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川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

日本行きビザ申請のお話

2019年7月28日(日) 

前にこのブログで、博物館からの帰りに通らなければならない通称韓国道路が工事中で、土煙が舞い上がるので今は通りたくないと書きましたら、そのブログ「博物館への道程part2」を読んだ渡辺新太氏が抜け道の情報を送って来てくれました。
その道は、砂利道ではありますが土煙も舞い上がらず、雨が降っても水溜まりが出来る事も無く、ホントに地獄に仏の脇道です。
渡辺新太さん、貴重な情報を有難うございました。


さて、今回のブログは、アキラ氏の日本渡航の為に必要なビザのお話です。

今年の10月下旬から11月初めに掛けて、東京、千葉、宮城、愛知でアキラ氏の講演会を実施致します。
詳細については、9月にこのブログやHPで改めて発表致しますが、その日本行きの為のビザの発給申請を今月行い、25日に無事に取得完了致しました。
今回のアキラ氏の日本行きについては、昨年の博物館内爆発事故によるアキラ氏逮捕の一件が有りますので、ビザが発給されるかどうかについては一抹の不安を抱いていましたが、何とか無事に発給されましたので、これで安心して一緒に日本に行く事が出来ます。

ビザの発給申請に際しては、これまでは必ずプノンペンの日本大使館まで行かなければなりませんでしたが、昨年1月にシェムリアップに領事事務所が開設された為、今回はわざわざプノンペンまで行かなくても、シェムリアップで手続きが完結出来、非常に助かりました。
プノンペンまで行くとなると時間も掛かるし、それもビザ申請については午前中のみの受付でしたから前泊しなければなりませんでした。
金も掛かるし時間も掛かるで本当に大変だったのですが、それが今回は大幅に負担が軽減された訳です。

しか~し・・・。
もう済んだ事ですから、わざわざ思い出さなくてもいいのですが、まあブログネタとしてちょっと書いておきます。
去年の9月に、アキラ氏だけでなく家族も同伴し、更に地雷被害者のポーイと通訳のオル君、そして私の総勢8人て、1ヶ月間掛けて日本全国を廻ると言う、私一世一代の「日本全国大講演会」を企画し、ビザ申請をしたのが7月でした。
去年の1月にはシェムリアップに領事事務所が開設されたので、てっきりシェムリアップでビザ申請が出来るものと喜んでいたところ、何と領事事務所で他の業務は1月からスタートしていたのですが、ことビザ業務に関しては準備が整っていないので、7月時点ではまだ出来ないとの事で、結局8人でプノンペンまで行かなければなりませんでした。
(皮肉にもこの後、我々が日本に行った9月2日から業務が開始されました)
折角1月に領事事務所が開設されたのに、とんだぬか喜びに終わった訳です。

これがケチの付き始めで、この後8月27日の博物館の爆発事故、それを受けての主役のアキラ氏の日本渡航中止、9月2日のアキラ氏を除いた7人での日本渡航、日本に着いて早々の9月6日に北海道大地震に遭遇し、初めての経験にカンボジア人6人が恐怖に震え、北海道に2日足止めを食い、日本最終日の9月30日には台風21号の接近で飛行機が飛ばず帰国が1日遅れると言う踏んだり蹴ったりの悲惨極まりない日本行きとなってしまいました。
(まあ、そんな中にあっても、講演会そのものはやり遂げたと言う達成感を味合う事が出来、満足してはいますが・・・。)


ビザ申請にまつわる、ほろ苦い思い出話でした。




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  1. 2019/07/28(日) 21:03:48|
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博物館への道程 part2

2019年6月30日(日) 

9日から日本に一時帰国し、20日にカンボジアに戻って参りました。
帰国時の計画はほぼ達成出来て、満足して関空から機上の人となり、ハノイ経由でシェムリアップに戻って来たのですが、最後の最後でとんでもないアクシデントに見舞われました。
前にも一度、飛行機に積み込んだ荷物の中から中身を取り出した時、大事な物が一つ紛失している(結局後から見つかりましたが)と言うトラブル(2017.4.30「不幸の連続の日々を振り返る」)がありましたが、今回は飛行機に積み込んだ荷物(トランクとリュックサックの2つ)そのものが届かないと言う大トラブルでした。
そもそもシェムリアップ空港への到着が予定の時間より30分以上遅れて、それで無くとも首を長くして外で待っている妻と子の事が気になっているのに、荷物受け取りの為にターンテーブルで待つ事30分、待てど暮せど一向に私の荷物が出て来ない。
他の同乗者は一人去り二人去り、最後に残ったのは私だけ。
非常に惨めな思いで空港内の紛失届け窓口に行き、紛失届を書いて外に出たのは到着してから1時間以上経っていたでしょう。
もう、10回以上カンボジアと日本を行き来していますが、こんな事は初めてであり、このまま荷物が手元に届かなかったらどうしようと絶望的な気持ちになり、気が気ではありませんでした。
結局、荷物はトランジットのハノイで積み忘れられた様で、翌日の夜には私の手元に戻って来たので事無きを得ましたが、本当に肝を冷やしました。
何せ、トランクは家で金庫代わりに使っているので、荷物の中には日本からのおみやげやパソコン以外に、預金通帳やら現金やらその他貴重品が満載だったのですから。
もうこれに懲りて、これからはこうした貴重品は持って帰らない事にします。

閑話休題

日本に居る間も、殆ど雨は降りませんでした。
何でも、私の地元岡山が梅雨入りしたのは例年よりも大分遅く、6月26日だった様です。
ここカンボジアも、雨季に入ったのは5月6日頃でその頃は結構降ったのですが、中旬以降たまにしか降らず、私がカンボジアに戻った6月20以降今日まで殆ど降りません。
今日も、少しパラついた程度です。
ですから、普段は水を満々と蓄えている観光名所の「スラスラン」(王様の沐浴場の意味)が、今は干上がっています。
そんな訳で、博物館からの帰りに利用する韓国道路が、悲惨な状況です。

行きは遺跡の中を通って行くので問題無いのですが、帰りは遺跡チケットを持っていないと遺跡の中を通してくれませんので、韓国道路を使わざるを得ません。
乾季だったら利用出来る脇道もあるのですが、そこも雨季に入ってからは危なくて通れませんので、一人の時には韓国道路を利用するしか今は手が有りません。(2019.1.20「博物館への道程」)
(妻子と一緒の時は、妻にバイクを運転させて私は後ろでヘルメットを深々と被っていればチケットポイントを無事通過出来ますので、韓国道路を通らなくても大丈夫です)

その韓国道路、何が悲惨かと言うと、今年1月から補修工事が始まったのですが工事は遅々として進まず、土を入れて凸凹はある程度解消されたのですが、雨が降らない為土が乾いて砂埃が半端ありません。
車に追い抜かれたり、すれ違った時にはモウモウと白煙が舞い上がり前が見えなくなります。
家に着いた時には服やズボンが真っ白になり、まつ毛や顔をティッシュで拭くと拭いたティッシュが赤茶色になります。
これには、ホント身が萎えます。
博物館に行くのが億劫になります。

雨が降った時には、カッパを二重重ねに着て雨の浸透を防ぐので、対策はバッチリですが、降らなければ、対策の仕様が無く砂埃だらけ。
雨季が明ける11月まで、と言うか工事が終了するまで苦悩の日々が続きます。
ああ、神様・・・・イヤイヤここはカンボジアだから仏様か。
どうか一刻も早く、この韓国道路の補修工事を終了させて下さい。
お頼み申します。

何とも切ない今日この頃です。




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           水を蓄えた普段の「スラスラン」


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           干上がった現在の「スラスラン」



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  1. 2019/07/01(月) 23:56:19|
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2つの結婚披露パーティ

2019年2月4日(月) 

今日は、日本は立春ですね。
暦の上では春でも、実際は今が寒さのピークでしょう。
インフルエンザが流行っている様ですから、皆様、どうぞくれぐれもご用心下さい。

カンボジアは明日5日が中国正月(旧正月、春節)ですので、今日から3、4日間は中国系カンボジア人の家ではあちこちでパーティが行われるでしょう。
街には獅子舞も繰り出し、あちこちで爆竹が鳴らされます。
でも、カンボジアは日本と違ってとにかく暑い。
1月1日の正月も、この中国正月も、そして4月のクメール正月も、日本の正月とは雰囲気が全く違います。
ただ、昼間っから誰に遠慮する事無く、堂々と酒が飲めるのはどちらも同じ。
だから、正月は大好きです。

もっとも、カンボジアに来てから年中大酒を食らっている私としては、正月だからと言って特別な感慨が有る訳ではありません。
普段のパーティと同様、呼ばれれば、ただ酒目当てに何処へでもホイホイ出掛けます。



しか~し、結婚パーティとなるとちょっと事情が違います。
ただ酒と言う訳には行きません。
カンボジアも少しずつ物価が上がっていて、祝儀も、日本人相場として昔は10ドルか20ドルだったのが、今は普通で30ドル、少し近い関係だと50ドル必要です。
前回のブログでも書きましたが、今は結婚式シーズンでしてこの1週間で2つ、親しい人間の結婚披露パーティに出席しました。

1月30日(水)と昨日2月3日(日)に。

前者がアラのパーティでした。
アラは、子供の時爆弾で右腕を失い、アキラ氏の作ったリリーフセンター(養護施設)で育てられ、今はCSHD隊員としてアキラ氏の下で地雷撤去活動をしている29歳の若者です。
私が2011年3月にカンボジアに来た時はまだ事務所スタッフをしており、7月から約1年間、他の4人のメンバーと一緒に日本語を教えた内の一人です。
2013年10月に開いたアキラ氏の日本講演(京都、大阪、岡山、東京、福岡)では、アキラ氏と一緒に日本に連れて行きました。



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そして、後者がカリヤンのパーティでした。
カリヤンは、アキラ氏の義兄であるヨンさんの娘で、美人3姉妹の長女です。
私が地雷博物館でボランティアガイドを始めた当初からスタッフとして働いていて、別れた前の夫との間に2人の子供が居ます。
詳しい事は知りませんが、私が帰国していた2014年か2015年に離婚して、上の女の子は前夫が引き取り、下の男の子をカリヤンが引き取った様です。
ですから、今回は再婚です。
私もバツ1ですが、カンボジアでもバツ1は多く、それどころか私の周りにもバツ2、バツ3、中にはバツ4の猛者も居ます。
離婚する事のハードルは、それ程高く無い様です。



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そんな2人の結婚式が立て続けにあり、私も大変嬉しくて幸せな気分に浸ったのですが、酔いが冷めた後で襲って来るこの胸の疼き、切なさたるや。
その正体は・・・タケオで暮らす嫁と娘との今後1年の別居生活?
イヤ、イヤ、飛んで行った100ドルでしょう、
セコっ。




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  1. 2019/02/04(月) 20:47:32|
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博物館への道程

2019年1月20日(日) 


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      Happy Honeymoon


嫁が、今月4日から1週間、遠くタケオの地からシェムリアップに出て来て、束の間のハッピータイムを過ごしたのですが、我が幸せに留まらず、今月は他人が一杯幸せの瞬間を迎えています。
そうなんです。今は乾季ですから結婚式ラッシュでして、今月だけでも3人のCSHD隊員(地雷撤去チームメンバー)の結婚式があります。
既に2つ終えていて、30日には2013年にアキラ氏と一緒に日本での講演会に連れて行ったアラが結婚致します。
非常に嬉しい事なのですが、反面、財布がどんどん軽くなって行って年金のみが頼りの我が身には・・・・正直、辛いッ


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さて、今日のテーマは上記の前振りとは全く関係が無いのですが、「道」です。
私の住んでいるシェムリアップのゲストハウスから博物館に行くのに、行きは遺跡の中の道を通って行きます。
昔は帰りも同じ道を通れたのですが、2、3年前から帰りは何故か別の道を通らなければならなくなりました。
行きは、国道6号線からアプサラ道路に入り、遺跡チケット売り場やキョンギュー広場を横目に見ながらまっすぐ進むと、遺跡群の道に入る手前にチケットチェックポイントが在り、そこで外国人は遺跡チケットを見せなければなりません。
遺跡チケット代は、一昨年から一日券が37ドル掛かります(カンボジア人は無料)。
最初は私もチェックポイントで、遺跡を管理しているアプサラ機構の職員に止められて、「チケット不携帯の者はここを通さない」と言われたのですが、「私は遺跡を見学しに来たのでは無く、バンテアイスレイに在るアキラ地雷博物館に行くのだ」と言って何とか通行を許可され、それ以降は顔パスで通れる様になりました。


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           プラダック村に出来たチェックポイント


ところが、2、3年前のある日、そことは別にプラダック村にもチェックポイントが出来ました。そして、行く時はそこも通してくれるのですが、何故か帰りは通してくれないのです。幾ら「博物館からの帰りであって、これから遺跡見学に行く訳では無い」と言っても聞き入れてくれず、来た道を引き返して「韓国道路」を通って帰れと言うのです。
理由は、未だによく分かりませんが、まあ、距離的にはさほど変わらないし、実害は無いので指示に従って「韓国道路」を帰る様にしていました。
「韓国道路」と言うのは、正式には何と言うのか知りませんが、7、8年前に韓国政府が整備した道路なので通称「韓国道路」と呼ばれている10キロ弱の道です。
最初の頃はこの道も舗装された快適な道だったのですが、長年の風雪(雪は無いか)と車の重量に耐え切れず、2、3年前からはあちこちアスファルトが破壊されて大穴だらけの危険な道になっていて、特に夜、雨が降っている時などこの道を走ろうものなら、穴の深さが分からずに何度も転倒しかけ、又、穴に溜まったどろ水を思いっ切り顔に浴びる羽目になります。
「ええかげんにせんかい」と何度叫んだ事か。



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カンボジアにはまだまだこうした未舗装か、或いは一度は鋪装してもその後補修していないガタガタ道が数多くありますが、ここは仮にも韓国政府が整備した道路。入り口にも堂々と石碑を建てて「大韓民国が寄付をしたカンボジア・韓国友好道路」と謳っているのですから、「後々の面倒もちゃんと見ろよ」と言いたいです。
何も韓国政府批判をするのが本意では無いのですが、こうした政府間の支援事業の場合、やりっ放しが実に多い。それは日本も例外では有りませんが。
まあ、それはさて置き、この道は出来る事なら迂回したいと思っていた所、古川さんからいい抜け道が有ると教えられました。
この古川さんと言う人は、これまでも何度かこのブログに登場した事がありますが、私より1つ年上のカンボジア在住歴10年の先輩です。
兎に角物知りで、おまけに、この年代の人は私も含めてカンボジア語は殆ど話せないのが普通ですが(勝手に思っているだけかも)、この古川さんだけは例外で、カンボジア語もペラペラの達人です。
その古川さんが、韓国道路を通らず、又チェックポイントに引っ掛からずに帰る事の出来る道を教えてくれました。
それは、博物館から9キロ位南に下った韓国道路の手前1キロ位のプラダック村の中の未舗装道路で、東に行くと一ノ瀬泰造の墓に通じる道を反対に進む道です。


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   左に進むと一ノ瀬泰造の墓方面に、右に行くと東メボン遺跡方面に出られる

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      間道を抜け出た所にある東メボン遺跡
 

私は生来の方向音痴で、こんな地図にも載っていない様な道に足を踏み入れると大抵迷ってしまうので、普通なら決して一人で冒険したりしないのですが、もう2度とあの韓国道路は走りたくないとの思いが強く、意を決しました。
1回目は未舗装の道を抜けた所で案の定逆方向に進んだ為、とんでもなく大回りをする羽目になりましたが、2回目には上手く東メボン遺跡の前に出て、チケットチェックポイントの前を通らずに来た道を帰る事が出来ました。
この東メボン遺跡に通じる2、3キロの道も土埃の舞う砂利道で、決して快適な道と言う訳では有りませんが、穴凹だらけの韓国道路よりは大分ましです。
何で古川さんがこんな道を知っているのか。彼はシェムリアップ在住歴は私より短く、またこんな場所に用は無い筈なのに知っているのですからホントに不思議な人ですが、でもいい道を教えて貰って感謝で一杯です。
この道も、雨季にはどんな事になるのか今は想像も付きませんが、まあ当分この道を帰る事に致します。
我に幸あれ。


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        プレループ遺跡

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         スラスラン

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         バンテアイクディ遺跡




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  1. 2019/01/21(月) 02:12:36|
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博物館、遂にリオープン、イエーイ

2018年12月30日(日)

先週のブログで、12月20日にリオープン予定だったのに開かなかったと嘆いた所でしたが、皆さん、お待たせしました。
遂に、本当に、現実に、閉鎖からちょうど4ヶ月目の27日に「アキラ地雷博物館」が再開の運びと相成りました。
やったぜベイビー!よさこい祭りだ、ソーラン節だ、ああ、こりゃこりゃ。
何のこっちゃ。



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           許可状を手にするアキラ氏

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アキラ氏が、26日の早朝裁判所から呼び出され、正式な許可状を発行されて、そして午後1時にはお坊さんを呼んでオープンセレモニーを行い、お客様を迎え入れる準備を整えました。
そして、翌27日からお客様に入場頂きました。


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思えば、8月27日の爆発事故から丸4ヶ月。
一時は、このまま閉鎖になってしまうのでは無いかと不安になった時も有りましたが、取り越し苦労に終わって本当に良かったです。

これから又一生懸命ガイドに務めますので、皆様、どうぞ博物館に足をお運び下さい。
心より、お待ちしています。

それにしても、年内に解決して本当に良かった~
皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
ヤッホー


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  1. 2018/12/31(月) 01:44:03|
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