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川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

2つの結婚披露パーティ

2019年2月4日(月) 

今日は、日本は立春ですね。
暦の上では春でも、実際は今が寒さのピークでしょう。
インフルエンザが流行っている様ですから、皆様、どうぞくれぐれもご用心下さい。

カンボジアは明日5日が中国正月(旧正月、春節)ですので、今日から3、4日間は中国系カンボジア人の家ではあちこちでパーティが行われるでしょう。
街には獅子舞も繰り出し、あちこちで爆竹が鳴らされます。
でも、カンボジアは日本と違ってとにかく暑い。
1月1日の正月も、この中国正月も、そして4月のクメール正月も、日本の正月とは雰囲気が全く違います。
ただ、昼間っから誰に遠慮する事無く、堂々と酒が飲めるのはどちらも同じ。
だから、正月は大好きです。

もっとも、カンボジアに来てから年中大酒を食らっている私としては、正月だからと言って特別な感慨が有る訳ではありません。
普段のパーティと同様、呼ばれれば、ただ酒目当てに何処へでもホイホイ出掛けます。



しか~し、結婚パーティとなるとちょっと事情が違います。
ただ酒と言う訳には行きません。
カンボジアも少しずつ物価が上がっていて、祝儀も、日本人相場として昔は10ドルか20ドルだったのが、今は普通で30ドル、少し近い関係だと50ドル必要です。
前回のブログでも書きましたが、今は結婚式シーズンでしてこの1週間で2つ、親しい人間の結婚披露パーティに出席しました。

1月30日(水)と昨日2月3日(日)に。

前者がアラのパーティでした。
アラは、子供の時爆弾で右腕を失い、アキラ氏の作ったリリーフセンター(養護施設)で育てられ、今はCSHD隊員としてアキラ氏の下で地雷撤去活動をしている29歳の若者です。
私が2011年3月にカンボジアに来た時はまだ事務所スタッフをしており、7月から約1年間、他の4人のメンバーと一緒に日本語を教えた内の一人です。
2013年10月に開いたアキラ氏の日本講演(京都、大阪、岡山、東京、福岡)では、アキラ氏と一緒に日本に連れて行きました。



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そして、後者がカリヤンのパーティでした。
カリヤンは、アキラ氏の義兄であるヨンさんの娘で、美人3姉妹の長女です。
私が地雷博物館でボランティアガイドを始めた当初からスタッフとして働いていて、別れた前の夫との間に2人の子供が居ます。
詳しい事は知りませんが、私が帰国していた2014年か2015年に離婚して、上の女の子は前夫が引き取り、下の男の子をカリヤンが引き取った様です。
ですから、今回は再婚です。
私もバツ1ですが、カンボジアでもバツ1は多く、それどころか私の周りにもバツ2、バツ3、中にはバツ4の猛者も居ます。
離婚する事のハードルは、それ程高く無い様です。



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そんな2人の結婚式が立て続けにあり、私も大変嬉しくて幸せな気分に浸ったのですが、酔いが冷めた後で襲って来るこの胸の疼き、切なさたるや。
その正体は・・・タケオで暮らす嫁と娘との今後1年の別居生活?
イヤ、イヤ、飛んで行った100ドルでしょう、
セコっ。




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  1. 2019/02/04(月) 20:47:32|
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博物館への道程

2019年1月20日(日) 


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      Happy Honeymoon


嫁が、今月4日から1週間、遠くタケオの地からシェムリアップに出て来て、束の間のハッピータイムを過ごしたのですが、我が幸せに留まらず、今月は他人が一杯幸せの瞬間を迎えています。
そうなんです。今は乾季ですから結婚式ラッシュでして、今月だけでも3人のCSHD隊員(地雷撤去チームメンバー)の結婚式があります。
既に2つ終えていて、30日には2013年にアキラ氏と一緒に日本での講演会に連れて行ったアラが結婚致します。
非常に嬉しい事なのですが、反面、財布がどんどん軽くなって行って年金のみが頼りの我が身には・・・・正直、辛いッ


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さて、今日のテーマは上記の前振りとは全く関係が無いのですが、「道」です。
私の住んでいるシェムリアップのゲストハウスから博物館に行くのに、行きは遺跡の中の道を通って行きます。
昔は帰りも同じ道を通れたのですが、2、3年前から帰りは何故か別の道を通らなければならなくなりました。
行きは、国道6号線からアプサラ道路に入り、遺跡チケット売り場やキョンギュー広場を横目に見ながらまっすぐ進むと、遺跡群の道に入る手前にチケットチェックポイントが在り、そこで外国人は遺跡チケットを見せなければなりません。
遺跡チケット代は、一昨年から一日券が37ドル掛かります(カンボジア人は無料)。
最初は私もチェックポイントで、遺跡を管理しているアプサラ機構の職員に止められて、「チケット不携帯の者はここを通さない」と言われたのですが、「私は遺跡を見学しに来たのでは無く、バンテアイスレイに在るアキラ地雷博物館に行くのだ」と言って何とか通行を許可され、それ以降は顔パスで通れる様になりました。


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           プラダック村に出来たチェックポイント


ところが、2、3年前のある日、そことは別にプラダック村にもチェックポイントが出来ました。そして、行く時はそこも通してくれるのですが、何故か帰りは通してくれないのです。幾ら「博物館からの帰りであって、これから遺跡見学に行く訳では無い」と言っても聞き入れてくれず、来た道を引き返して「韓国道路」を通って帰れと言うのです。
理由は、未だによく分かりませんが、まあ、距離的にはさほど変わらないし、実害は無いので指示に従って「韓国道路」を帰る様にしていました。
「韓国道路」と言うのは、正式には何と言うのか知りませんが、7、8年前に韓国政府が整備した道路なので通称「韓国道路」と呼ばれている10キロ弱の道です。
最初の頃はこの道も舗装された快適な道だったのですが、長年の風雪(雪は無いか)と車の重量に耐え切れず、2、3年前からはあちこちアスファルトが破壊されて大穴だらけの危険な道になっていて、特に夜、雨が降っている時などこの道を走ろうものなら、穴の深さが分からずに何度も転倒しかけ、又、穴に溜まったどろ水を思いっ切り顔に浴びる羽目になります。
「ええかげんにせんかい」と何度叫んだ事か。



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カンボジアにはまだまだこうした未舗装か、或いは一度は鋪装してもその後補修していないガタガタ道が数多くありますが、ここは仮にも韓国政府が整備した道路。入り口にも堂々と石碑を建てて「大韓民国が寄付をしたカンボジア・韓国友好道路」と謳っているのですから、「後々の面倒もちゃんと見ろよ」と言いたいです。
何も韓国政府批判をするのが本意では無いのですが、こうした政府間の支援事業の場合、やりっ放しが実に多い。それは日本も例外では有りませんが。
まあ、それはさて置き、この道は出来る事なら迂回したいと思っていた所、古川さんからいい抜け道が有ると教えられました。
この古川さんと言う人は、これまでも何度かこのブログに登場した事がありますが、私より1つ年上のカンボジア在住歴10年の先輩です。
兎に角物知りで、おまけに、この年代の人は私も含めてカンボジア語は殆ど話せないのが普通ですが(勝手に思っているだけかも)、この古川さんだけは例外で、カンボジア語もペラペラの達人です。
その古川さんが、韓国道路を通らず、又チェックポイントに引っ掛からずに帰る事の出来る道を教えてくれました。
それは、博物館から9キロ位南に下った韓国道路の手前1キロ位のプラダック村の中の未舗装道路で、東に行くと一ノ瀬泰造の墓に通じる道を反対に進む道です。


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   左に進むと一ノ瀬泰造の墓方面に、右に行くと東メボン遺跡方面に出られる

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      間道を抜け出た所にある東メボン遺跡
 

私は生来の方向音痴で、こんな地図にも載っていない様な道に足を踏み入れると大抵迷ってしまうので、普通なら決して一人で冒険したりしないのですが、もう2度とあの韓国道路は走りたくないとの思いが強く、意を決しました。
1回目は未舗装の道を抜けた所で案の定逆方向に進んだ為、とんでもなく大回りをする羽目になりましたが、2回目には上手く東メボン遺跡の前に出て、チケットチェックポイントの前を通らずに来た道を帰る事が出来ました。
この東メボン遺跡に通じる2、3キロの道も土埃の舞う砂利道で、決して快適な道と言う訳では有りませんが、穴凹だらけの韓国道路よりは大分ましです。
何で古川さんがこんな道を知っているのか。彼はシェムリアップ在住歴は私より短く、またこんな場所に用は無い筈なのに知っているのですからホントに不思議な人ですが、でもいい道を教えて貰って感謝で一杯です。
この道も、雨季にはどんな事になるのか今は想像も付きませんが、まあ当分この道を帰る事に致します。
我に幸あれ。


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        プレループ遺跡

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         スラスラン

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         バンテアイクディ遺跡




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  1. 2019/01/21(月) 02:12:36|
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博物館、遂にリオープン、イエーイ

2018年12月30日(日)

先週のブログで、12月20日にリオープン予定だったのに開かなかったと嘆いた所でしたが、皆さん、お待たせしました。
遂に、本当に、現実に、閉鎖からちょうど4ヶ月目の27日に「アキラ地雷博物館」が再開の運びと相成りました。
やったぜベイビー!よさこい祭りだ、ソーラン節だ、ああ、こりゃこりゃ。
何のこっちゃ。



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           許可状を手にするアキラ氏

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アキラ氏が、26日の早朝裁判所から呼び出され、正式な許可状を発行されて、そして午後1時にはお坊さんを呼んでオープンセレモニーを行い、お客様を迎え入れる準備を整えました。
そして、翌27日からお客様に入場頂きました。


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思えば、8月27日の爆発事故から丸4ヶ月。
一時は、このまま閉鎖になってしまうのでは無いかと不安になった時も有りましたが、取り越し苦労に終わって本当に良かったです。

これから又一生懸命ガイドに務めますので、皆様、どうぞ博物館に足をお運び下さい。
心より、お待ちしています。

それにしても、年内に解決して本当に良かった~
皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
ヤッホー


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  1. 2018/12/31(月) 01:44:03|
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大変嬉しい御報告

2018年11月22日(木)

ブログを書くのが遅れがちになり申し訳無い上に、更にこれから1ヶ月程ブログをサボります。

と言いますのは、実は私、昨日21日に日本に一時帰国致しまして、これから来月15日まで日本で過ごします。
よって、この間、ブログをお休みさせて頂くという訳です。
何だかんだ言って、体の良いブログサボりの口実ですが。


今回帰国致しましたのは、一つは9月の講演会でクラウドファンディングで1万円以上御協力頂いた方に御礼の品(リターン品)をお送りする為と、もう一つは入籍届を本籍地の市役所に提出する為です。
カンボジア人と結婚した事は前回のブログで御報告済ですが、これが今回のブログのテーマ「大変嬉しい御報告」ではありません。


20日の夜シェムリアップ空港をベトナム航空便で飛び立ち、ハノイ経由で21日の朝6時半に関西国際空港に到着。2時間程待って、8時45分発の岡山行き高速リムジンバスに乗り込みました。
乗客は僅か18人です。
私はもうカンボジア在住8年目ですが、未だに殆どクメール語が分かりません。
しかし、私の前の座席に座っている人の会話がどうもクメール語っぼいので、思い切って話し掛けてみると、何とシェムリアップ在住のカンボジア人家族ではないですか。
何でも、岡山のライオンズクラブの招待を受けて、岡山観光に家族4人で来たとの事。
話を聞くと同じ飛行機だった様ですが、その時には会わずに同じ岡山行きバスに乗り合わせて出会うとは、正にこれまで何度も経験した「カンボジアミラクル」日本版。
2012年7月15日付「カンボジアミラクル」
しかし、これも今回のテーマ「大変嬉しい御報告」ではありません。


お待たせしました。
今回のテーマである「大変嬉しい御報告」は、8月27日の爆発事故以来閉鎖になっていた「アキラ地雷博物館」のリオープン(再開)が、12月1日に決まった事です。

アキラ氏は、8月28日に他の2人のスタッフと共に不当逮捕され、その後留置場、刑務所での監禁生活を強いられたものの9月20日には高い保釈金を支払わされはしましたが保釈され、自由の身となりました。しかし、博物館と、併設のリリーフセンター(養護施設)は閉鎖されたままでした。
しかし、こちらも裁判所に何度か呼び出され、更に又安くない金を支払わされましたが何とか再開の許可を受けて、その日が12月1日と決まった様です。
(フェイスブックやこのブログも当局の監視を受けている恐れがある為、保釈金や博物館再開の為の金の事については、余り詳しく書けませんが、何れにしても凄い金額です)
当初、11月の初旬には再開出来るのではないかと聞いていましたが延び延びになっていました。しかし、アキラ氏の指示を受けて今月17日にはスタッフが博物館の掃除に入ったので、今度は間違い無いでしょう。
只、リリーフセンターの再開はもう少し後になる様です。
リリーフセンターの子供達は、今シェムリアップの他の養護施設に振り分けられて収容されていますが、その子達がリリーフセンターに戻って来れるのは恐らく年明けでしょう。
でも、何とその子達の内の5人と、18日にシェムリアップの映画館で偶然にも遭遇しました。
16日から18日までの3日間、シェムリアップの映画館で3年前から恒例になっている「ジャパニーズ・フィルム・フェスティバル(日本映画祭)」(日本大使館や国際交流協会が主催)が開かれていて、3日間で最新の日本映画11本が無料で見れて、私もその内3本見ましたが、18日の日に偶然リリーフセンターの子供5人が来ていたと言う訳です。
リリーフセンターに居たら遠いし、子供達は日本語は勉強していないので日本映画の情報など入らなかったでしょうが、今、たまたまシェムリアップに居るので、何らかの繋がりで日本映画を見ようという事になり、しかもそこに川広が来ていたと言う訳ですから、これも、一つの「カンボジアミラクル」かな。

まあ、何れにしても、博物館、そしてリリーフセンターが近い内に再開の運びとなります事、誠に喜びに耐えません。
これまで3ヶ月間に渡り御心配と御迷惑をお掛け致しましたが、日本の皆様、12月から又博物館に足をお運び下さい。
私も、12月17日以降、ガイドをさせて頂きますので。

カンボジアは、昨日21日から明日23日までがウォーター・フェスティバル(水祭り)で大変な賑わいを見せている筈です。
そして、12月2日(日)には「アンコールワット・ハーフマラソン」(有森裕子さんの「ハート・オブ・ゴールド」が実質的な主催者)が開催され、25日はクリスマス、そして1月1日のワールドニューイヤーと華やかな行事が続き、街もイリュミネーションに彩られ大変綺麗ですし、気候的にも乾季で雨が降らず、朝晩は涼しく、今がホントにベストシーズンです。
是非、この時期にカンボジアを訪問して頂き、そして博物館に足をお運び頂きたくお願いする次第です。




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  1. 2018/11/22(木) 14:15:01|
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「博物館に遂に日の丸が掲揚されました」の巻

2018年3月18日(日)  

皆様、長い間ブログをお休みして、申し訳ありませんでした。
2月7日に一時帰国してから丸1ヶ月日本で過ごし、3月7日にカンボジアに戻って参りました。
その後もバタバタしていて、ブログ再開が今頃になってしまいました事、お詫び申し上げます。
日本に帰国している間は、あったかい(もとい、暑い)カンボジアで怠惰な生活をしていた私に神が試練を与えているのか、滅茶苦茶寒かったです。
そしてカンボジアに戻ると、今度は滅茶苦茶暑い。
ホントに、身体が付いて行きません。
幸い入院中の父親は、帰国中の2月25日に93歳の誕生日を迎える事が出来、その後も生き続けています。
でも、点滴だけで生かされている為、恐らく近い内に又日本に帰国する事になるでしょう。



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さて、今回のブログのテーマは、その帰国中に博物館に「日の丸」の旗が掲揚された事についてです。
 私にとって、博物館に「日の丸」を揚げる事は、2011年8月にボランティアガイドをし始めた時からの悲願でした。
博物館には従来、カンボジア国旗に加えてアメリカ国旗、オーストラリア国旗、そしてカナダ国旗が掲揚されていました。
アメリカ国旗は、アメリカ人夫妻のビルさん、ジルさんがアキラ氏の活動を全面的に支え、地雷撤去団体CSHDの活動資金の大半を工面している為、それを顕彰して。
オーストラリア国旗は、オーストラリア人グループの「ベトナム戦争退役軍人の会」が、アキラ氏を金銭面、地雷撤去活動面で支えている事を顕彰して。
そしてカナダ国旗は、カナダ人のリチャード・ヒトーシ氏がカナダにNGO団体を作り、そこが今の2代目の博物館を2007年に建設する際大きな役割を果たしてくれた事を顕彰して。
しかし、そのカナダのNGO団体は、建設には協力してくれたのですが、その後の運営には一切関わっていないので、カナダ国旗は一旦下ろしていました。
ですから、私が帰国する前の2月7日の時点では、揚がっていた国旗はカンボジア国旗、アメリカ国旗、オーストラリア国旗の3本だけでした。

ところが、3月7日にカンボジアに戻り博物館に出て行くと、何と新たに「日の丸」と、韓国国旗、それに一旦下ろしていたカナダ国旗の3本が追加されていたのです。

実は日本人も、もう20年以上前から色んな個人、団体がアキラ氏を支援して来ていました。
しかし、それぞれが個々バラバラで単発的だった為、「日の丸」は揚がっていませんでした。
支援していないなら兎も角、支援していながらそれが表に表れていないのが非常に残念なので、何とか継続的な支援をする事で日本の支援を表に表したいとの願いから、私は2012年に「アキラ地雷博物館・日本人応援団」を作って、日本人の皆様に御協力をお願いして参った次第です。
応援団員1000人を目指し、毎年アキラ氏に1000万円強のお金を活動資金として提供したいと言うのが私の願いでした。
それが実現した暁には、博物館正面に「日の丸」が掲揚されると信じて。

前にも書きましたが、「日の丸」そのものは、私は好きではありません。
若い人には分からないかも知れませんが、「日の丸」は戦時中(と言っても、私も戦後生まれではありますが)この旗で国威発揚を図った軍国主義の象徴であり、「君が代」を唄いながら「日の丸」を掲揚する事で、天皇陛下即ち国家の為に命も惜しまず戦う事が国民の務めだと教えたのです。
ですから、「日の丸」そのものには私は抵抗を感じるのですが、そうは言っても、日本人の支援を端的に表すには「日の丸」以上の物は思い浮かびません。
そこで、いつかは博物館に「日の丸」を揚げたいと願って来たのです。

韓国旗は、3年程前から韓国のある宗教団体がアキラ氏を支援する様になったので、「日の丸」を揚げると同時に揚げた様です。
カナダ国旗も同様です。

日本の旗が揚がったのは、私がこれまで頑張って来たからです・・・・
ナンチャッテ、ウソです。
アキラ氏に聞いても詳しくは教えてくれないのですが、ビルさん、ジルさんを始めとする博物館のスタッフが協議して、3月1日頃揚げたらしいのですが、私が帰国している間に揚げたのは、「川広の存在は大した事は無いけど、まあ、多くの日本人がこれまで応援して来てくれたからね」ってなもんで、日本人全体に対する感謝のメッセージでしょう。
そして、日本の旗を揚げるなら韓国旗とカナダ国旗も一緒に揚げようとなった様です。
まあ、川広が出て来た時に泣かせてやろうと言うのもあったかも知れませんが。

何れにしても、大変嬉しい限りです。
私にとって、7年間の念願が叶ったのですから。
でも、「アキラ地雷博物館・日本人応援団」の活動は、勿論これからも続けて行きます。
アキラ氏の活動資金は、まだまだ十分とは言えない上に、今年から、ビルさんがこれまで毎年受け取っていたアメリカ政府からの支援金10万ドルが、アメリカ第一主義のトランプ大統領によって、カットされると言うのです。
それだけに益々、我々日本人の出番が求められています。
何としても応援団員を1000人に増やし、毎年アキラ氏に1000万円強の活動資金を提供したい。
この思いは、「日の丸」が立った今、益々強くなっています。
どうか、皆様の御協力を、強くお願いする次第です。




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  1. 2018/03/18(日) 23:12:50|
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