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川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

「サンボー・プレイ・クック遺跡」探訪記

10月30日(日)


短時間ではありますが、ほぼ毎日雨が降っています。
一昨日は日中にパラつき、昨日は夕方に2時間位降って、夜中にも更に降った様ですが、今は快晴です。
雨季が明けるのはもう少し先でしょうか。

 明日31日がハロウィンとかで、ここシェムリアップでも一昨日からパブストリート辺りは大変な賑わいとか。仮装した若者たちで通りが埋め尽くされているとのことです。

さて、今日のブログも随分過去ネタですが、やはりミホさんがカンボジアに来ていた7月23日(土)に、そのミホさん、それから6月に結婚式を挙げたばかりの新婚夫婦であるソテアレン、チャントリアと一緒に車をチャーターして、「サンボー・プレイ・クック遺跡」に行った時の話しを書きます。



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「サンボー・プレイ・クック遺跡」と言うのは、シェムリアップの街から南東に約170km、コンポントム州に在る古い遺跡です。
何れは、アンコール遺跡群、プレアヴィヒア遺跡に続いて、カンボジアで3番目に世界遺産登録されるであろうと言われている遺跡でして、私も前々から是非一度訪ねたいと思っていました。
ミホさんが来ると言うので、何処に連れて行こうかと色々考えた結果、先の「サマキ・トロピアン・クロサーン小学校」に加えてここを選びました。




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当日は、雨季であるにも関わらず朝から快晴。
8時にシェムリアップを出発し、途中ソテアレンとチャントリアを新婚夫婦の住む家の前で拾い、現地到着が10時半。
この時がミホさんとの2年ぶりの再会であるチャントリアは、ミホさんからたっぷりの結婚祝いを貰い、終始ニコニコ顔。

現地では、あの吉川舞さんと現地ガイドのボティア氏が待ってくれていました。
吉川舞さんは、日本のテレビにも取り上げられた事のある有名人で、2008年からカンボジアに住み着き、初めJASA(日本国政府アンコール遺跡救済チーム)とNGOであるJST(アンコール遺跡の保全と周辺地域の持続的発展の為の人材養成支援機構)の両方で広報並びにスタディツアーの企画運営に携わり、2013年に独立して「ナプラワークス」と言う会社を立ち上げ、「サンボー・プレイ・クック遺跡」の観光案内とそれによる収益でもって遺跡の修復、周辺地域の発展に寄与している人物です。

彼女とは、私も日本人会での集まりなどでこれまで何度か会った事があり、6月にミホさんの指示で猫ひろしの写真を撮りに「リラックス・リゾート・ゲストハウス」に行った時、偶然、その後結婚する男性と2人で食事に来ていて、2年ぶりに会いました。
しかも、何とその後に御主人となる男性が、実は前に地雷原見学に案内した事のある人でした。

その吉川舞さんと現地ガイドのボティア氏から、途中食事休憩を挟みながらたっぷり5時間、しっかりガイドして貰いました。
この遺跡は、7世紀初頭、前アンコールの真臘時代の首都として、イシャナバルマン1世によって建造されたヒンドゥ教の寺院群で、辺りは森に囲まれ、大まかに分けて4つのグループ、130以上ものレンガ造りの遺跡から成り立っているとの事でした。
ミホさんは森の中を歩くので大喜びだし、ソテアレンは自分のガイドの仕事に活かそうと、舞さんの説明を一言一句聞き逃すまいと、それはそれは熱心にメモを取っていました。
そんな中で私とチャントリアだけは、説明を聞くのはそこそこに、撮影ポイントを求めてあちこち歩き回り、自撮りに夢中になっていましたが。
八角形の祠堂や巨木が絡みつく祠堂など、へとへとになりながらもしっかり見学し、16時に遺跡を後にしました。


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帰りに、来る時に見つけた「アツ小学校・中学校」で記念撮影。


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この「アツ小学校・中学校」と言うのは、「サンボー・プレイ・クック遺跡」から目と鼻の先にあり、あの1993年の総選挙の時、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の選挙監視団の一員として参加し、ポルポト派の襲撃によって命を絶たれた国連ボランティアの中田厚仁さん(25歳)の両親が、息子の生きた証として彼を顕彰する為に建てた学校です。
その学校がカンボジアの何処かにあるとは知っていましたが、まさかこんな所にあるとは露知らず、来る途中に偶然「アツ」と言う日本語表記の学校を見つけて、もしかしてと思い舞さんに確認したら、やはりそうでした。
私は、博物館でのガイドの時、いつもこの中田厚仁さんと、同じくポルポト派によって殺害された岡山出身の文民警察官だった高田晴行さん(33歳)の話しをしているので、ああ、この地が中田さん終焉の地かと感慨一入でした。
いつかは、高田さんの終焉の地であるバンテアイミンチェイ州アンビル村も訪ねたいと思った次第です。そこにもやはり、高田さんの両親によって建てられた小学校があるそうです。

こんな余禄の付いた「サンボー・プレイ・クック遺跡」探訪ドライブは、何事もなく無事終了致しました。




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  1. 2016/10/30(日) 11:23:13|
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カリマンタンの青い空・田辺美穂子さんのこと

10月23日(日)  



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2014年 タプロム寺院のスポアンの木の所で


先週のブログで予告しました通り、今回はあの田辺美穂子さん、通称ミポリン・・・いやいや、ミポリンは中山美穂で妹は中山忍です。(オレも結構ミーハーだわなあ)
失礼しました。田辺美穂子さん、通称ミホさんの人物紹介をしたいと思います。

ミホさんは、広島出身の女性で年齢は恐らく40代。
私が2014年2月に帰国した後、約5ヶ月間、「アキラ地雷博物館」でボランティアガイドをしてくれた人であり、このブログの、2014年3月2日分「はじめまして」から6月12日分「さようなら。ありがとう」までの18編は彼女が書いたものです。

私が彼女と知り合ったのは、2013年10月に「アキラ氏平和学習講演会」を岡山で開催した折、その会場の手伝いに広島からやって来てくれたその時でした。
東京在住の共通の知人からミホさんの事を紹介して貰い、講演会の手伝いを依頼したところ、喜んで引き受けてくれたのです。
その知人と言うのは、旅行会社の社長でミホさんの植林活動仲間であり、私とはその旅行会社が博物館にボランティアツアー客を送り込んでくれている関係で知り合った人です。
ミホさんは、私の帰国後のガイドの依頼も、初めて会ったその時に、いともあっさり引き受けてくれました。

彼女は、若い頃(失礼、今でも十分若いですが)世界のあちこちを旅していて、10数年前にカンボジアを訪れた際、初代の「アキラ地雷博物館」を訪問していて、その時アキラ氏や亡くなった奥さんにも対面し、その時からアキラ氏の大ファンになっていたのです。
でも、彼女の現在のフィールドはインドネシアのカリマンタン島。
彼女は、人間以上に動物が好きなのです。
動物の安心して暮らせる環境整備をしたいという事で、20代後半にそれまで勤めていた出版社を退職しフリーになって、ます最初に始めたのが中国のゴビ砂漠での植林活動でした。
その後、日本でアパレル関係の仕事をしてお金を貯めては、年に何回かの植林活動を続け、やがて活動の場をインドネシアのカリマンタン島に移しました。
初めはカリマンタンでも植林活動をやっていたのですが、その内オランウータンの保護活動に取り組んでいる現地のNGOと出会い、今ではそのNGO「C.O.P」の手伝いをしていて、年に何回か出掛けては自分の貯めたお金を寄付したり、オランウータンの飼育を手伝ったりしています。
詳しくは彼女のブログ「カリマンタンの青い空」
をご覧頂きたいと思います。



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ゴビ砂漠にポプラを植林

ボルネオの美穂さん
ボルネオでの植林

ボルネオ (1)
ボルネオの巨木の前で



彼女は、人間以上に動物が好きと言いましたが、本当は人間も大好きで、植林活動や動物の保護活動以外にもインド・コルカタのマザー・テレサが作った施設「マザー・ハウス」でのボランティア活動をやったり、植林、動物保護を行っている人々に対する支援活動も行っている訳で、決して人間が嫌いな訳ではありません。
彼女の活動内容をまとめたレポートを数編読ませて貰ったことがありますが、何れにしても、彼女の弱い立場の人や動物の力になりたいとの情熱は凄まじく、私など足元にも及びません。本当に凄い人なのです。




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カリマンタンの可愛いオランウータン

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オランウータン2

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NGO「C.O.P」のメンバー達とミホさん

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NGO「C.O.P」のメンバー



しかーし、そんな彼女ではありますが、前にも言いました様にかなりのミーハーで、私とカンボジアで初めて会った時、ホテルの壁に貼ってあった高田純次の写真を見つけて最初に言った言葉が、「私この人、だーい好き・・・」。
私が「高田純次は去年カンボジアに来て、俺も会ったよ」と言うと、「私も会いたい、今度いつ来ますか?」だって。
私は呆れ果てて、「もう2度と来るもんか」と言ってやりました。
それから、私がリオ・オリンピックのマラソン・カンボジア代表になった猫ひろしとフェイスブックで繋がっていると言うと、「どうしても猫さんに会いたい、今度カンボジアに来るのはいつか聞いてくれ」「プノンペンにいるなら会いに行く」と言うし。
それに彼女は、その好みの連関性は全く理解不能ですが、自称「陸上と柔道とお笑いをこよなく愛する女」だそうで、リオ・オリンピックのあった8月にはオリンピックで燃え尽きてオリンピックロスになったとか猫ひろしの走りに感動したので、いつか必ずカンボジアで猫さんに直接会うと宣言したりするのです。


そんなチャーミングな彼女ですが、あくまで活動の拠点はカンボジアでは無くカリマンタンなので、我が「アキラ地雷博物館・日本人応援団」のメンバーではありません。
しかし、その応援団の呼び掛け人になってくれていて、側面からいつも応援してくれている頼もしい仲間です。




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2014年1月 アキラ氏に「アキラ地雷博物館・応援基金」の浄財を手渡した時のもの。
左から私、アキラ氏、そしてミホさん



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  1. 2016/10/23(日) 13:46:59|
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本日のお客様

10月17日(月)に、北海道の北星学園女子高校の生徒50数名と、引率の先生方、それに添乗員のHIS札幌支社の社員の方が、2班のグループに分かれて、博物館を訪問して下さいました。
昨年から始まった、修学旅行としての「アキラ地雷博物館」訪問です。
来年以降も、ずっと続けて下さるそうです。




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  1. 2016/10/21(金) 13:50:29|
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「サマキ・トロピアン・クロサーン小学校」訪問の記

10月16日(日)



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左からソテアレン、田辺美穂子さん、生徒、校長先生、何処ぞのオッサン



発表が遅れてしまいましたが、3ヶ月前の7月20日に田辺美穂子さん、ソテアレンと一緒にアンロンベン近くの、とある小学校を訪問しました。
田辺美穂子さんのことについては先週のブログで書き、次回のブログでより詳しく紹介しようと思っていますが、2年前に私が日本に帰国した後の5ヶ月間、「アキラ地雷博物館」でボランティアガイドをしてくれた広島出身の女性です。
このブログにも、2014年2月から6月までの5ヶ月間、記事を書いてくれていますので、皆さんもご存じと思います。
その美穂さんが、7月18日から10日間、2年ぶりにシェムリアップにやって来たので、彼女の要望に応えて、その小学校を訪問致しました。
 その小学校とは、今は芸能界を去ったお笑いタレントの島田紳助が、テレビ番組『行列の出来る法律相談所』の中の一企画「100枚の絵でつなぐ!カンボジア学校建設プロジェクト」で有名人の書いた絵をオークションに掛けて資金を集め、その金で2009年にカンボジアに幾つかの学校を建てた内の一つです。


シェムリアップ州ロビアン・クロサーン村にある「サマキ・トロピアン・クロサーン小学校」と言うのが、その学校の名前です。
私は、その番組を見ていなかったので詳しくは知りませんでしたが、噂では色々聞いていました。
凄い金を集めて立派な学校を建てたはいいが、後のフォローを全くしなかったので今は廃校になっていると言うのがもっぱらの噂であり、ネットでもそうした書き込みが幾つか有りました。
そのネットで分かったのが、幾つかの学校の内、シェムリアップ州に「サマキ・トロピアン・クロサーン小学校」と言うのがあるという情報でした。
他の学校は場所が遠そうだったので、とりあえずシェムリアップ州内の学校に行こうと思いましたが、ネットの情報に有ったシェムリアップ州ロビアン・クロサーン村と言うのが一体どの辺りの村なのか見当も付きません。地図を調べたりネットで調べたりしても出て来ません。
思いあぐねている時にカンボジア情報通の或る人の存在を思い出し、尋ねたところ「それはアンロンベンの手前にある小学校だ」と教えてくれました。

美穂さんという人は、長年環境保護活動とりわけ最近では、インドネシアのカリマンタン島でのオランウータンの保護活動をしている凄い人なのですが、そう言う凄い事をしている反面、自他共に認めるミーハーでして、以前のブログで取り上げました猫ひろし氏の写真も彼女の指示で撮影に赴いたのですが、今回は「紳助さんが建てた学校が見たい」との鶴の一声ならぬ美穂の一声で、訪問の段取りを進める運びと相成りました。

当日の9時に、チャーターした車で私の住んでいるゲストハウスを出発し、アンロンベンに向かって1時間半程走ったところで「ロビアン・クロサーン」と言う村に到着しました。



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何箇所かで人に尋ね、教えて貰った小学校に行きましたが、そこはカンボジアにある至って普通の小学校であり、校名も日本語表記は無くてクメール語の表記のみ。


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学校の入り口

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紳助の建てた学校は、金の力に物を言わせたもっと派手で立派な学校だろうから、ここは絶対違うだろうと思ったのですが、中に入って校長先生にお会いしたところ、間違い無くここがその日本人の建てた学校だとの事でした。それでも半信半疑で図書館に入ったところ、そこの壁に小さい絵のパネルが数多くはめ込められていて、見ると手塚治虫やちばてつやなど有名な漫画家やAKB48、長渕剛などの芸能人、その他著名人の描いたものでした。
ああ、これが例のオークションに掛けて学校の建設資金を集めた絵のレプリカなんだなと分かり、ここが紛れも無くその学校なんだと理解しました。



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松本零士の「銀河鉄道999」                        手塚治虫

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やなせたかしの「アンパンマン」                      AKB48

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うめずかずお                                 やくみつる

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藤子不二雄A

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今は日本人の手を離れて、完全にカンボジアの公立小学校になっている為、校名も変更されたとの事でした。
それでも今尚、日本人の観光客の訪問が途切れる事無く、備え付けのノートを見ると、全国各地の日本人の名がびっしり書き込まれていて、中には毎年訪問している人もいました。
あの、今、乳がんを患い闘病中の小林麻央ちゃんも来た事がある様で、子供たちと記念撮影した時の写真をわざわざ校長先生が、奥から持って来て見せてくれました。
ミーハー美穂さんは大喜び。



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小林麻央ちゃんが子供たちにハーモニカをプレゼントしたらしいです。


紳助の建てた学校は、その後のフォローがされていないので、全部廃校になっているものと思っていましたが、ここはカンボジア人に引き継がれて立派に存続していました。
関係各位にお詫び申し上げます。決め付けていてスミマセンでした。

私は、ハッキリ言って紳助の建てた学校などどうでも良かったのですが(ハッハッハ)、まあ、美穂さんも喜んでくれた事だし、一生懸命勉強している子供たちの姿を見て、また日本人に感謝してくれている校長先生や他の先生に会えて、結果オーライのドライブでした。




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  1. 2016/10/16(日) 12:02:27|
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ブログ復活第一弾「言い訳」

10月9日(日)

7月17日に「ピンクパラダイスの夜再び」を書いたのを最後に、このブログ書きをすっかりご無沙汰してしまいまして大変申し訳ありません。
かれこれ3ヶ月間もサボってしまいました。

毎週日曜日にはこのブログを書く事をルーティーンにしていたのですが、一度気を緩めるとヨレヨレに緩んでしまったパンツのゴム状態になり、いつもユルユルでその方が返って履き心地がいいものですから、ついついズルズルと行ってしまいました。

書くことは嫌いでは無いのですが、好きな時に書くと言うのが一番気楽で、ルーティーンとして書くという事になると、忙しかったりこれと言ったネタが無い時などは苦痛になります。
ですから、一度気を緩めるとドンドン楽な方に走ってしまいます。
これはもう、私と言う自堕落な人間のいつものパターンです。

でも、こんな事では皆様に申し訳無いので、これからはパンツを止めてふんどしにし、紐を締め直して頑張りますので、どうぞこれまでの事はお許し下さい。
とは言いながらも、一度楽な状態を覚えてしまったので、いつ又ユルフンに快感を覚える事になるか分かりませんが、まあ取り敢えずは頑張りたいと思います。

話しは変わりますが、最近若い女性の間にふんどしが流行っているとか。
残念ながら、実物を見た事はありませんが・・・。
それにしても、ケッタイな世の中でんなあ。

まあ、それは兎も角として、ブログ復活後の最初のテーマを何にするか色々考えました。
3ヶ月の間に随分書きたいネタも溜まっています。
が、まあ取り敢えず、言い訳用に考えていた病気ネタを書かせて頂きます。

言い訳として考えていたのは、夏休みで学生のスタディツアーが増えて非常に忙しくなった事、或いは、本筋の博物館の仕事とは直接関係の無い個人的な頼まれ事が次々と重なり、それに忙殺された事、はた又、ケガをして気持ちが滅入った事などを上げつらえて同情を買う作戦に出ようと思っていたのですが、まあ、そんな言い訳を考えている内に、ついつい生来の横着心が蔓延して、まっいいか、来週から来週からと先延ばしにしている内に今日を迎えてしまったと言う訳です。
但しその間も、飲み会だけは相変わらず積極的に参加していましたが・・・。

まあ、そんな訳で病気ネタを書きます。
一体どんな訳やねん。



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実は、7月末にあのミホさん(詳しくは次のブログで紹介致します)がシェムリアップに遊びに来ていたのですが、彼女をバイクの後部座席に乗せてホテルに送って行っている時に、後ろから来たバイクにぶつかられて転倒し、足にかすり傷を負ってしまいました。
言っときますけど、この事故は完全に相手が悪いのです。その証拠に相手はあっと言う間に逃げて行きましたから。
彼女は殆ど無傷で、私の傷もこの時には全く心配する様なものではありませんでした。
血も流れていませんでしたから。
ところがです。
この傷からばい菌が入ったのか、2日後から足が腫れて来ました。
見る見るうちに腫れ上がってしまい、これはヤバイと病院に行って抗生物質を貰い飲んだのですが、1週間経っても腫れが引きません。
最初は痛くも何とも無かったのに、腫れたのと同時に痛みも出て来て歩くのも辛くなりました。
1週間後に別の病院を受診し、そこで貰った抗生物質が効いてやっと腫れが引きました。
しかし、傷口近くに2つのコブ(浮腫)が出来ていて、周囲の腫れは引いても尚、そのコブは一向に小さくなりません。
病院で相談すると、放置すると危険なので手術しようという事になりましたが、その日はもう夕方だったので翌朝改めて出直した所、いざ手術の段になって初めて提示された金額が350ドル。
冗談じゃない、手術と言っても内蔵の手術とかでは無くて、ただ体表面のコブをメスで切開して膿みを出すだけの簡単な手術で何で350ドルも払わにゅならんのじゃとアッタマ(頭)に来て、手術台から飛び降り、付き添ってくれていたソテアレンに相談して彼の友達の医者を頼り別の病院に行きました。
しかし、そこは総合病院で、幾つもの窓口をたらい回しにされた挙句に1日入院する様にと言われたので、そのソテアレンの友達の医者が更に別の病院を紹介してくれて、やっとその3つ目の病院で手術を受けました。
そこでの手術はあっと言う間に終わり、おまけに費用は薬代込みで40ドル。
350ドル病院が、如何にボッタクリ病院だったかが分かります。
手術はまず麻酔を打った後、2つのコブをメスで切開し、それから周囲を手で押して膿みを出しました。麻酔を打ったのでメスでの切開は全く痛くは無かったのですが、手で押す作業はめっちゃ痛かったです。
何度も何度も周囲を押して、膿みをこれでもか、これでもかと出した後、包帯を巻いて帰りました。
痛かったけどこれで一件落着と思ったのですが、そうは問屋が卸しません。
この後3日に一度消毒をして貰ったのですが、その消毒がまた痛い。
やっと閉じ掛けた傷口をわざわざハサミの先で押し開き、そこからガーゼを突っ込んで残っている膿みを吸い取る為にグリグリやるのです。
その3日に一度の消毒が半月続き、やっと終了となったので包帯を自分で外して水でゴシゴシした所、また足が腫れて来て消毒を再開。
そんなこんなで、ほぼ完治するまで2ヶ月掛かりました。
つまり、何とか治ったかなあと思ったのが先月末の事です。
治ったかなあとは思うのですが、それでもまだ今日現在傷口周辺はピリピリしていて、何だかヤケドした後の様な感じです。

ちょっとバイクで転んだだけだったのに、エラい大事になってしまいました。
日本だったらまず考えられない事です。
でもまあ、こんな事はいくらカンボジアでもそうそう無いだろうと思っていたら、何と自分もメスの切開手術をしたと言う日本人、カンボジア人が居るわ居るわ。
みんなやっぱりあのグリグリを経験しているのです。
カンボジアには特殊な細菌がいるんでしょうかねえ。
ほんと気を付けなくっちゃ。
そんな訳で、先日、雨季で冠水したどろ水の中で足の裏を切った時など、大した傷では無かったのですが直ぐに病院へ行って消毒して貰いました。
カットバンは常備しているのですが、これからは消毒薬も絶えずカバンに入れておかなければと思う今日この頃です。


このケガで気が滅入り、ブログ書きを怠ってしまいました。
なんちゃって・・・言い訳はもうええっちゅうに。




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  1. 2016/10/09(日) 16:13:46|
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