川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

不幸の連続の日々を振り返る

4月30日(日)


今日でもう4月も終わります。時間が過ぎるのは本当に早いですねえ。
日本ではゴールデンウィーク真っ盛り。
カンボジアにも大勢の日本人観光客が押し寄せていると思いきや、意外とそうでも無い様です。友達のカンボジア人ガイドに聞くと、予約もそんなに入っていないとか。
テレビニュースでは、成田を大勢の人が出国している様子を映していましたが、みんな何処へ行っているのでしょうねえ。
本当は、寅さんじゃないけどゴールデンウィークの間中押入れに隠れて家を留守にしている風を装っているとか・・・・。
アベノミクスの破綻で、潤っているのは大企業ばかりで庶民の生活は一向に良くならないから、海外旅行なんて贅沢はとてもじゃないけど出来ないと、多くの人が考えているんじゃないかなあ。
そうは言いながらも、今日は日曜日ですから普段でしたら私は博物館を休んで部屋でのんびり過ごすか飲んだくれの生活を送るのですが、15名の団体予約が入ったのでいそいそと博物館に出掛けました。

まあ、それは兎も角、今日のブログの話題はいわゆる不幸ネタです。
ブログをサボっていたこの4ヶ月の間に、私の身に数々の不幸が押し寄せて参りました。
まあ、一番酷かったのは先週書きました「ホームページ崩壊事件」ですが、その他にも色々有って、幾日もの眠れない夜を過ごしました。
2番目は「USBメモリー紛失事件」でしょうか。
日本に忘れて来た事が分かった今となっては笑い話なのですが、分かるまでの16日間は絶望の淵に立たされていました。
このメモリーには私がカンボジアにやって来た2011年3月から今年1月まで6年間の日誌、会計記録、その他重要な記録、思い出が山の様に保存されています。
それを無くしたのに気付いたのは1月22日でした。
カンボジアに戻って来てトランクを開け、荷物を整理したらこの小ちゃなメモリーだけが見当たらない。
日本を発つ時、間違いなくこのトランクに入れた。その時の情景ははっきり覚えている。それなのに無い。一日中トランクをひっくり返したり、他の荷物に紛れ込んでいないか調べ尽くしましたが出て来ない。
一体どうなったんだろう。岡山の家を出たのが1月20日の昼で、その後大阪で1泊し、関空から飛行機に乗ってベトナム・ホーチミン経由でカンボジアに戻って来た21日夜までの間の自分の行動をつぶさに思い起こし、何処かで無くす可能性があったかどうか考えましたが思い当たりません。
家に忘れて来た可能性は殆どゼロ(と、思っていました)なので、それなら空港で荷物検査の時にでも誰かに抜かれたか。そう言えば、最近誰かに後をつけられているなと感じていた(ウソですが)。これは絶対CIAかKGBの仕業だ。俺を北朝鮮か何処かのスパイと思ってマークしていたに違いない(何でやねん)。だから大事なUSBメモリーを抜かれたんだ。
こんなアホな事も、18パーセント位は考えました。
後の81パーセントは神隠し説、神様か仏様が無信心な私に悪戯しているに違いない。
トイレに入ったらトイレットペーパーが無い。あちゃあ、かみに見放された。これです。
そして残り1パーセントが家に忘れて来たという事。
こんな事を考えながら、心がへとへとに疲れ、絶望の淵を行ったり来たりの数日間。
しかし1週間経って、いかんいかん、思い出の詰まった大事な記録は無くなったけど、命を取られた訳では無い、辛いし、不便な事はあるけどまあ何とかなる、気持ちを切り替えて前向きに生きて行こうと考え直し、絶望から何とか抜け出しました。
そんな中で、可能性としては1パーセントだけど、まあ、念の為と思って妹に「今度家に行った時、無いとは思うけどもし何処かにUSBメモリーが転がっていたら保管しといてくれ」と頼んでいた所、数日後その妹から「家に掃除に行ったらUSBメモリーを発見した」との連絡。
私が帰宅した日本の家は両親の家で、その両親は去年の8月からケアホームに入っていて現在家は空き家になっています。だから普段は誰も住んでいないのですが、近所に住んでいる妹が掃除に行って見つけてくれたと言う訳です。無くしてから16日目の2月6日の事でした。
最初は信じられませんでした。何で家にあるのか。そのUSBメモリーを他のパソコン周辺機材と一緒に小袋に詰めて、トランクに入れた光景は今でもはっきり覚えている。
なのに何故それだけが家に残っていたのか。
考えても考えても分かりません。でも、有った、見つかった、バンザーイ。
飛び跳ねたい気持ち、この喜びを表す言葉が見つかりません。
本当に嬉しかった。一度は完全に諦めていただけに、後から後から喜びが込み上げて来ます。何て俺は幸せ者なんだ。道で100万円拾った気分です(無くしたと思っていた時には、100万円落とした気分だったので)
という事で、これは不幸ではなく幸いに転じたのですが、この他にもまだまだ不幸ネタが後を絶ちません。

去年は2月だったのに、今年は私が日本に帰国している間の1月に毎年恒例のリリーフセンターの子供たちの4泊5日の研修旅行が挙行され、私だけ置いてけぼりを食らったとか、
ソテアレンの弟の婚約式に出席する為プレイベンへの小旅行に出ている間に、ゲストハウスの自分の部屋の水道が漏れて部屋が水浸しになり、段ボール箱やプリンターが水に浸かって大変だったので、この前応援団の呼び掛け人になって貰った「アナコット・カンボジア」代表の田中千草さんに通訳を頼んで、大家に家賃を負けてくれる様交渉して貰ったけど、大家が承諾しなかったとか、2月22日、23日とバッタンバンに旅行に行って、帰って来てから体調を崩し、結局それが腎臓の病によるものと分かって1ヶ月以上酒が飲めなかったとか、完全復調では無いものの何とかやっとその酒が飲める様になったと思ったら今度は4月16日にバイクで転倒し、胸を強打して又してもその痛みで酒が飲めなくなったとか。
あれから今日でちょうど2週間経ちましたが、まだ痛みは続いています。

「USBメモリー紛失事件」に時間を割いてしまって、他の件は端折ってしまいましたが、事程左様にこの4ヶ月間は不幸のオンパレードでした。
小さい事を挙げれば切りが無い位まだまだ他にも有りました。


でも、私はこれを読まれた皆様に不快な気分を味わって貰おうと思って書いた訳ではありません。
逆です。
皆様に、「いつも幸せ一杯なんて人は存在しない、人生に不幸は付き物、しかし、その不幸と思っている事も実は些細な事、越えられない不幸の壁など無い、人生は前向きに進んでこそ道が開ける」
そうした事を考えて頂きたいと思って、今回のブログを書いた次第です。
ちょっとこじ付け感も否めませんが、でも、半分は本心です。

明日から5月、日本では若葉萌える新緑の5月です。
どうかプラス思考で、前向きに人生に立ち向かって行って下さい。
頑張れば、政治だって変えられる。
そんな事を思う今日この頃です。




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ブログに穴を空けたお詫びと言い訳

4月23日(日)

皆様、大変御無沙汰しております。
1月1日に「2017年元旦の御挨拶」を書いて以来、又しても長らく冬眠してしまい、このブログを楽しみにして下さった方々(ごく少数の方だとは思いますが)には、本当に申し訳ございませんでした。
さあ、ここからは言い訳タイムですが、暫くお付き合い下さい。


私は、1月5日から21日まで日本に帰国していましたが、その後数々のトラブルや災難、多忙な日々が押し寄せて来て、気持ちのゆとりが全く無い状態に襲われていました。
(と言いつつも、飲み会だけはコンスタントに続けていましたが、デヘッ)
カンボジアに戻ってから、大事なUSBメモリーを日本に忘れて来た事に気付いたとか(一時は紛失したと思ってパニックに陥りました)、怪我をしたり病気になったりとか、知人の結婚式やパーティ、旅行があったりとか。はたまた日本から次々と博物館に、或いはプライベートで客が来訪されたりとか。
兎に角、一杯一杯でした。
(まあ、反対を言えば、ブログネタも数々有った訳ではありますが)


そんな中で、一番私を苦しめ、気持ちを落ち込ませた問題が「アキラ地雷博物館・日本人応援団」のホームページ(http://akira-landminefree.org)が崩壊した事件でした。
ホームページを開いても、応援団員名簿が何年か前のものだったり、写真が消えていたり、表示がおかしかったり、新たな書き込みが出来なかったりと兎に角まともな状態とはかけ離れていて、来館者に対して、或いは応援団員の方々に対して、とてもじゃないですが「ホームページを御覧になって下さい」とは言えない状態になっていました。
それに気付いたのは日本に帰国中でした。
最初は、何処ぞの悪意の第三者が、サイバー攻撃を仕掛けているものと思っていました。
しかし、1月末にK氏と言うカンボジア在住日本人に相談して調べて貰った所、原因がこのホームページを5年前に作ってくれたウエブデザイナーの操作ミスによるものと判明しました。

そのウエブデザイナーの名は 森山真祐子さんと言いまして、当時はカンボジアに住んでいましたが、今は東京在住の今年30歳になる女性です。
何でも、ホームページのサーバーを移動させようとしていてミスってしまい、数々のデータを消失させてしまった様なのですが、詳しい事は分かりません。
その後K氏が、ホームページの修復についてこの森山真祐子さんと連絡を取っていたので、何れはその森山さんから私に対して謝罪の連絡が入るものと思っていたのですが3月になっても一向に連絡が有りません。そこで私もしびれを切らして、3月末になって初めてこちらから森山真祐子さんにメールし、「わざとやった事で無いのは分かっているけど、結果としてこちらに迷惑を掛けたのだから謝るのが筋ではないか」と伝えました。
1回目のメールでは自分は悪くない様な事を言っていたのですが、2回目のメールでやっと謝罪して来ました。
その時点では、曲がりなりにも謝罪してくれたのだからと、私はもう一切を水に流そうと思いました。
元々、このホームページ作製を6万円と言う恐らく世間相場より安い値段で引き受けてくれて、満足の行く作品に仕上げてくれた恩人なので、今回の件にしても悪意でやった事ではないのだから、消えてしまったデータは元に戻らないにしても、復活可能な部分だけ元に戻して貰えたらそれで良いと思っていました。
ところが、実際修復作業を行ったのは殆どがK氏(専門家では無く、単にコンピューターに詳しくて技術を持っているというだけの人です)であり、しかも、最後の最後修復可能な部分はあともう少しという所に来て、何故かもう終了と言うのです。

「そんなアホな」
私としては納得出来ません。
まだ修復して欲しい部分が4箇所残っていましたので。
そこで、「消えてしまったデータが復活出来ないのは、残念だけど仕方無いので諦める。しかし、この4箇所については修復可能なのではないですか?」と、再度頼んでみました。
しかし、この依頼は無視されてしまいました。

この4箇所はひょっとしたら修復不可能なのかなと思いながらも、K氏に別料金を払う事を条件に修復を頼んでみたところ、一晩で解決してくれました。
「何じゃ、そりゃ」
驚き桃の木山椒の木です。

一体森山さんは、何が不満でこの最後の修復作業を放棄したのでしょうか。
今もって、全く理由が分かりません。
それさえしてくれていれば、私は彼女に対して何ら遺恨も不満も持つ事は無かったのです。

私としては、一旦腹に収めていた怒りのマグマが再噴火しました。
一時は損害賠償請求訴訟も本気で検討しました。
私には3人の子供が居ますが(因みに孫もおります)、しかし、その家の子供達よりもまだトシの若い一人の女性相手に、そこまでやるのは如何なものかと考え直し、訴訟は断念しました。
でも、こちらの気持ちを相手に伝えておく必要は有ると思って最後のメールを送りました。
勿論、金を要求した訳でも、ゆすりたかりの類でも無く、従って返事も別に求めていませんでした。
只々、こちらの気持ちを鎮める為と相手に反省を促す為でした。
ところがそれに対して、とんでもない返事が返って来ました。
正に絵に描いた様な逆切れで、自分の父親よりも年上の人間に対しての礼節をわきまえぬ口汚い罵り。
まるで自分が、加害者では無くて被害者の様な。
私としては訳が分かりません。


今回の件を整理すると、私が一方的な被害者であり、彼女は故意では無いとはいえ私の大事なホームページを破壊した加害者です。
その加害者に対して私の方から要求したのは、壊れたホームページの修復可能な部分を専門知識を活かして修復してくれと頼んだだけです。
「金を出せ」とか「おんどりゃ、ブチ殺すぞ」とか言っている訳では無いのです。

私が1月に轢き逃げされ、その犯人を探し出したら、それが昔世話になった事のある知人だった。その犯人は、運転中に急にめまいがしてハンドル操作を誤まり、私を跳ね飛ばした後怖くなって逃げてしまったとの事だった。
私はその事故で片足を切断し、入院中だった。
自ら謝罪して来るのを待ったが一向に連絡が無いので、3月末になって私の方から連絡して謝罪を求めたら、何とか謝ったのでそれなら赦そうと思った。
警察にも突き出さないし慰謝料とかも要求しない、ただ、入院中の病院代だけは負担してくれと頼んだ。しかし先方は4月中旬になって、今までの治療費は出すけど、もうこれ以上は出せないと言って来た。私は4月末には退院する予定なのに。


まあ、交通事故に例えたら、こういったところでしょうか。


汚い言葉を浴びせて罵った訳でも無く、極めて冷静に相手の非を諭したつもりですが、その気持ちが一切相手に通じずこの様な非道な返事を貰うに至り、怒りの炎が燃え上がっておりまする。
この怒りをどの様にして鎮めるか考えた結果、このブログを書くことにしました。
これを読まれた人の中に彼女を知っている方がいらっしゃれば、どうか彼女に教えてあげて下さい。
こんな人の道に外れた生き方をしていたら、何時かは大きなしっぺ返しを食う事になると言う事を。

このブログを書いたからといって、立ち所に怒りが収まる訳でもありませんが、私もいつまでもたった一人の人間に、それも自分の人生の半分も生きていない幼い人間に怒ってばかりいても詰まりませんので、もうこれで区切りを付けたいと思います。

最後に、私と彼女のメールを掲載致します。
生々しいですが、これを見て頂くと、私の言っている事がウソや単なる彼女への誹謗中傷なんかでは無い事を分かって頂けると思います。


まあ、こんなモヤモヤがずっと続いていて、ブログを長い間お休みしてしまいました。
ナンチャッテ。
本当は、生来の怠け癖だったのですが。
これからは、また頑張って書きますので、宜しくお願い致します。





「4/19に私から森山さんに出した最後のメール」
森山さんへ 
もう、私から貴女に対して、何も望むものは有りません。
これが、最後の忠告だと思って読んで下さい。
 
今回のホームページ破損を巡る一連の経緯については、貴女の未熟な人間性に触れ、非常に不愉快であり腹が立っています。
破損した事については、わざとやった訳では無く、遅れてしかもこちらからの要求に応えた形とは言え、一応謝罪を受けたので、許そうと思いました。
自分の怒りを一旦はそこで収めました。
しかし、修復作業がまだ不完全であるにも関わらず、もうこれ以上やれる事は無いと言って来た事に対して、対応が余りに不誠実極まりない事に対して、怒りが再燃しました。
こちらが素人だからと、馬鹿にしているとしか思えません。嘗めて掛かっているとしか考えられません。
 
貴女に対して、何らかの社会的制裁を加えなければならないと思い、訴訟も考えました。
金を取るのが目的では無く、貴女に社会人としての自覚、責任感を持たせる為です。
今回は一度も触れませんでしたが、貴女は前にも単純に更新手続きを忘れてホームページが消えてしまうミスを犯しました。
技術的な事はどうか知りませんが、貴女はプロとしての自覚、責任感が大きく欠けている様に思います。行動が余りに甘過ぎます。
私は法学部出身であり、嘗て金融機関に勤めていたのでこれまで何度か訴訟経験が有ります。
しかも、幸いな事に今は息子が福岡で弁護士をやっているので、昔よりももっと簡単に訴訟が起こせます。
だから、今回の件に関して、特に事後の貴女の対応に対しての損害賠償請求訴訟を提起しようかと考えました。
前に貴女の住所を尋ねたのは、訴状の送付先としてです。
その後、訴状は貴女の勤務先である「ワードプレス」に送ろうと考えました。
その方が、訴訟を起こされた事が会社にも知れ、又、給与差し押さえでも請求すれば、いよいよ会社での貴女の立場に対してダメージが大きくなると考えてです。
 
そこまで考えてはみたものの、でも、家の子供達よりもまだ若く、これからの将来の方が長い貴女にそこまでダメージを与える事に躊躇いが生じ、訴訟を提起する事は止めました。
ただ、こちらの気持ちを貴女に伝えておかなければならないとの思いからこの手紙を書きました。
これを読んで貴女がどう判断するかは自由です。無視しても結構です。
しかし、このまま進めば、貴女はいつか取り返しのつかない大きなミスを犯すと思い、それに対する警告としてこの手紙を書きました。
 
                            2017年4月19日
                        「アキラ地雷博物館・日本人応援団」
                            代表  川広 肇



「それに対する森山さんからの最後の返事(4/20付け)」
川広さん
自分でホームページを運営していく気がないのでしたら、今すぐ閉鎖なさってください。
以前申し上げたとおり、威圧的な態度をとられる方とは取引いたしません。
こんな脅しのメールを書いている時間があったら、自分で勉強されてはどうですか。
今となっては、最初からかかわらなければよかったという思いしかありません。
最初に依頼されたときから前の業者とトラブルを起こしてましたが、その時の川広さんの言いようも、善意で協力してくださった方に対してひどいものでした。
もう誰も川広さんに紹介したくありませんし、UさんやKさん(実名だったが、川広がイニシャルに変更)にお願いしたことも後悔しています。
誰が相手でもまたトラブルになるでしょうから、誰も巻き込まないでください。
第三者をたてれば解決するのでしたら訴訟でもなんでもやってください。
ご自分の言葉を守って、もうこれ以上何も送ってこないでください。
何か来ても、もう開封しません。




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2017年元旦の御挨拶

2017年1月1日(日) 


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皆様、明けましておめでとうございます。
このブログも、又してもサボり癖が出て、先週、先々週とお休みをしてしまいましたが、今日は年の初めですので、気持ちを新たにして一言ご挨拶申し上げます。

と言いましても、カンボジアの元旦は日本と違い、それ程特別の事をする訳でもありませんので、ホントに今日は元旦なのかなあという感じです。
そもそもカンボジアでは正月が3回あり、1つ目はこの1月元旦ですが、2つ目は2月の中国正月、そして一番ビッグなのが4月のカンボジア正月でして、この時には家々に正月飾りをして、大半の店もお休みし、盛大に祝います。
カンボジア人の気分が一番盛り上がるのが、この4月のカンボジア正月なので、1月の正月は、「世界中で祝ってるので、まあ我々も祝っとこおかな」てな具合です。
それに、寒い日本と違ってこちらは暑いですし、初詣とかも無いので、イマイチ正月気分に浸れません。
しかし、そうは言いながらも、昨晩の年越しのセレモニーの方は凄かったです。
シェムリアップの中心部は人や車で大渋滞を起こし、カウントダウンが始まった頃には繁華街にはカンボジア人の若者と外国人旅行者が溢れて立錐の余地も無く、みんなが踊り狂っていたそうです。
そして、0時を境に一斉にあちこちから色とりどりの花火が打ち上げられ、夜空を焦がしました。
私は、住んでいるゲストハウスのベランダから見学しましたが、かなり広範囲に渡ってそれもかなりの数が打ち上げられ、それはそれは華やかでした。

いつもなら私も夕方から街に繰り出して、ぐでんぐでんに酔っ払いながら、その花火を何処かの酒場で見ていた事でしょうが、31日は入っていた予定がキャンセルになり、仕方無いので一人部屋で紅白を見て、いきものがかりや高橋真梨子の歌に癒され、そして夜中にベランダで、酒で無く花火に酔いしれたという訳です。

まあ、そんな訳で、大晦日のセレモニーが華やかだった分、元旦との落差が大きく、余計に正月気分が沸かないのですが、それでもやはり今日は2017年の始まりで、私の63歳の誕生日でもあります。
気持ちを引き締め直して、今年1年の計画をしっかり立て、計画実行にまい進して行こうと思いますので、皆様方どうぞよろしくお願い致します。

今年の目標は、応援団員の数を大幅に増やし、このブログも休まず書き続ける事です。

と言いつつ、実は今月5日から21日まで一時帰国しますので、このブログもお休みさせて頂こうと思っています。
ホント、いい加減な計画なんだから。

やはりカンボジアは暑いので、グニャグニャしていて身が引き締まりません。
それでもどうぞお見捨てにならず、これからも末長くお引き立ての程宜しくお願い致します。



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後藤一幸さん・朱実さん夫妻のこと

12月11日(日)  

今年も、もう残り20日を切ってしまいました。
月日の経つのは本当に早いですねえ。
こちらカンボジアは、暑くて大変・・・と言っても、朝晩は時に涼しく感じる時もありますが、日本の皆さんは毎日寒くて大変でしょう。お察し申し上げます。

 さて、今回のブログは我らが同士・後藤夫妻のことに付いて書こうと思います。
先月27日から今日まで、応援団員の後藤一幸・朱実夫妻がシェムリアップに滞在されていました。
今回で、カンボジア渡航がちょうど10回目だそうです。
ほぼ、年2回のペースで来られていて、御夫妻共に、私と同様にカンボジア大好き人間です。
奥さんの朱実さんは、去年の10月、11月の2ヶ月間、博物館で私の替わりにボランティアガイドも引き受けて下さった方で、このブログの2015年10月5日付けの「初めまして。よろしくお願いいたします」から2015年11月19日付けの「ありがとう~、感謝を込めて、そしてまた会えるときまで・・・・」を担当して戴いています。
また、2013年8月5日付けブログ「後藤夫妻と共に行くカンボジア・ミニ・ツアー」にも登場して頂いていますので、皆さんもよく御存知だと思います。

後藤夫妻と私はほぼ同年齢ですが、お二人は私なんかより遥かにエネルギッシュで、これまで地域での様々な活動を始め、大地震のあったネパール支援の為、現地を訪問しただけでなく、帰国後に写真展を開いて被災地の現状を多くの人に知らせ、支援金を募ってそれでまた被災地支援を行ったり、カンボジアに対しても、仲間に呼び掛けて文房具や本、おもちゃ、衣服を集めて孤児院や学校、貧しい村に寄付したりと、それはそれは精力的に活動されています。
又、趣味の分野でも、酒と歌位しか興味の無い私と違って、お二人とも楽器演奏(ギター、フルート)、マラソン、写真etcと実に多彩です。
私も日本に帰っていた2年間で2回、三重県の御自宅を訪問し、泊めて頂いた上で色々な話を伺わせて頂きました。

思えば後藤夫妻とは、長い付き合いになりました。
中日新聞に載った私の紹介記事(犯罪者として載ったのではありませんので念の為)を見たと言って2012年10月に連絡を頂き、その後メールでのやり取りが続き、2013年1月には御夫婦揃って応援団員登録をして下さり、そしてその年の2月6日に博物館を訪問して頂きお会いしたのが最初の出会いでした。
その前にも博物館にはお越し頂いていたのですが、私が不在でお会い出来ていませんでした。
カンボジアにお越し頂く度に、色んな所に御一緒させて頂いていますが、今回も何箇所か同行させて頂き、何人かの人にお会いしました。
その中で、特に印象に残ったのが次の2人の人物です。
その一人は大房明良君と言って旅行会社「チョルモイツアーズ」を経営しながら、語学学校や保育園を作ってスラム街や農村部の貧困に喘ぐ子供達の支援を行っている26歳の若者。



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左から後藤朱実さん、一幸さん、そして大房明良君

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大房君の運営している語学学校


そしてもう一人は、山勢拓弥君と言って、一般社団法人「クマエ」を立ち上げ、バナナリーフペーパーという、バナナの木の幹から繊維を取り出して、それで紙を作ってポストカードとか名刺などの製品にし販売する事でゴミ山で暮らす人々に雇用の場を提供し、生活支援している23歳の若者。


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山勢拓弥君

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バナナリーフペーパーの工房

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山勢君が支援しているフリースクール


この2人の若者とは、後藤夫妻も私も、前々からの知り合いでしたが、今回改めて話しを聞かせて貰い、3人で深く感銘を受けた次第です。
2人ともまだ大変若いのに、実にしっかりした人物でした。
2人の人物紹介については、また日を改めてやりたいと思いますが、この2人から多くの事を学ばせて貰いました。


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DSCN1274.jpg 紙すきの工程



後藤夫妻とは、滞在された15日間で他にも色々な所に同行させて貰い、私も随分刺激を受けました。
今からもう、来年の御来訪が楽しみです。
もっとも私は、半分は飲んだくれていたので、本来は倍の刺激を受けられたのに大きく損をしてはいますが・・・。




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我々の仲間のチャイに連れて行って貰った村で、子供達に文房具やお菓子、ぬいぐるみを配る後藤一幸さん

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村で食事を御馳走になる後藤夫妻




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  1. 2016/12/12(月) 17:46:12|
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昨今のお客様事情

12月4日(日)    

10月23日のブログ「カリマンタンの青い空・田辺美穂子さんのこと」で紹介しましたミホさんから、今日、「入籍した」との報告が飛び込んで参りました。
そんな話しは全然聞いて無かったので大変驚きましたが、でも、本当にオメデタイ事なので心より祝福したいと思います。皆さんも一緒に祝ってあげて下さいませ。
夕べもアキラさんの身内の結婚式が有りましたし、今週土曜日にはソテアレンの弟の婚約式も有りまして、オメデタ続きです。
このどさくさに紛れて、私もオメデタイ事になったりして・・・それは無いか。

さて、今日は12月の第一日曜日ですので、「アンコールワット国際ハーフマラソン」が開催され、有森裕子さんや猫ちゃん(猫ひろし)が来て、遺跡の中のコースを走った事でしょう。
この大会は、1996年から開催されていて、今年が第21回目だそうです。
今年は見学には行きませんでしたが、恐らく大勢の日本人が、この日目当てにカンボジア・シェムリアップに来られたと思います。

「アキラ地雷博物館」もお陰様で、連日日本人客で大賑わい・・・と申し上げたいのですが、残念ながら日本人客は、この1年少なかった様に思います。
外国人のお客様は昔と変わらず、コンスタントに来て下さっているのですが、色んなカンボジア人の日本語ガイドに聞いても、やはり皆が「今年は日本人のお客様、少ないね」と言います。
何故なんでしょう。
世界中でテロが頻発しているので、その影響も有るのかも知れませんし、カンボジアはまだまだ地雷が多く眠っていると言うので敬遠されているのかも知れません。
しかし、皆さん、カンボジアでもシェムリアップは全然危険な所ではありませんよ。
プノンペンになると多少治安が悪いですが、シェムリアップは安全そのものです。
それが証拠に、私なんぞ毎晩の様に飲んだくれて夜の街をほっつき歩いていますが、ホーレこの通り、ピンピンしていますでしょ?
まあ、時にバイクでぶつかられたり水に落ちたりはしますが(誰のこっちゃ)、何処の国でも多少の危険は当然有りますので、シェムリアップはその範囲内です。
地雷も、観光客が普通に訪問する様な場所には埋まってはいません。山奥にでも入らない限り心配無用です。
ですから、皆さん、どしどしカンボジア・シェムリアップを御訪問下さい。
心よりお待ちしています。

博物館ではこの1年、日本人客が少なかったと申し上げましたが、それでも5月のゴールデンウィークや夏休み、お盆の時は、大変多くの日本人客で賑わいました。
「地球の歩き方」などのガイドブックにも掲載されていますし、インターネットで見たと言って来て下さるお客様も大勢います。
大学生のスタディツアーや高校生の修学旅行、それに最近では「HIS」や「タビックス・ジャパン」と言った大手旅行会社が、遺跡観光に加えて「アキラ地雷博物館」を見学コースに組み込んでくれていて、これまでとは違った年配層のお客様も来て下さる様になりました。
しかし、更に更に多くの日本人の方に来て頂き、「戦争の悲惨さ、平和の尊さ」についてじっくり考えて頂けたらと願っています。

今回のブログでは、先月にお越し頂いた「タビックス・ジャパン」のツアーのお客様を紹介させて頂きます。
11月8日(火)35名
11月27日(日)30名
の方にお越し頂きました。
恥ずかしがられて全員は写っていませんが、皆さん熱心に私の話に耳を傾けて下さいました。


名前

8
11月8日(火)のお客様

27jpg (1)
11月27日(日)のお客様



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  1. 2016/12/05(月) 03:57:47|
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