@hotmail.co.jp(川広)まで
>





  1. 2019/07/01(月) 23:56:19|
  2. 博物館関連
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

我が持病の「本態性振戦」

2019年6月16日(日) 

突然ですが、「本態性振戦」って、聞かれた事ありますか?
これは、私が長年患っている病気の名前です。


皆さん、こんにちは。
私は今、愛する妻と子供をカンボジアに残して、単身岡山の実家に帰って来ております。
と言いましても、20日にはもうカンボジアに戻りますが。
父が昨年5月に93歳で他界し、母も認知症とパーキンソン病を患ってケアホームに入っていますので、実家にはもう誰も住んでおりませんで空き家状態ですが、電気と水道はそのままにしていますし郵便物もここに届くので、帰国の折には必ずここを利用します。

今回は、4月に急逝した中学の時の同級生の悔やみに家を訪問する事、来月91歳になるケアホームの母を見舞う事、年金の手続きの為年金事務所を訪問する事などが主な目的で、8日の夜にカンボジアを発ち日本に帰って来たと言う訳です。
カンボジアも雨季に入っていて雨の日が多いですが、日本も多くの地域が入梅していて同じ様に雨の日が多いです。
但し、岡山はまだ入梅していませんで、今日も一日中晴れでしたが。

そんな訳で、今回のブログのテーマはカンボジアを離れ、全く関係の無い私の持病の話しです。
こんな時でもないと、この様な病気の話など書く機会はありませんので、申し訳無いですがどうぞお付き合い下さい。

さて、この「本態性振戦」。
どんな病気かと言いますと、字を書く時やコップを持つ時、或いはボタンを掛ける時に手が震える病気です。
「本態性」と言うのが原因不明を表し、「振戦」と言うのが震えを表す言葉なので、要するに原因不明の震えと言う訳です。
原因不明と言っても、高血圧が多少関係しているのではないかと勝手に思っていますが。
私も40歳を過ぎた頃から高血圧症になり、その頃から「本態性振戦」の症状が現れて来ましたので。
もっとも、その頃はまだ「本態性振戦」と言う病名も医者の間ですら一般的では無く、脳神経外科でCT検査をして、脳が少し萎縮しているからそれが原因かと言われた位でした。
そこから数年後、新聞の広告欄に手の震えを抑えるサプリメントの紹介記事が出る様になり、そこで初めて「本態性振戦」と言う病名に行き着きました。
その頃読んだ病気の解説書によると(今回改めてネットで検索して見ましたが、その記載が見つからないので正確では無いですが)、副交感神経が異常に興奮してアドレナリンが出過ぎている為に起こる症状で、その為手が震える様な事を書いていました。
その新聞広告で見たサプリメントを手に入れて試しもし、又、病院で処方された血圧降下剤の一種のβブロッカーを飲みもしましたが殆ど効果は無い為治療は諦め、気長に付き合う事にしました。まあ、命に別状は無いですから。

只、大変不便であり、恥ずかしい思いをします。
何せ、書いた字が「みみずが這った」どころか「ムカデがのたうち回った」様な字になり、自分でも読めない事がよくあるのですから。
人前で書く時には、手が震えているのを怪訝な顔で見られるので、「これは本態性振戦と言う病気の為です」と大抵先に言う事にしています。そうでないと、こいつはアル中(アルコール中毒)かと疑われてしまいますので。

皆さん、私は確かに酒飲みですが、本当にアル中ではありませんので、どうか、どうか信じてやって下さい。

若い人は分からないでしょうが、今から43年前に起きた航空機の輸入を巡る贈収賄事件・ロッキード事件で国会の証人喚問に呼ばれた全日空社長の若狭得治が、宣誓書に署名する際に手が震えて字が書けない状態となり、それがテレビ画面に大写しされてセンセーションを巻き起こし、あれは極度の緊張の為だと報じられましたが、後から私が思うに、彼も本態性振戦を患っていたのではないかと考えています。

本態性振戦の患者は日本にも相当数居る様ですが、その割にはまだまだ病名が認知されていません。
皆さん、どうかこの病名が広く知れ渡る様にお力をお貸し下さい。
でないと、いつまでもアル中と疑われて肩身の狭い思いをしますので。
もう一度言いますが、私は決してアル中ではありませんので、くれぐれも誤解無き様お願い致します。
あと、製薬会社の関係者の方は、早く特効薬を開発して下さい。


以上、心よりお願いして、今日のブログを終了致します。
チャン、チャン。




後継者募集中
お問い合わせは joyful57@hotmail.co.jp(川広)まで
>







  1. 2019/06/17(月) 08:29:14|
  2. 病気ネタ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ