川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

柏木先生、カンボジア来訪の記

8月13日(日)

今、部屋の外では大音量で、お経を読む声が流れています。
つい先日も、3日間に渡って同様にお経や音楽が早朝から流れ、安眠を妨害され、更にはテレビの音が聞こえない被害を被ったばかりでした。
昨日、その葬式会場前を通ったら、テントが撤収されていたのでヤレヤレ終わったなと安堵したのも束の間、今朝は他の場所で葬式が行われていて、この騒音被害です。
恐らく明日も明後日も続くでしょう。
何で、こんなに大音量で音を垂れ流すのか、近所迷惑もいいとこですが、カンボジアではこれが当たり前。
葬式だけで無く、法事でも結婚式でも他の様々な行事でも、兎に角大型スピーカーを設えて音の大きさを競い合います。
理由を確かめた事はありませんが、恐らく各々の存在を誇示しているのでしょうね。
しかし、それにしてもカンボジア人は音には寛容と言うか、我慢強いと言うか、自己チューと言うか。
日本人には耐えられません。でも、カンボジアで生きて行く以上、耐えるしか無いのです。ウウッ(涙)。

さて、先週の6日から10日まで、日本人応援団のメンバーであり、私と同郷の岡山の中学校の英語の先生である柏木信恵さんがシェムリアップに滞在され、あちこち案内して回りました。
柏木先生に初めてお会いしたのは、ちょうど1年前の去年の8月でした。
同僚の中川先生と2人でカンボジアに来られ、後で生徒に話を聞かせる為に、アキラ氏と対面してインタビューさせて欲しいとミュージアムに来館されたのが最初の出会いでした。

そうそう、アキラ氏は、日本の中学校2年生用の英語の教科書に、6年程前から記事が掲載されているんですよ。
三省堂から出版されている「ニュー・クラウン」です。
私の中学校時代は、もうかれこれ50年も昔ですが、使った英語の教科書は確か「ニュー・プリンス・リーダーズ」でした。ナチカシ~(懐かしい)
学校によって、と言うか、地域によって採用されている教科書が違うので、「ニュー・クラウン」がどれ位の割合で使用されているのか知りませんが、恐らく結構多くの学校で使用されているものと思われます。
現に、来館される人々の中に、アキラ氏の事を授業で習いましたと言う人や、教えている中学校の英語の先生が、少なからずいらっしゃるからです。

柏木先生も、そうした人達の中の一人でした。
でも、私と同郷の岡山の先生だと言う事は全くの偶然でしたが。
帰国された後、中川先生共々早々に、応援団員に登録して下さいました。
その柏木先生は、去年の12月には1人でカンボジアに来られ、その時にもあちこち案内して回りましたが、今回が3度目と言う事で、前回行けなかった所を中心に案内しました。

彼女が一番行きたかった所は、地雷原でした。
地雷原は危険な所であり、余り安易に行くべき所ではありませんが、私は基本的には行きたがっている人は案内する様にしています。
話を聞いただけでは、中々実感として分からない地雷の怖さや、撤去活動の困難な実情を身をもって体感する事により、私が博物館でガイドしている内容をよりリアルなものとして捉えて貰えるからです。
今回の地雷原は、シェムリアップから車で約2時間半のコンポン・トムと言う地でした。
近くには、先月世界遺産登録されたばかりの「サンボープレイクック遺跡」や、1993年の総選挙の時にポルポト派に襲撃されて殺された中田厚仁さんを顕彰して建てられた「アツ小・中学校」が在ります。
私はこれまで10回近く地雷原に行っていますが、今回の地雷原は、私が今まで行った事のある通常の地雷原、つまり地中に埋められた地雷や不発弾を探す現場と異なり、アメリカ軍が落としたクラスター爆弾の中の子爆弾を探す現場でした。
幹線道路からそれ程離れてなく、近くに民家が点在する普通の場所でしたが、そこら一帯では2009年から現在までで500個の子爆弾が住民によって発見され、数人の死傷者も出た様です。
CSHDの隊員17名が、今月7日から31日まで、この地で地中に埋まった子爆弾の探索活動をすると言う事でした。
我々が行った時、子爆弾では無いのですが、ちょうどヒューズの外れたパイナップル地雷が1個見つかっていて、その爆破処理を見学する事が出来ました。
隊員達と同じ防護服とヘルメットを身に着け、地雷原を歩き、この爆破現場を目撃した柏木先生は、相当衝撃を受けた様です。
それまでは相当おしゃべりだったのに、帰りの車の中では殆ど喋べりませんでしたから。




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地雷原の説明を受ける柏木先生                        隊員達との記念撮影

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見つかったパイナップル地雷                               爆破処理



この地雷原行きとは別の日には、今度は私が一番案内したい所のあの「アナコット・カンボジア」の田中千草さんを訪ねました。
田中千草さんには「アキラ地雷博物館・日本人応援団」の呼び掛け人にもなって貰っていますし、このブログにも何度か登場頂いていますが、カンボジアで活動している人の中で、私が一番凄いなあと尊敬している人です。
2012年11月11日付け 「カンボジア・アナコットの紹介」
2013年3月10日付け 「ワットボー小学校に日本のプロ歌手登場の巻」 
2013年3月31日付け 「ワットボー小学校第8回芸術音楽発表会」

因みに2番目がバッタンバンの岩田亮子さんです。
(えっ、私は2番目なのと怒っている岩田さんの顔が目に浮かびます。ゴメンナサイ、亮子さん。)
正に、「カンボジアのマザー・テレサ」と呼んでいい位の人ですが(柏木先生が、初めて千草さんに会って話を聞いた時、思わずそう呼んでいました)、まあ、その辺の事は改めて書くとして、兎に角この田中千草さんのシェルターを訪問しました。
実は、去年の12月にも柏木先生を田中千草さんに会わせようとこのシェルターを訪問したのですが、生憎本人に会えなくて、今回が初めての対面となりました。
忙しい中、家庭訪問に同行させて貰い、又別の日には学校での音楽の授業を見学させて貰い、食事もご一緒する事が出来ました。
柏木先生だけでなく、私も大感激でした。
就労支援活動、貧困家庭の救援活動の現場を垣間見ただけでも、また、タイに売り飛ばされそうになった子供を正に命懸けで救出する話や、家庭訪問先の親子の惨状を目の当たりにして、改めて凄い人だなあと柏木先生と二人して感動しまくりました。


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田中千草さんの音楽の授業を見学する柏木先生              田中千草さんとの会食



他にも、前回訪問した「ケセド孤児院」(今の名前は「hope」だそうです)に行って子供達と一緒にカレーを作って食べたり、ゲームしたり。
それから、アキラ氏の家に行ってアキラ氏や子供達に会ってプレゼントを渡したり。
勿論、博物館にも来て貰って、アメリカ人のビルさんに私が前から聞きたいと思っていた事を英語で質問して貰ったり、或いは「リリーフセンター」の子供達にジルさんが英語の授業をしている所を見学したり。
その他、日本人経営のレストラン3店舗、フルーツパーラー、みやげ物店等に行って、経営者の日本人から話を聞かせて貰ったり、そこに集まったカンボジアで活動している若者達に刺激を受けたりとか。
他にも行った所はまだまだありますが、もういい加減疲れたので止めますが、兎に角滞在期間中、目一杯動き回りました。



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食事中の「ケセド孤児院」の子供たちと柏木先生                子供たちに授業をする柏木先生 

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干し飯作りの現場を見学する柏木先生                


これは、柏木先生がカンボジアに初めて来た時からカンボジアを大好きになり、これから自分がカンボジアに対して何が出来るか出来ないかを検証する為だそうです。
嬉しいですねえ、こうしてカンボジアを好きになってくれる人が増える事が、私の喜びでもあります。

このブログを読んで下さった皆様の中で、まだカンボジアに来られた事の無い方は、是非一度カンボジアに足をお運び下さい。
私が、誠心誠意水先案内人を務めますので。



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  1. 2017/08/14(月) 02:34:52|
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カンボジア・ゲテモノ総覧図

8月6日(日) 

私は、ブログのテーマとしてはなるべく「面白ネタ」をと考えているのですが、ここのところ中々思うものが書けていません。
そこで今回は、純粋な「面白ネタ」ではありませんが、ぐっと砕けた内容のものに致します。
題して「カンボジア・ゲテモノ総覧図」

まあ、ホントの所は最近になって昔のデジカメ写真を見る機会が何度かあって、その写真の中にこれまで私の口に入った日本ではまず食べる事の無い珍しい食材が数多く有り、中には未公表の写真も結構有るので、この機会に皆様方に是非とも公開しようと思った訳です。

私は2011年3月からカンボジアに住み着き、2014年2月から2年間は日本に帰国していましたが、2016年1月に再度カンボジアにやって来ましたので、通算在住歴5年目です。
この間に、兎に角色々な物を口にして来ました。
中には、話しの種にとイヤイヤ食べた物もありますが、形はグロテスクでも結構旨い物もありました。
そんな写真を、これより皆様方にお目に掛けたいと思いますが、これから見て頂く30枚の写真を探すのに、これまで撮り貯めた4枚のメモリーカード13105枚の写真の中から探し出しました。
この作業が結構大変でした。



ポンティアコーン ポンティアコーン2 ポンティアコーン3

まずはポンティア・コーン3連発。
ポンティア・コーンと言うのは、孵化直前のアヒルの玉子です。
血管の筋が浮き出ていますし、食べると骨や毛が歯に当たって気持ち悪いですが、結構美味でして、カンボジア人に人気の食べ物です。



ヘビ コブラ1 コブラのスープ

次はヘビ&コブラ。
主にスープにしますが、これも肉厚があり弾力があって割と美味しかったです。



亀1 亀2 亀3 (1)

次なるは亀。
カンボジア人仲間と旅行に行った時、持参した亀を捌いて貰って食べたのですが、酔っ払っていて、味は全然覚えていません。て言うか、食べた筈ですがそれすら覚えていません。


ワニの養殖 ワニの調理 ワニの玉子


次はワニですが、これも日本では食べませんし、まず動物園以外で見る事はありませんわな。
カンボジア人の友達の親戚が養殖しているワニを、その友達が捌いてみんなに振舞ってくれました。
味は特に印象に残っていませんが、不味くは無かったかな。
玉子は、鶏の玉子よりちょっと大き目で、中身をすすりましたが鶏よりは淡白だった様に思います。



さそり1 さそり2

次はサソリです。
前はシェムリアップでは売ってなかったけど、1年程前からオールドマーケット周辺で売ってます。
ハッキリ言って、美味くも何とも無い。



カエルの解体 (3) カエル2

次は、日本でも食べる事のあるカエル。鶏肉をちょっと淡白にした味かな。

コオロギ (1) カイコ

これはコオロギとカイコの佃煮です。
酒のつまみにいいですし、大人も子供もみんなボリボリ食べてます。



コオモリ タランチュラ

次はコオモリとタランチュラです。
これは、さすがにカンボジア人でも、そんなには食べないかな。



子牛の丸焼き アヒルの解体

今は当局の規制で見掛けなくなりましたが、昔はBBQ店の店頭で子牛の丸焼きをよくやってました。
アヒルもよく食べます。



鶏の運搬 鶏

鶏やアヒルの運搬は、バイクの荷台に生きたままのそれらの足を括りつけ、いっぺんに10匹位を運びます。
2枚目の写真は、店頭に並ぶ鶏です。頭はありませんが、足は付いています。



豚の運搬 豚解体 (1)

豚の運搬も、多くはこうしてバイクの荷台に仰向けに括りつけて運びます。ブヒブヒ言っていて、ちょっと可哀想。
豚の解体も、業者でなく普通の人達が、家でよくやります。



犬の肉 鳥

犬肉と鳥ですかね。
最初、犬肉とは知らずに食べてしまいました。犬好きな方は、ここはパスして下さい。



ジャンボたにし コオロギ (2)

ジャンボたにしと蟻ご飯です。
ジャンボたにしはバイ貝の様な味ですし、蟻の入った御飯もふりかけを掛けてる感じです。



どうしても写真が見つからなかったのですが、この他にネズミ、鹿も食べました。
どちらも、とても美味しかったです。

カンボジアに来られた時には皆さんも、是非これらの物を口にされ、異国の食文化を楽しんで下さい。
知らない世界が広がりますよ。




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  1. 2017/08/06(日) 13:19:52|
  2. カンボジアの生活、文化、自然、果物
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森本喜久男さんの事

7月30日(日) 

森本喜久男さんが、私が日本に帰国している間の今月3日にお亡くなりになりました。
まだ68歳でした。

森本さんの事は、前にブログ「IKTT伝統の森」で行われた第11回蚕祭りで紹介しておりますので、御覧頂きたく思いますし、又、ネットで検索して頂くと大勢の人が紹介記事を掲載しています。

日本のテレビでも何度か紹介されました。今年の4月に放送された「情熱大陸」ですとか、何年か前にも「世界ナゼそこに?日本人」他、数回取り上げられていると思いますので、日本でもかなりの有名人だと思います。
また、2015年には白水社から「カンボジアに村をつくった日本人」と言う森本さんの手になる書籍が出版されています。

森本さんは、6年前から膀胱癌を患われていて、最近では京都の病院とカンボジアを1ヶ月おきに行き来されていて、最後にお会いした2月には恐らく相当具合が悪かったと思いますが、気力だけで懸命に仕事をこなされていました。

私が森本さんに初めてお会いしたのは、2012年2月29日、博物館の敷地内にテントを張って開催された、アキラ氏の亡くなった奥さん・ワットさんの法事の席でした。


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森本さんに初めてお会いしたワットさんの法事の席  森本さんと話しているのがアキラ氏


私は2011年3月からカンボジアに住んでいて、森本さんのお名前は存じていたのですが、お顔は知らなかったので、ひょっとしたらそれまでも日本人会の集まりなどでお会いしていたかも知れませんが、正式に御挨拶したのは2012年のその法事の日でした。
その時の印象は、今でもはっきり覚えていますが、もう完全にカンボジアナイズされていて、まさかアキラ氏と話しているその人物が日本人とは、最初は思いもしませんでした。
それ位、すっかりカンボジアに溶け込んでいる印象でした。

それ以降は、「伝統の森」が博物館から比較的近い事もあって、博物館に来られたお客様を伴って割と頻繁に訪問させて頂いていました。
2013年3月の蚕祭りにも、日本人仲間と一緒に訪問致しました。
その時の事は、先程紹介したブログに詳しく書いています。



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王室の賓客を迎えての蚕祭り

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蚕祭りのファッションショーで挨拶する森本氏


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2013年7月13日、応援団員の後藤夫妻と共に「伝統の森」を訪問




また、私は2014年2月から2年間日本に帰国していましたが、その間の2015年7月15日には、広島県尾道市の向島で森本さんの講演会があって、岡山から駆け付けました。

2016年1月から再度カンボジアで生活する様になってからも、何度か日本のお客様と一緒に訪問させて頂きましたが、その都度、病を抱えながらも己の信念に従って、力強く生きている森本さんから励まされ、刺激を受けていました。

そして、最後にお会いしたのは今年の2月23日、「伝統の森」で行われた歌手の加藤登紀子さんによるコンサートと森本さんへのピアノ贈呈式の場でした。
この時には、加藤登紀子さんとは別に、前日バッタンバンの岩田亮子さんの孤児院「ホープ・オブ・チルドレン」でも演奏会を行った、日本からやって来たグループの「ワールドシップ・オーケストラ」による演奏会も同時に開かれました。
この時は、実は私も体調を崩していて、演奏会の間中しんどくて堪らなかったのですが(後日病院に行って腎臓が悪いと分かり、その後1ヶ月間服薬治療を続けました)、でも、今から思えば無理をしてでもこの日参加していて本当に良かったと思います。だって、これが森本さんとの最後の別れとなったのですから。
この時も森本さんは、本当は相当しんどかったと思いますが、毅然とした態度でお客様にも挨拶され、我々一般聴衆者に対しての気遣いをされていました。


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伝統の森で開催の「村の小学校にピアノがやって来る」の看板


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「ワールドシップ・オーケストラ」の演奏開始前に挨拶する森本氏

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加藤登紀子さんと握手する森本氏


来月には、去年の12月に一緒に森本さんの「伝統の森」を訪問した日本からのお客様が見えるので、又一緒に訪問する計画を立てていた矢先の訃報であり、本当に残念です。
でも、森本さんは、病を抱えながらも最後の最後まで一線を退く事無く、先頭に立って自分のやりたい事をやり通した人生だったのですから、幸福感の内に迎えた最期だったでしょう。
見習いたいと思います。
心より、ご冥福をお祈り致します。



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  1. 2017/07/31(月) 00:49:28|
  2. 人物紹介
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「アキラ地雷博物館への支援を求めて」パート2

7月23日(日)

先月の22日に1人でプノンペンの日本大使館に行った話しは、既に6月25日のブログ「アキラ地雷博物館への支援を求めて」で書きましたが、今回はその続きの話です。

3日前の7月20日(木)に、アキラ氏の最強最大の支援者であり「ランドマイン・リリーフ・ファンド」の設立者であるアメリカ人のビル氏(正確にはウィリアム・モース氏)と、地雷撤去NGO「CSHD」のカンボジア人スタッフであるソーパーリー(正確にはソフィン・ソーパーリー)と私・川ちゃん(正確には川広肇)の3人で、再度日本大使館(正確には・・・やかましい)に出向きました。
私は「アキラ地雷博物館」にとって、あくまで外部のボランティアである為、アキラ氏の今後の具体的な計画や諸々の数値までは把握していませんので、この2人に同道して貰い、2人から日本政府に対して具体的な計画を伝えて貰い、支援を引き出すにはどうしたら良いかを聞いて貰う為でした。
我々に対応してくれたのは、大使館の中の経済協力班の二等書記官の方2名と、現地NGOに対する支援を担う「草の根・人間の安全保障無償資金協力」の外部委嘱員の方1名の合計3名の方でした。この内の2名の方は、前回私がお会いしましたが、もうお一人が新たに同席されました。
お互いの会話は英語だったので、私には殆ど理解出来ませんでしたが、後からビル氏に聞くとかなり良い感触を得た様です。
「グッド・トーキング?」と聞くと、「オー・イエィ.サンキュー」と言っていましたから。

アキラ氏は、NGO「CSHD」を通じての地雷撤去活動、「アキラ地雷博物館」と「リリーフセンター」(孤児院)の運営に加えて、田舎での学校建設(「RURAL SCHOOLS VILLAGE PROGRAM」)にも力を入れていまして、これまで20校の学校建設をして来ていてこれからも建設を続けますが、どうやらその学校建設に対して、日本のODA資金からの協力が得られるのではないかとの事です。
何れにしても、これから申請を上げて10月の決定通知を待つ事になりますが、上手く行く事を祈っています。

そもそも日本のODA資金は、国民の税金でありながら、その使われ用にしばしば疑問の声が上がったりします。
外国のインフラ整備に使われる事が多い様ですが、その支援を受けた外国政府が例えば道を作ったり橋を架けたりするのに、地元住民の意向を無視して経済優先で行う為に、地元住民から日本政府に対して反発の声が上がったりとか。
ですから、その使われ方にも丁寧な検証を行う必要が有ると思いますが、今回のアキラ氏に対する支援は、カンボジアの全ての国民から感謝されこそすれ、誰一人日本政府に対して文句を言う人はいない筈ですから、こうした支援なら大いにやって欲しいと思います。
私としても、何とかこのミッションを成功させる事で、我々日本人が「アキラ地雷博物館」とアキラ氏を応援している事を、これまで以上に内外に広く示したいと強く望んでいます。



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シェムリアップ空港で飛行機に向かうミスター・ビル


さて、ここからはオマケの話ですが、今回はシェムリアップからプノンペンに行くのにビル氏と私は飛行機を利用しました(ソーパーリーだけはバスでしたが)。
私は、これまで7、8回プノンペンに行った事がありますが、いつもバス利用であり、飛行機を使ったのは今回が初めてでした。
シェムリアップからプノンペンまでは距離にして320キロあり、バスだと片道6、7時間掛かりますが、飛行機だとアッという間で、1時間も掛かりません。
料金はバスで往復25ドル前後ですが、飛行機の方は80ドルでした。



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トゥクトゥクに乗ってプノンペンの街を走る


この飛行機で、ちょっとしたトラブル有り。
国内便なので、持ち込み荷物の事は一顧だにしていませんでしたら、何とたまたま他の文房具と一緒にショルダーバッグに入れていたハサミが見つかり没収されてしまいました。
昔、国際線でカッターナイフを押収された事が有りますが、ナイフなら仕方無いにしても、ハサミ位いいんでないの?
ハサミが凶器になると言うのであれば、定規だってボールペンだって、何だって凶器になり得るんでないの?
納得出来ませんが、規則なんで仕方無し。
諦めましたが、勿体無いなあ。普通のハサミでしたからまだいいものの、あれがもっと高価なものだったり思い出の品だったりしたら、悔しくて何日も眠れない日が続いただろうなあ。



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警備に当たる軍人、手には自動小銃が。

それからもう一つ。
空港を出た時、何メートルにも渡って、道路の両側に自動小銃を携えた凄い数の軍人がいるのに驚きました。
何でも、ベトナムの要人が今日プノンペンを訪問するので、その警護の為に駆り出された様ですが、その物々しさに戦慄を覚えました。
警官のピストル位ならまだしも、あの大きな自動小銃を携えた軍人に対しては心底恐怖を感じました。
日本の安倍首相は、自衛隊を軍隊に昇格させる事を悲願としていますが、軍隊は正に暴力装置です。
他国と戦うだけで無く、自国の国民に対する抑圧機能を果たします。
例えば、政府に対して批判的なデモや集会が呼び掛けられた場合、あの銃を持った軍隊が周りを取り囲めば、多くの人は参加を躊躇うでしょう。
正に、憲法で保障された言論の自由、集会の自由の圧殺です。
カンボジアでは、来年の総選挙に向けてあの軍隊があちこちに出没し、国民を威圧する事でしょう。
日本は民主国家だから、自衛隊が例え国防軍という名の軍隊になっても、国民を抑圧する事なんて有り得ないと考える人も居るかも知れません。
でも、それは幻想に過ぎません。
民主勢力を敵視する連中にとっては、政権批判をする人々は正に敵です。
安倍首相が図らずも、東京都議選の応援最中に「安倍やめろ」コールをした人々に対して「こんな人たち」呼ばわりした事が、彼の胸中を端的に物語っています。
こんな首相がもし軍隊を持ったら、あの秋葉原での「安倍やめろ」コールは完全に封殺されていたでしょう。
軍隊に発砲させる事など訳ありません。
相手方にスパイを潜らせて、その人物に騒動を起こさせれば幾らでも取締りの口実が出来ます。
そうなれば、日本でも民主勢力の合法デモや国会前での集会など皆無となってしまい、正に北朝鮮などと同様の独裁国家の誕生となりかねません。
そんな事を決して許してはなりません。

カンボジアの自動小銃を携えた軍人を目の当たりにした時、ついついそんな事を考えてしまいました。


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帰りの飛行機のチェックカウンター



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  1. 2017/07/24(月) 01:01:09|
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帰国中の出来事

7月16日(日) 

3日から11日まで日本に帰国して、主に来年9月に実施する「アキラ氏平和学習講演会」についての打ち合わせをして参りました。
概要が大筋確定し、あともう少しの所まで来ました。
8月になったら正式に発表しますね。
今度の講演会は凄いですよ。
何せ、北海道から沖縄まで全国15箇所で実施するのですから。
来月の発表を、楽しみにお待ち頂きたいと思います。

さて、たった10日間の帰国中に、日本でもカンボジアでも幾つかの重大事案が発生しました。
先ず良い事案は、7月7日に国連で核兵器禁止条約が可決締結された事です。
非常に情けない話ながら、本来先頭を走るべきと言うか、むしろ唯一の被爆国として世界をリードして纏めるべき我が母国日本は、参加していませんが。

カンボジアでも良い事が有りました。
サンボープレイクック遺跡群が、7月10日に世界文化遺産登録されたのです。
訪問記は次の通りです。「サンボー・プレイクック遺跡」探訪記

そして、悲しい出来事も幾つか有りました。
カンボジアで、ポルポト派の文化破壊によって廃れかけていた伝統的な絹織物の技術の復興に命を掛けたあの森本喜久男さんが、7月3日に亡くなりました。
まだ68歳でした。
森本さんの事については、以前ブログで紹介しました「IKTT伝統の森」で行われた第11回蚕祭りが、また改めて書きたいと思います。

日本では、カンボジア同様帰国中ずっと雨でしたが、7月5日には福岡県朝倉市、大分県日田市などが大水害で家屋が流され大勢の人が亡くなりました。
また、鹿児島では11日に震度5強の地震に見舞われました。
その少し前にも、福島、熊本、北海道、長野、大分などで大きな地震が起きています。

世界規模で天変地変、人心攪乱が起きています。
日本でも、安倍政権が迷走を続け、カンボジアでもフンセン政権が来年の総選挙に向けて圧政を強めていますね。
何が真実か、何が正しいか。
私達は、虚言に騙されず真実を見つめ、今こそ社会を正して行く使命を負っています。
ナンチャッテ。
あちゃっ、ちょっと飛躍し過ぎか。





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  1. 2017/07/16(日) 23:47:45|
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