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川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

「プノン・バケン」での地雷撤去活動

アキラ氏
遺跡の前に立つアキラ氏

9月30日(日)
24日の月曜日、アキラ氏に連れられて「プノン・バケン」での地雷撤去活動を見学して来ました。
「プノン・バケン」は夕日の鑑賞ポイントとして有名で、「アンコール・トム」の南大門手前の小高い丘陵地です。
麓から山頂までゾウに乗って登る事でも有名です。
そうなんです、あんまり大きい声では言えませんが、まだこんな所にも地雷が残っているのです。
もっとも一般の観光ルートからは外れていますが、隊員が地雷撤去をやっている直ぐ先の遺跡の上には、日本人観光客の姿がちらほら見えました。
観光客が大勢訪れる有名な遺跡ですので、政府からはなるべく目立たぬ様に撤去活動を進める様にとのお達しが有り、爆破処理も場所を変えて行う様です。
 (オイオイ、それなのにブログに書いていいのかよ)

ここで少し、カンボジアの内戦の歴史に触れたいと思います。
 ポル・ポト率いるクメール・ルージュが、1975年4月にアメリカの傀儡であるロン・ノル政権を倒して、中国の毛沢東に強い影響を受けた共産主義政権を樹立します。
国名もそれまでの「カンプチア人民共和国」から「民主カンプチア」に改め、都市住民を田舎に強制移住させ、過酷な重労働を強いるのです。インテリ層にはことごとく反革命分子のレッテルを貼って、大虐殺の対象とします。この時殺された人、重労働で倒れた人の数は170万人以上、一説には300万人とも言われています。当時の人口は800万人から900万人ですので、背筋の凍りつく様な大虐殺が同じカンボジア人によって行われた訳です。
更にはあらゆる文化、文明を否定し、社会基盤を破壊し尽します。宗教も禁止、教育も廃止、流通している紙幣も廃止と言う訳です。
その上ベトナムとの国境紛争を起こして、ベトナム軍の侵攻に合います。ベトナム軍だけでなく、ポル・ポト派から袂を分ったヘン・サムリン率いる「カンプチア救国民族統一戦線」の部隊が1978年12月に共に攻め込んで来て、僅か半月足らずでプノンペンを解放し、ポル・ポト派は政権を手放して主力部隊はタイ国境へ、またその他の部隊はそれぞれの地のジャングルへと逃げ込み、その後も内戦を続けます。
ベトナム軍がシェムリアップに入ったのは1983年ですが、それからベトナム軍が撤退する1989年迄の間、遺跡周辺での戦いが繰り広げれられたのです。
ですから周辺は地雷だらけであり、遺跡も相当破壊されました。
この「プノン・バケン」の地雷も、そうした中で埋められたものです。

アキラ氏と言う人は、この内戦に翻弄され続けた人物です。
生まれて直ぐに両親と引き離され、ポル・ポト派の子供グループの中で育てられ、10歳の時には一端の少年兵として戦場に駆り出されます。13歳の時にシェムリアップのジャングルの中でベトナム軍と戦っている時にベトナム軍に捕まり、その後はベトナム兵となって昨日まで仲間だったポル・ポト派と戦う事になります。ベトナム軍が引き上げた後は、今度はカンボジア政府軍の兵士となってポル・ポト派と戦います。
20歳になった時やっとこの国を平和にする為に、国連の「カンボジア暫定統治機構」所謂「アンタック」が平和維持活動をしに入り、アキラ氏はその手伝いとして初めて地雷撤去活動をしたのです。その時に「自分は今まで多くの地雷を埋めて大勢の人を苦しめて来た。これからはこの地雷撤去活動を一生の仕事とし、これまでの償いをしよう」と決心したのです。そしてそれ以降地雷を掘り続け、現在に至っています。

長くなりましたので今回はこれ位で終わり、アキラ氏の人となりについてはまた改めて紹介したいと思います。
今回はいささかマジな内容になりましてスイマセン。
次回はまたピンク路線で攻めたいと思いますので、是非とも見放さずに読んで下さいネ。


地雷撤去エリア地図
地雷撤去エリア地図

地雷撤去作業中
地雷撤去作業中

発見された地雷や不発弾
発見された地雷や不発弾

遺跡の頂上に見えた日本人客
遺跡の頂上に佇む日本人客

隊員達との記念撮影
しばしの記念撮影(私の隣はオーストラリア人)


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  1. 2012/09/30(日) 05:46:10|
  2. 博物館関連
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「めくるめくピンパラの夜」・・・みたいな

夜のピンパラ


9月23日(日)
幸いここ2、3日は降っていないものの、それまでの連日の雨でシェムリアップ川の水嵩もかなり増し、昨年の洪水の情景が蘇ってきます。
朝出掛ける時には降っていなくても、俄かに空が掻き曇り突然の豪雨に見舞われ、博物館に着いた時には全身濡れ鼠。こんな事が続いていて気分がムシャクシャしていた先日のとある日、ウサを晴らそうと出掛けましたネオンきらめく夜の社交場、大人の殿堂『ピンク・パラダイス』。

ここで、「めくるめく官能の世界へ今宵貴方をご招待」的なドスケベ妄想を抱いたそこの貴方・・・ザンネン(ギター侍風に)。
ここはカンボジアの歴としたカラオケ店です。
 始めてこの店の前を通った時には、店の名前といい雰囲気といい、如何にも「スケベエ様1名ごあんな~い」といったジャンルの店かと目を付けていたイヤイヤ目に付いていた店だったのですが、そこが何とカラオケ店だったのです。
と言っても多少のいかがわしさはちゃんと加味されていて、店の女のコを横にはべらせる事が出来るのですが(ここはキャバレーか!)。
そういうのも嫌いでは有りませんが、イヤイヤ前にも書きましたが私は学生時代「うたう会」と言うサークルに所属していたくらい歌好きの人間なので、一緒に行った相棒のカンボジア人S君はどうか知りませんが、私は純粋に歌を唄いに行きました(ホンマかいな?ホンマです)。
カンボジアでもカラオケはKARAOKEと言い、日本の歌も古いものから新しいものまで、随分沢山取り揃えられています。
確かにカンボジアでは色んな所で日本の歌がよく唄われています。日本語を習っているカンボジア人は日本の歌をよく知っていますし、以前見学した小学校の音楽発表会でも「涙そうそう」や「幸せなら手をたたこう」をクメール語と日本語の両方で唄っていました。ラジオからも時々日本の演歌がクメール語で流れたりしていますし、結婚式に出席した時も、クメール語の「まつの木小唄」や「ここに幸あり」が大音量で掛かっていました。日本の歌と知らずに唄っているものもある様です。
S君もカンボジアの歌に加えて「長崎は今日も雨だった」や「夕焼けの歌」を日本語で熱唱していました。
私はというと言うまでも無く、十八番の「高校三年生」から「もう一つの土曜日」まで10曲以上唄いまくってやりました。    
ピンパラ・ナイト・フィーバー最高! (古っ)
ああスッキリした、また行こうっと。

昼間のピンパラ
昼間の「ピンク・パラダイス」

S君と
相棒のカンボジア人S君と  何もここまで隠さなくても・・・

日本の歌リスト
日本の歌のリスト

カラオケ画面
「昴」の歌のカラオケ画面

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  1. 2012/09/23(日) 06:35:14|
  2. お笑いネタ
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カンボジア人の語学力

授業風景
日本語授業風景

9月16日(日)
最近NHKテレビで芦田愛菜ちゃんの姿を見掛けなくなり、寂しく思っています。民放には出ているんでしょうかねえ。あの子はホントに愛くるしくて可愛いですねぇ。大好きであり、将来が楽しみです。
しかし、数十年前『パパと呼ばないで』と言うテレビドラマに、石立鉄夫と一緒にチー坊と言う役名で出ていた杉田かほるに、同じく将来を期待し完全に裏切られた私としては、愛菜ちゃんにはどうか今の延長線上のまま大きくなって欲しいと願わずには居られません。
フッ、大きなお世話か。 

さて、私が「アキラ地雷博物館」でのボランティアガイドの仕事を始めてから丸1年が経過致しました。
そして、この博物館でのガイドの仕事に加えて、帰りにシェムリアップに有ります「CSHD」 (アキラ氏が設立した地雷撤去の為のNGO) の事務所に寄り、スタッフ4人に1時間日本語を教えると言うのが、私の月曜から金曜までの日課です。
スタッフ4人の内2人は事務の女の子のソーパーリーとダニー、またあとの2人は博物館の卒業生のアラとポーイで、両人とも地雷被害の為片腕を失っていて、ポーイは更に片目まで失明していますが、2人とも大変明るく元気な好青年です。
彼等4人の内ダニーだけは全くの初心者で「あいうえお」からのスタートでしたが、他の3人は過去に多少勉強した事がありまして、みんなで分らない事を教え合いながら、少しずつ、少しずつ日本語の言い回しを覚えてまいりました。キロロの「未来へ」や九ちゃんの「上を向いて歩こう」などの歌も唄える様になりました。
でも、教える方が未熟な為、1年経った今振り返って見たら、みんな殆ど上達していませんが・・・トホホ

 このソーパーリーもそうですが、アキラ氏にしても他の博物館のスタッフにしても、みんな大して学校で勉強した訳ではないにも拘らず英語がペラペラです。
カンボジアの人はこちらが舌を巻く程語学が堪能です。何故でしょう、それはみんな実戦で鍛えているからです。
この事からも日本の英語教育が如何に間違っていたかが分かります。
その典型が何を隠そう私です。読む事は多少出来ますが、話したり聞いたりする事は殆んど出来ません。学校で英語を10年位勉強したと言えば呆れられます。
 「責任者出て来~い」 と私は叫びたい。
何故学校で、もっと英語が話せる様にしてくれなかったのか。 (自分の所為だという御意見もお有りでしょうが、ここは受験英語しか教えなかった国の教育制度が悪いと言う事で意志統一を図りたいと思います)。今は切実に英語が話せたらと思います。
今日本では小学校から英語授業が始まっていますが、ただ長い時間やれば良いと言うものではありません。やり方を根本的に見直さないと、何時まで経っても実のある英語教育にはなりません。そこのところを関係各位には、声を大にして叫びたいです。カンボジア人から英語教育の仕方を学ぶべきです。

幾ら叫んだところで、今更私が英語を喋れる様にはなりませんのでもう止めますが、最後に一言。
日本の若者よ、世界に翔くには悔しいけれども英語は不可欠。 「栄光(エイゴー)の架橋」が英語だ~って、ゆずも言っているし・・・苦しっ
愛菜ちゃ~ん、しっかり英語をマスターして、海外でも活躍する女優になってネ。


4人の生徒
4人の生徒

ソーパーリー
ソーパーリー

ダニー
ダニー

アラ
アラ

ポーイ
ポーイ

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  1. 2012/09/16(日) 09:48:20|
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カンボジアで困る事

アンコールリバーサイドホテル
私の住んでいる「アンコール・リバーサイド・ホテル」

9月9日(日)
今月30日で、カンボジア在住歴丸1年半になります私ですが、この間楽しい事ばかりで快適な日々を過ごしていて、困った事など殆ど有りません。
物価は安いし、食べ物は美味いし、子供達は可愛いし、大人は親切で優しいし・・・。

まあ、強いて挙げるなら

○砂埃が酷くて、デジカメが直ぐに壊れる事
(もう3台ダメになりました。1台目は紛失ですが、その後は埃の所為で。 今使っているのなんか、4月に日本から持って来たばかりなのにもう壊れました)        
○ハエや蚊が多い事(食堂で食事する時も、常に手でハエを払い除け、足元の蚊を追い払わなければなりません)
○ホテルの部屋なのにアリが這い回る事(いわんや街のオープンカフェなんか、砂糖壺の周りはアリだらけ)   
○停電が多い事(風呂に入っている時は特に困ります)
○人々が何処にでもゴミをポイポイ捨てる事(食事の時も、ティッシュや肉の骨なんかテーブルの下にポイっ)
○朝5時前から大音量でお経が流れる事(どうやら葬式の時らしいです。頼むから眠らせてくれい)
○部屋の中にもヤモリやトカゲが居て、しょっちゅう鳴きたてる事(眠らせてくれい)
○交通ルールが滅茶苦茶な事(これは私も、人の事を言えた義理ではありませんが)
○遺跡観光に行くと、売り子(大人も子供も)がまとわり付いてくる事
○郵便事情が悪く、時々届かない事(EMS郵便なら大丈夫ですが)
○郵便局で小包郵便を受け取るのに金が要る事(僅かではありますが)
○水道の水が飲めない事(飲んだ事は無いのですが、恐らく腹を壊すでしょう)
○日差しが強くて、下手をすると火傷になる事(一度経験済み)
○暑そうでいて結構涼しかったりして、風邪を引き易い事(今も風邪を引いています)
○クメール語の発音がやたら難しく、ましてや読み書きなど手に負えない事
○田舎に行くと、トイレが無い事
○時間非厳守
○騒音に寛容(車はやたらクラクションを鳴らし、何かにつけ大音量で音楽をかけます)



まあ、これ位のものです・・大した事有りません、ハハハ。
(ウソでしょう、エライごっつう有りますやん。)

どれもこれも、カンボジアに住んでいる日本人はみんな困っています・・・・たぶん。
イヤイヤ、負けませんから~私は。

カンボジアの人、ごめんなさい。
次は、カンボジアの素晴らしい点を書きますからね。
今回は私の生活圏及びカンボジアらしい写真を掲載致します。


近所の市場
近所の市場

托鉢
托鉢

パームやしの風景
パームやしの風景

田植え
田植え

稲刈り
稲刈り

牛の行進
牛の行進

プサールー前の国道6号線
プサー・ルー(シェムリアップにある大きな市場)前の国道6号線

ラッキーモール
シヴァタ通りにあるデパート「ラッキー・モール」

アンコールマーケット
シヴァタ通りにあるスーパー「アンコール・マーケット」


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  1. 2012/09/09(日) 10:22:36|
  2. カンボジアの生活、文化、自然、果物
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カンボジアのテレビ事情2

底抜けの笑顔の子供たち
底抜けの笑顔の子供たち

9月2日(日)
一昨年初めて下見でカンボジアを訪れた時、テレビでは「NHKワールド」と言う英語バージョンの放送をやっていました。ところが昨年3月にカンボジアに出て来た時には、「NHKワールドプレミアム」と言う日本語バージョンのものに変わっていました。
これはNHK総合や教育テレビ、BSテレビを組み合わせて海外のケーブルテレビ局を通じて見るシステムです。
ですから「朝の連続テレビ小説」「大河ドラマ」「のど自慢」、その他ニュースや情報番組、音楽、スポーツ、バラエティなど日本でやっているのと同じNHKの番組を見る事が出来るのです。昨年暮れには「紅白歌合戦」もしっかり見ました。
 この「NHKワールドプレミアム」が、7月中旬から1週間見れなくなると言うハプニングが発生しました。
突然「NHKワールド」となって英語での放送となり、番組内容もガラリと変わってしまったのです。
何でもケーブルテレビ局がチャンネルの入れ替え工事をやった時の手違いで、配線を間違えたのが原因の様です。日本人同士集まるとその話題になり、みんながテレビ局に抗議したのですが、直ぐに直すと言いながらのんびりしていて、結局1週間掛かってしまいました。ホンマにエエかげんにせえよ。
お陰で「梅ちゃん先生」や「平清盛」それに「BS時代劇」と言った連続ものを見逃してしまい非常に残念な思いをしました。中でも中園ミホ脚本のドラマ「はつ恋」の最終回を見逃したのが未だに悔しいです。
その前にも同じく最終回のBS時代劇「陽だまりの樹」を、デング熱で病院に入院していて見逃していますし、もうガックリです。
それまで毎回見ていて最終回だけ見逃すと言うのは、彼女といい関係になっていよいよ今夜と言う時になって、横合いから男が出て来て「俺のオンナに何すんねん」と言われた様なものです。経験は有りませんが・・・・。
まあそんな訳で、部屋に居る時には大抵NHKを点けっ放しですので、日本のニュースもリアルタイムで入って来ます。東北大震災や、福島第一原発のその後、それに政治の体たらくぶりも手に取るように分ります。
そんな中もう一つの楽しみは、韓国の番組を見ることです。
韓国のドラマはこちらでも大変人気で、クメール語での吹き替えでみんなが見ています。私は言葉は分りませんが、絵だけを追っています。
それともう一つは音楽番組です。Kポップはリズミカルでダンスにも切れが有ります。私の好きな「KARA」の様なグループがわんさか居て、それはそれは楽しいです。
何を隠そう私、大学時代は「うたう会」と言う音楽系サークルに所属していて、当時流行のフォークソングや反戦歌、労働歌、果ては民謡に至るまで幅広く、振り付けをしながら歌い踊っていました。ですからダンスにはちょっとうるさいです、なんちゃって。
それは兎も角、Kポップには底知れない魅力が有ります。
しかし、勿論日本の歌も捨てたものではありません。特に子供の頃聞いた1960、70年代の歌や演歌は涙無しには聴けません。日本人の血がほとばしっています。
ですから毎週日曜日の「NHKのど自慢」は欠かせませんし、その他の歌謡番組もよく見ます。
でも皆さん、くれぐれも見過ぎには注意しましょう。テレビばかり見ていると本当に人間がアホになりますから・・・・。
今回もまたまた文章が長くなり、話にKポップの様な切れが無くなったので、そろそろ終わります。

今回は文章に合う写真が有りませんので、内容とは全く関係有りませんが、カンボジアの村で出会った可愛い子供達の写真を載せておきます。


兄と弟
兄と弟

姉と弟
姉と弟

貧しい村の子供たち
貧しい村の子供たち

貧しくともけなげな子供たち
貧しくともけなげな子供たち

ゴミ山で暮らす子供たち
ゴミ山で暮らす子供たち

カッパたち
カッパたち

一之瀬泰造の墓の前で
一之瀬泰造の墓の前で

牛の世話する幼子
牛の世話する幼子

アキラさんが建てた学校の子供たち2
アキラさんが建てた学校の子供たち

アキラさんが建てた学校の子供たち
アキラさんが建てた学校の子供たち2

  1. 2012/09/02(日) 08:42:30|
  2. カンボジアの生活、文化、自然、果物
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