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川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

チヒ ドムライ(象に乗る)

2019年6月2日(日) 

ここカンボジアは、今は雨季です。
今年は、例年より少し早目の先月初旬に雨季に入りました。
しかし、年々雨季、乾季の様相が変わって来ていて、雨季だからと言っても毎日雨が降る訳では無く、また乾季なのに降ったりもします。
と言う訳で、今日も朝からいい天気。

そんな中、先日の木曜日、博物館を休んで家族で象に乗る為に「アンコール・トム」に出掛けました。
子供の通う幼稚園が、何故か木曜日が休みなので(1週間の内、日曜と木曜が休みです)。

妻と子はカンボジア人ですから遺跡入場料はタダですが、私は外国人ですからチケットを買わなければ遺跡エリアには入れません。
遺跡チケット代は、1日券が今は37ドルも掛かりますので(以前は20ドルだったのですが、一昨年の2月から一遍に倍近くに値上がりしました)、結構負担が大きいので、私がチケットを買うのは2011年3月にカンボジアに住む様になってからこれがたったの3回目です。

普段博物館に行く時には、遺跡エリアの中を通り抜けて行くので、チケットチェックポイントを通過しなければなりませんが、係員も、私が遺跡見学に行くのでは無く、アキラ地雷博物館に行くという事を知っているのでフリーパスで通してくれます(最初は止められて、事情を説明しました)が、この日はきちんと買ったチケットを見せて、3人乗りのバイクで颯爽と遺跡エリアに入りました。

朝の9時前にはアンコール・ワット西門前を通り抜けて、アンコール・トムの南大門手前のプノン・バケンの登り口に到着しました。
ここに象の乗り場が在り、その象に乗ってプノン・バケンに登るのが今回の家族サービスの最大の目的だったのです。
しか~し、ナンと乗り場の係員曰く、象はもう皆んな出払っていて、次は15時半からだと言うのです。

そんな殺生な・・・。まだ9時ですやんか。
そんなに早よ来な、象には乗れんのですカイ。



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仕方無いので諦めて、15時半に出直す事にして、その後アンコール・トムのバイヨン遺跡、タ・プローム遺跡などを巡り、ゆっくりと食事もして、15時前には朝の象乗り場に戻って来ました。
しかしその頃には一天にわかに掻き曇り、稲光がして、今にも降り出しそうになりました。
更に、妻のチェンダーが象乗り場の係員から言われたのは、午後の乗り場はここでは無く、バイヨン寺院だって。

そんなアホな。
朝と話が違うでないの。
段々、訳が分からなくなって来ました。

妻と私との会話は、簡単なクメール語、英語、日本語(あくまで、どれも簡単な)、そしてスマホの翻訳サイトなのですが、どれも不完全であり、通じない事もよくあります。

本当に、朝、象は出払っていたのか?
午後の乗り場はここでは無くバイヨン寺院と言うのは本当か?

疑心暗鬼と悪天候に心が挫け、もう帰ろうかとよっぽど思いました。
しかし、折角ここまで待って帰ったのでは、必ず後悔する事になると思い直し、もう一度信じることにしてバイヨン寺院に引き返しました。
バイヨン寺院で象乗り場を探し、やっと見つけて係員に聞くと、今度は何とプノン・バケンに象で登るには、子供は12歳以上で無いとダメだとのたまうではありませんか。

もうホンマに訳分からん。

その頃には雨が降り出したので一旦近くの休憩所で雨宿りし、頃合いを見計らって諦めて帰ろうとしてプノン・バケンの前を通り掛かった時、そこに象が居るではありませんか。
もう一度近付いて係員に聞くと、プノン・バケンには登らないが、この周辺を20分程廻ってくれると言うのです。

もうそれでいい、上等、上等。

金は大人20ドルずつ、ここはカンボジア人も同額ですが3歳の子供は無料でした。
私は勿論、チェンダーもリャサーも象に乗るのは生まれて初めて。
2人が大喜びするので、ついつい私も象の背中で童心に帰り、楽しい20分を過ごしました。
たったの20分ですが、かけがいのないものとなりました。
ただ、リャサーはまだ3歳ですから、この事はどうせ覚えていないでしょうが。

紆余曲折の一日でしたが、象に乗るという最大目的はどうにか達成出来、満足して家路に着きました。
チャンチャン



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  1. 2019/06/03(月) 21:58:56|
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家族で過ごした初めてのクメール正月

4月21日(日) 

もう終わって数日が経ちましたが、4月14日から16日までがカンボジア人にとって最大のイベントであるクメール正月でした。
もう何度かお話ししました通り、カンボジアでは正月が3回あります。
1回目が世界共通の1月1日の西暦の正月、2回目が2月の中国正月(春節)、そして3回目が一番盛大に祝われるこのクメール正月です。
正月の始まりは年によって若干異なりまして、女神(デバター)が降臨する時とされ、今年は14日の15時12分でした。
私にとっては、家族と過ごす初めての正月。
部屋に正月用の飾り付けを施し、14日の15時12分に合わせて線香を手向け、妻と子と3人でカンボジア式のお祈りをして女神様の到来を祝福しました。
(本当は星飾りをして、そこに女神様が入って来るのですが、部屋の外にゲストハウスのオーナーが設えた星飾りがあるので、それで代用しました。)


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正月が始まってからは、迂闊に外に出られません。
全くの無礼講で水掛けが行われるのです。
発祥はタイのソンクラン(水掛祭り)の様ですが、大人も子供も大きな水鉄砲やバケツを抱えて街を闊歩し、通り掛かった人に平気で水をぶっ掛けます。
バイクで走っていれば転倒もしかねません。
数年前には危険だからと中止命令が出たのですが、もう完全に復活していて、今年は特に激しかったです。
うちは外に出ないと言う訳には行きません。
何せ、家族で迎えた初めての正月なのですから。
親戚と一緒にお寺(パゴダ)にお参りしたり、パーティに招かれたり、子供を遊技場に連れて行ったりと、それはもう出突っぱりでした。
その度に我が家も、どれだけ水の洗礼を受けた事か。
「オメエラ、ええかげんにせえよ」と、何度も怒鳴りつけました(言葉は通じませんが)。
でもそれなりに、楽しくはありましたが。



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今年の干支はイノシシですね。
カンボジアにも十二支は有りますが、日本のヒツジとイノシシの所がカンボジアではヤギとブタになります。他は一緒ですが。
ですから、カンボジアでは今年はブタ年。
街の到るところにブタの模型や絵が飾られています。
女神様も、ブタに乗ってお出でになりましたとさ。



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話は変わりますが、昨日20日は妻の35回目の誕生日でした。
かつては親友であり、今は義理の弟になりますソテアレンの家に、妻の兄姉妹3世帯とソテアレンの兄姉妹3世帯、それに私の若いカンボジア人仲間が集まって、ささやかなバースディパーティを行いました。
妻は戸籍の上では33歳ですが、本当は35歳だそうです。
カンボジアではよく数え年を使うので、最初は数え年を言っているものと思っていましたが、どうやら本当に35歳。
と言いますのは、干支がネズミとの事なので。
カンボジアの戸籍は、昔は非常にいいかげんで、日本の様に生まれてから2週間以内に出生届を提出しなければならないと言う決まりでは無く、必要に応じて村長に申告して書類を作って貰っていたので、申告を何かの都合でわざと違えたり、単純に間違えたり、村長の方が間違えたりして結構事実と異なっているケースが多いのです。
私の周りだけでも数人居ます。
ですから、妻のチャンディーも、昨日戸籍上は33歳になりましたが、本当は35歳になったと言う訳です。
前にブログに誤った情報を載せてしまいました事をお詫びし、訂正したいと思います。ナハッ



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  1. 2019/04/21(日) 20:19:01|
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「カフェHOC」開店4周年記念パーティに参加の記

2019年2月17日(日) 

寒い日本とは裏腹に、カンボジアでは毎日暑い日が続いています。
12月、1月は朝晩は結構涼しかったのに、今は夜中でも暑い毎日。
例年、3月、4月が一年中で最も暑い時期なのですが、今年は少々フライング気味です。

そんな中、4日前の2月13日(水)に、仲間3人と一緒にシェムリアップから西南約180キロの地バッタンバンに行って来ました。
このバッタンバンの地で、2009年からカンボジア人僧侶と一緒に孤児院を運営している岩田亮子さんが、その孤児院の自立プロジェクトの一環として、又、卒業生の雇用の場として立ち上げた「カフェHOC」の開店4周年記念パーティに出席する為に。

岩田さんの事は日本のテレビにも何度か取り上げられていますし、このブログにも数回登場頂いていますので、ご存知の方も多いと思います。
又、「アキラ地雷博物館・日本人応援団」の団員でもあり、応援団の呼び掛け人7人の内の1人としてプロフィールとメッセージを私のHP「アキラ地雷博物館・日本人応援団」の方に寄稿して貰っていますので、そちらを御覧頂くという事でこの場での詳しい紹介は割愛致しますが、兎に角凄い人です。

その岩田さんを訪ねて、2月13日の朝8時発のメコンバスに乗り込み、一路バッタンバンを目指しました。
一緒に行ったのは、カンボジア人の若い仲間のダリスとサッチャー。この2人とは、昨年5月にも一緒に「カフェHOC」を訪問しています。
もう1人は今井さんと言う日本人で、バッタンバンに1年間住んだ後、先月31日にシェムリアップに引っ越して来た人で、農業と水の浄化活動でアキラ氏を応援してくれているNPO法人「風のクリキンディ」の代表です。
この3人と一緒にバッタンバンに到着したのが午後1時。
普通なら、途中休憩を入れてもバスで3時間半位で到着する筈なのですが、何で5時間も掛かったかと言うと、途中で警察の検問に引っ掛かってしまったのです。
今まで、バスの故障により何時間も遅れたと言うのは何度か経験がありますが、検問で止められて何時間も到着が遅れたのは初めての経験です。
説明が無いので詳細は分かりませんが、サッチャーが言うには税金のステッカーを警察が指さしてドライバーに説教していたとの事なので、恐らくこのメコンバスの車輌が税金を滞納していたのでしょう。
まあここは、ユルさが売りのカンボジア。
これ位の事でピリピリしていたのでは、生きて行けません。
幸い、パーティは夜なのでのんびりとバスが動き出すのを待ちました。
乗客の多くは外国人でしたが、誰一人ドライバーや警察に食って掛かるでも無く、皆んなカンボジア慣れしているのか外に出てトイレを借りたり、タバコを吹かしたりしていました。
日本だったら、大変な事になっていたでしょうが・・・。
そんなトラブルを乗り越えて目的地バッタンバンに到着し、食事の後花屋に寄って、お祝いの花束を用意して「カフェHOC」を訪問したのが午後3時。
岩田さんを始めとするスタッフや日本から応援に駆けつけたメンバー数人が、7時から始まるパーティの準備に追われていました。
岩田さんに挨拶だけして、我々は直ぐにホテルに行ってチェックインし、私とダリスとサッチャーはバッタンバン観光に出掛けました。
と言ってももう何度も来ているし、時間も余り無いので行った先は「ワイナリー」と「コットンクラブ」だけでしたが。



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「コットンクラブ」は前にも一度訪問した事がありますが、元NHKの社員であった日本人の古澤敦さんが、地雷原を綿花畑に変えてオーガニックコットン製品を作って販売する事で、カンボジア人の雇用を生み出す為に立ち上げたNPO法人です。
その2箇所の見学を終えてホテルに帰り、7時キッカリに「カフェHOC」に参上しました。



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その時には客はまだまばらでしたが、その後大勢が押しかけてやがて満席となりました。
日本人だけでなく、10人近くの外国人の姿も見られました。
日本人は、カンボジア在住者だけでなく、この日の為にわざわざ日本から駆け付けた人も居まして、その中には岩田さんの90歳のお父上と、岩田さんの同級生、そして全国各地の岩田さんのファン総勢20名の方が、参加されていました。
4年間の活動ビデオ上映から始まり、子供たちの合唱やら日本からの応援団の方々の出し物、コマ回し、ビンゴゲームも有りました。
2時間余りの楽しい一時でした。食事も堪能しました。
参加者全員が岩田さんの活動を讃え、カフェ開店4周年を祝福していました。

この日が開店4年目と言う事ですから、オープンしたのは2015年2月13日です。
私は、開店直前でまだ工事中だった2015年1月と、2017年2月、2018年5月にこのカフェを訪れていますので、今回が4度目という事になりますが、来る度に料理の種類も増え、アイデアを次々と取り入れて、地域の皆様に愛されるカフェとなっている様に思います。
岩田さんの、カフェに掛ける熱い思いが伝わって来て感動しました。



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パーティの翌日の14日には、岩田さんと、日本から応援に駆け付けた20人の一行がチャーターしたバスに便乗させて貰って、一緒にシェムリアップに帰って来ました。
そして、レストランで昼食後、博物館を案内致しました。
岩田さんが博物館に来られたのは、これが2回目でしょうか。
前には、HOCの子供たちを一緒に連れて来てくれて、リリーフセンターの子供たちとの交流を深めて貰いました。



無題



岩田さんと私は同い年の65歳。
どちらが先にくたばるかは分かりませんが、生きている限りお互い今の活動を続けて行きたいものですねえ、岩田さん。
まあ、活動の内容は月とスッポンで、私がやっている事は岩田さんの足元にも及ばず、飲んだくれの日々ではありますが。ウガー




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  1. 2019/02/18(月) 00:00:47|
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結婚の御報告

10月28日(日)

前回の予告通り、今日は結婚報告をさせて頂きます。
ちょうど、フェイスブックに載せた記事がありますので、それを転用致しますネ。(楽ちん、楽ちん)


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(10月6日フェイスブック掲載記事)
誠に唐突であり、多くの女性ファンには申し訳無いのですが(オマエは福山雅治か)、私・「川ちゃん」こと川広肇、一昨日4日にカンボジアで結婚しちゃいました。
10月1日に「日本全国平和学習講演会」を無事終えて1ヶ月ぶりにカンボジアに戻り、翌々日の3日に親友のソテアレン、チャントリア夫妻と一緒にシェムリアップから約400キロ離れたタケオまで行き、4日の日にそこで結婚式を挙げたのです。
セコい話ですが、受け取っている年金の関係も有って、何年か前から64歳の内に結婚する計画を立てていて、今年12月末までに何としても日本で入籍する予定でした。
相手はチャントリアの姉で、子持ちのチェンダ-と言う34歳の女性です。
3年前に結婚したのですが、まだ間が無い時に御主人を交通事故で亡くし、一人で女の子を育てていました。
私が死んだ後の年金を彼女の子育てに役立てて欲しい、そして私の老後の面倒を看て欲しいと言う己の一方的なわがまま、自己満足に付き合って貰って、結婚する約束を取り付けていました。
しかし、シェムリアップに呼んで一緒に生活する様になるのは彼女の子が小学校に上がる時、つまり今から3、4年先なので、今回タケオに行ったのも、11月に講演会の後処理も有って日本に帰国するので、その時についでに入籍手続きをしてしまおうと、必要な書類を受け取るのが目的でした。
元々結婚式は挙げるつもりは有りませんでした。
私も14年前銀婚式を終えた後熟年離婚をしていて今回が2度目となりますし、彼女も再婚で有り、結婚式は挙げ無くてもいいとの事だったので。
しかし、彼女の両親や親戚の人達がすっかり準備を整えてくれていて、4日にはあれよあれよという間にカンボジア式結婚式を挙げたという訳です。
参列者は花嫁の親戚の人達と近所の人達だけでしたが、それでも子供を含めると30人以上居たでしょうか。
私自身予期せぬ事で大変驚きましたが、でもまあ、周りの人達に喜んで貰えてホントに良かったと思っています。
元来、長生きしたい気持ちは余り無いのですが、彼女と子供の為にあと5年は生きたいと真剣に思っている今日この頃です。



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以上が、フェイスブック転用記事ですが、1つ訂正が有ります。
彼女の年齢を34歳としていますが、本当は32歳でした。
カンボジア人は、昔の日本人の様に時々年齢を数え(生まれた時が1歳)で言いますので、最初聞いた時には34歳だったのですが、入籍に必要な書類(独身証明書、ファミリーブックなどで、元々これを受け取りにタケオに行ったのですが)を調べてみると、生年月日が1986年4月20日とあり現在32歳である事が分かりました。
私のちょうど半分です。

「今回の結婚に愛はあるのか」と、人から時々聞かれます。
元々、私の死んだ後の年金を活かしたい、老後の面倒を看て欲しいという身勝手極まりない理由で結婚(日本で入籍)するのであり、また、彼女に初めて会ったのは今から2年前のソテアレンとチャントリアの結婚式の時であって顔もロクに覚えていませんでしたので、愛の芽生える余地など微塵も有りませんでした。

65歳までにカンボジア人と結婚する事だけは決めていたものの、自分で積極的に相手を探す訳でも無く、周りの人間に「離別か死別により、自分一人で小さい子を育てている女性」が居たら教えてくれと頼んでいて、その条件に合ったのが彼女だったのです。
ですから、ハッキリ言ってそこに愛は全く有りませんでした。

しかし、このまま終わってしまうと、恐らく世の女性達から大ブーイングを浴びせられると思うので言っておきます。

「安心して下さい、履いています」いやいや「安心して下さい、今は愛が有ります」。

10月3日に人生で2度目の出会いをし、4日に結婚式を挙げて初めて彼女と身振り手振りで会話(今の所、お互い相手の言葉が分かりません)した時から愛情が湧いて来ました。
愛の評論家として言わせて頂くなら(誰が愛の評論家やねん)「愛とは受け入れるものでは無く、育むものなのです」

昔の日本人、まあ、私の両親世代なんかは多くがお見合いで、中には写真を見ただけで結婚した夫婦なんかも一杯居たんですから。
これからしっかり愛を育んで行きます。彼女と子供を大切に護って行きますので、皆様、どうか暖かく見守って下さい。
と言いつつも、一緒に生活する様になるのはまだ当分先なのですが・・・。


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  1. 2018/10/28(日) 17:40:17|
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講演会無事終了の御報告

10月15日(月)

皆様、大変御無沙汰してしまい、申し訳ありませんでした。
前回、このブログを書いたのが9/2の講演会に旅立つ日(「アキラ氏抜きの平和学習講演会開催の為、今日、日本に向かいます」)だったので、ほぼ1ヶ月半振りですね。
先週書くという手もあったのですが、帰国後も何かと慌ただしく全然元の生活に戻れずにいて、ついつい横着をしてしまいました。


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さてその講演会ですが、これからお話しします恐るべき試練が、次から次へと襲い掛かって来ました。
その理由についても後で触れますが、でも、そうした困難な状況にあっても講演会そのものは大勢の方の御協力を得て、予定していた14会場全てにおいて無事に終える事が出来ました。
アキラ氏の家族も、最初から最後まで全員元気で明るく振る舞ってくれ、本当に救われました。
今回の「日本全国平和学習講演会」は、私にとってのライフワーク、つまり人生最初で最後の大イベントでしたので、アキラ氏不在と言う大アクシデントに見舞われたにも関わらず、成功裡に終わり只々感謝です。

では、順を追って1ヶ月を振り返って見ましょう。

まず9月2日の夜の便で我等7名(アキラ氏の家族4名、地雷被害者のポーイ、通訳のオル君、川広)はシェムリアップ空港を飛び立ち、3日の朝6時に関西国際空港に到着。
(余談ですが、この関空は台風21号に伴う高潮で滑走路が浸水し、タンカーの衝突で連絡橋が破損した為に4日から閉鎖となります)
そこには、その後の1ヶ月間を我々と行動を共にしてくれた、愛知県一宮市に本部を置き、知的障害者関連施設及び老人関連施設を運営しているNPO法人「ふれあいサロンさん・さんガーデン」の井浪理事長と速水さん他のスタッフが出迎えに来てくれていましたが、ここでまず最初の試練に襲われます。

私のスマホのインターネットが繋がらない。
私のスマホには、日本用とカンボジア用のSIMカードが2つ入っていて、日本でも普通にインターネットが繋がる筈だったのですが、今回何故かwifiが無ければ繋がらず、不便この上無し。
これがまずケチの付け始めで、この後も次から次へと不運続き。
例えばコンビニでワード文書(講演原稿)をプリントアウトしようとしても出来なくて、結局パソコン本体を見ながら原稿を読まなければならなかったとか(札幌会場)。

しかし、極めつけは何と言っても北海道で大地震に遭遇した事でしょう。
9月5日に初っ端の講演会が札幌市で有ったのですが、それを終えてホテルで寝ていた6日の早朝3時過ぎに震度5強(震源地である厚真町は震度7を記録)の地震が発生。
私自身は昔、震度5弱の地震を経験した事が有りますが、カンボジアでは地震は全く起きないので、カンボジア人にとっては地震そのものが人生初の経験。それも震度5強と言う大地震ですからそれはそれは肝を冷やした事でしょう。
みんな一斉に飛び起きて、廊下に出て対応を協議。
この時には、「さんさんガーデン」のスタッフ5名、障害の有る子4名が一緒でした。
我々が泊まっていたのは10階だったのですが、とりあえず朝まで待って、朝になったら1階に降りようと言う事になり、その後も余震が続き朝まで一睡も出来ないまま部屋で過ごし、停電でエレベーターも止まり、電気も消えて真っ暗な中を6時頃、非常灯を頼りに手探りで大きなトランクを抱えながら全員で1階に降りました。
そこから結局2日間、食料もロクに無い中で下手に外に出るよりホテルに留まった方が良いだろうと言う事で、ホテルの食堂の片隅を借りて過ごしました。
7日の夜、やっとの思いで室蘭港からフェリーで本州に渡りましたが、今思い出しても、人生でそうそう経験する事の無いこんな大事件に講演会旅行の初っ端で遭遇するとは、何とも不運としか言い様が有りません。
しかし、最初8日(土)に予定されていた東京での講演会は、アキラ氏が来れなくなった事により中止が決定していたので、これは返って助かりました。
もし中止になっていなかったら、当日になって急遽中止となり大変な混乱を招いていた事でしょうから。

そして、その後の講演会は10日(月)の浜松日体中・高校、11日(火)の浜松一般会場、12日(水)の甲府一般会場、13日(木)の一宮市立北方中学校、14日(金)の岐阜市立柳津小学校、一宮市立貴船小学校、17日(月)の京都外国語大学、18日(火)の広島一般会場、21日(金)の長崎一般会場、27日(木)の岡山市立石井中学校と岡山一般会場、
そして最後に28日(金)の岡山市立操南中学校とNPO「ICOI」による懇談会をもって全日程終了となりました。
(因みに、4日(火)の恵庭市一般会場、16日(日)の一宮一般会場、23日(日)の沖縄大学、25日(火)の座間味小中学校は、アキラ氏が来日出来なくなった事を受けて東京会場と同様に最初から講演会中止を決定していました)

ですから、地震の影響は講演会そのものには響かず、その後は小さいトラブルは数限りなく有ったもののまあまあ順調に推移したので、このまま上手く行くものと思っていました。
ところが最後に又、とんでもない試練を味合うことになります。

今度は地震で無く、台風の影響を受ける事になるのです。
本来なら9月30日の朝、10時半発のベトナム航空便で関空を飛び立ち、当日の夕方にはカンボジアに戻る予定でした。
ところが、9月初旬に日本に上陸し大きな被害をもたらした台風21号に続き、今度は台風24号が又しても日本に上陸し関空が閉鎖になってしまったのです。
21号の影響で4日から閉鎖になっていた関空が、20日にやっと滑走路が使える様になってヤレヤレと思っていた矢先に。
ですから、我々7名は一日関空で足止めを食らい、結局10月1日(月)にカンボジアに戻って来たと言う訳です。
でもそこには、20日に仮釈放になったアキラ氏自らが出迎えに来てくれていましたが・・・。

そんなこんなで辛酸も一杯舐めましたが、でも、講演会そのものは予定していた14会場全てを無難に乗り切る事が出来ました。
勿論アキラ氏来日を楽しみにされていた方がほとんどですから、その中には不満に思われた方もいらっしゃるでしょうが、私としては日本に於ける平和問題を考える良いきっかけ作りが出来たのではないかと満足しています。
お力添え頂いた方々には、本当に感謝の気持ちで一杯です。
有難うございました。


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さて、ここからは一転してちょっと怖い話になります。
最初に、恐るべき試練が次から次へと襲い掛かって来た背景にはある理由が有ると書きましたが、それについてこれから書きます。

ここからはホラー調で・・・・。

実は、あるクソバ・・・いやいや、ある年配女性の怨念と言うか呪いが、私にかけられていたのです。ゾクゾクッ

その女性とは、7月29日に書いた「とんでも事件勃発」に登場の女性です。
この女性、一度は本名で「ブログに、人のメールを張り付けるなんて、常識の欠片も持ち合わせておられないのかと疑います」と書いて寄越しました。別に名前を晒した訳でも無いし、あんな非常識なメールを寄越した張本人からそんな事を言われる筋合いは無い、そのままその言葉はお返ししますと言っても良かったのですが、面倒なので無視しました。そして、言葉の最後におためごかしに「ただし、今回の日本横断後援会(原文のママ)のご成功を心からお祈りし、陰ながら応援いたします」とあります。これがこの人の特徴ですので覚えておいて下さいね。
最初に来て、既にブログで紹介した文章にも「頑張ってください。形では表わせませんが、心より応援しています」と心にも無い言葉が最後に添えられていましたよね。

そして、何とここからは名前を隠して、と言うか誠に卑怯であり恥知らずにも、他人を装って次のコメントを私のブログへ次々と寄越しました。

9/2付
名前:天の声
タイトル:ご多幸を
非公開コメント(管理者のみ閲覧可能)
********************
善行はあの世で報われます。ただしご自身の身を削って 他人の浄財を当てにしてはいけません


9/3付
名前:天の声
タイトル:大受難
非公開コメント(管理者のみ閲覧可能)
********************
川広先生
やはり世の中 公平ですね(天はお見通し)
志正しくとも 手段(他人に集る(ここも原文のママで意味不明、頼るの間違いかも))間違えば その報いがある
残念無念



10/11付
「ブログを拝見させて頂きました。
正直、意見をされた女性の話は常識的な内容に思えます。
多くの方から支援金を頂くのには、責任感が足らないのではないでしょうか。
まるで意見をした人間が悪いかの様に書かれると良くないと思います。
その人は川ちゃんさんの活動をより良いものにするためにアドバイスをくれたのだと思います。その人は応援してくれている文面ではないでしょうか。
川ちゃんさんの行いは素晴らしいと思うのですが、人様からお金を預かる訳ですから、もしちょっとしたミスがあったりすると詐欺みたいな風に思われてしまいます。
そのことは、アキラや地雷撤去活動のメンバーにもかかってきます。
ですので、川ちゃんさんの責任は大きなものです。
今回の活動の会計報告なども詳細に公表すれば、次の活動の理解協力も得られると思います。私も川ちゃんさんの事は応援していますので、是非活動を明るくクリアーなようにして、ガンガン進んで欲しいと思っています。
ですので、意見をもらったことは真面目に検討して是正しなければならないと思います。
また政治的な事をブログで書かれていますが、それもアキラや地雷撤去活動のブログとは違うところで書かれた方がいいと思います。
個人の自由ではありますが、アキラやその関係者までその様に思われてしまうからです。
応援しています。
頑張ってください。」




最後の文章は完全に第三者を装っていますが、私のブログ読者の中に名前を明かさずにこの様な事を書いて寄越す人物は他に居ませんので、まず同一人物と見て間違い無いでしょう。
心にも無いのに、おためごかしにさぞや応援している様に取り繕う所など、この人の特徴がよく表れています。

おお、怖っ。

女の怨念、いやいやそう言うと他の女性に失礼ですよね。この人特有の怨念の強さに只々驚かされます。
一体根源は何なのでしょうか。妬み?そねみ?
自分がやれない事を他人がやったので、やっかんでいるんでしょうかねえ。
でも、その怨念に見事打ち勝って、今回の講演会が成功に終わりました事を改めて御報告させて頂きますネ。

そんな女、何処におんねん。は~い、熊本で~す。

しかし、格好のブログネタを提供して貰ったという点では、ある意味私もこの年配女性に感謝です。 サンキュー


このブログを発表後、実は最後の文章は自分が書いたという人物からコメントが届きました。
どうやら、「天の声」を書いたであろう熊本の年配女性とは別に、私のブログを読んで何かイチャモンをつけてやろうと言うアホな人物が他にまだ居た様です。(名前を明かさない所は共通していますが)
日本人応援団とは縁もゆかりも無い、今回募金をしてくれた訳でも無い単なる通りすがりの人間ですが、騒ぎを嗅ぎつけてここぞチャンスとばかりに、便乗して色々難癖を付けて来たものの様です。
私が時折政権批判をする事に対して批判している所を見ると、所謂ネトウヨの類でしょう。
こんなのを一々相手にする気はありませんので、今後一切無視する事に致します。



PS
私、川広肇、10月1日にカンボジアに戻った直後の4日にカンボジア人と再婚致しました。
フェイスブックでは発表したのですが、私のブログ読者の中にはフェイスブックを御覧になられていない方もいらっしゃいますので、一応この場でも発表させて頂きます。
詳しくは、又何れ、このブログで発表させて頂きますので、乞う御期待・・って、誰も期待なんかしないか、テヘッ。




後継者募集中
お問い合わせは joyful57@hotmail.co.jp(川広)まで
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  1. 2018/10/15(月) 13:20:53|
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