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川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

森本喜久男さんの事

7月30日(日) 

森本喜久男さんが、私が日本に帰国している間の今月3日にお亡くなりになりました。
まだ68歳でした。

森本さんの事は、前にブログ「IKTT伝統の森」で行われた第11回蚕祭りで紹介しておりますので、御覧頂きたく思いますし、又、ネットで検索して頂くと大勢の人が紹介記事を掲載しています。

日本のテレビでも何度か紹介されました。今年の4月に放送された「情熱大陸」ですとか、何年か前にも「世界ナゼそこに?日本人」他、数回取り上げられていると思いますので、日本でもかなりの有名人だと思います。
また、2015年には白水社から「カンボジアに村をつくった日本人」と言う森本さんの手になる書籍が出版されています。

森本さんは、6年前から膀胱癌を患われていて、最近では京都の病院とカンボジアを1ヶ月おきに行き来されていて、最後にお会いした2月には恐らく相当具合が悪かったと思いますが、気力だけで懸命に仕事をこなされていました。

私が森本さんに初めてお会いしたのは、2012年2月29日、博物館の敷地内にテントを張って開催された、アキラ氏の亡くなった奥さん・ワットさんの法事の席でした。


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森本さんに初めてお会いしたワットさんの法事の席  森本さんと話しているのがアキラ氏


私は2011年3月からカンボジアに住んでいて、森本さんのお名前は存じていたのですが、お顔は知らなかったので、ひょっとしたらそれまでも日本人会の集まりなどでお会いしていたかも知れませんが、正式に御挨拶したのは2012年のその法事の日でした。
その時の印象は、今でもはっきり覚えていますが、もう完全にカンボジアナイズされていて、まさかアキラ氏と話しているその人物が日本人とは、最初は思いもしませんでした。
それ位、すっかりカンボジアに溶け込んでいる印象でした。

それ以降は、「伝統の森」が博物館から比較的近い事もあって、博物館に来られたお客様を伴って割と頻繁に訪問させて頂いていました。
2013年3月の蚕祭りにも、日本人仲間と一緒に訪問致しました。
その時の事は、先程紹介したブログに詳しく書いています。



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王室の賓客を迎えての蚕祭り

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蚕祭りのファッションショーで挨拶する森本氏


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2013年7月13日、応援団員の後藤夫妻と共に「伝統の森」を訪問




また、私は2014年2月から2年間日本に帰国していましたが、その間の2015年7月15日には、広島県尾道市の向島で森本さんの講演会があって、岡山から駆け付けました。

2016年1月から再度カンボジアで生活する様になってからも、何度か日本のお客様と一緒に訪問させて頂きましたが、その都度、病を抱えながらも己の信念に従って、力強く生きている森本さんから励まされ、刺激を受けていました。

そして、最後にお会いしたのは今年の2月23日、「伝統の森」で行われた歌手の加藤登紀子さんによるコンサートと森本さんへのピアノ贈呈式の場でした。
この時には、加藤登紀子さんとは別に、前日バッタンバンの岩田亮子さんの孤児院「ホープ・オブ・チルドレン」でも演奏会を行った、日本からやって来たグループの「ワールドシップ・オーケストラ」による演奏会も同時に開かれました。
この時は、実は私も体調を崩していて、演奏会の間中しんどくて堪らなかったのですが(後日病院に行って腎臓が悪いと分かり、その後1ヶ月間服薬治療を続けました)、でも、今から思えば無理をしてでもこの日参加していて本当に良かったと思います。だって、これが森本さんとの最後の別れとなったのですから。
この時も森本さんは、本当は相当しんどかったと思いますが、毅然とした態度でお客様にも挨拶され、我々一般聴衆者に対しての気遣いをされていました。


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伝統の森で開催の「村の小学校にピアノがやって来る」の看板


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「ワールドシップ・オーケストラ」の演奏開始前に挨拶する森本氏

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加藤登紀子さんと握手する森本氏


来月には、去年の12月に一緒に森本さんの「伝統の森」を訪問した日本からのお客様が見えるので、又一緒に訪問する計画を立てていた矢先の訃報であり、本当に残念です。
でも、森本さんは、病を抱えながらも最後の最後まで一線を退く事無く、先頭に立って自分のやりたい事をやり通した人生だったのですから、幸福感の内に迎えた最期だったでしょう。
見習いたいと思います。
心より、ご冥福をお祈り致します。



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  1. 2017/07/31(月) 00:49:28|
  2. 人物紹介
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「アキラ地雷博物館への支援を求めて」パート2

7月23日(日)

先月の22日に1人でプノンペンの日本大使館に行った話しは、既に6月25日のブログ「アキラ地雷博物館への支援を求めて」で書きましたが、今回はその続きの話です。

3日前の7月20日(木)に、アキラ氏の最強最大の支援者であり「ランドマイン・リリーフ・ファンド」の設立者であるアメリカ人のビル氏(正確にはウィリアム・モース氏)と、地雷撤去NGO「CSHD」のカンボジア人スタッフであるソーパーリー(正確にはソフィン・ソーパーリー)と私・川ちゃん(正確には川広肇)の3人で、再度日本大使館(正確には・・・やかましい)に出向きました。
私は「アキラ地雷博物館」にとって、あくまで外部のボランティアである為、アキラ氏の今後の具体的な計画や諸々の数値までは把握していませんので、この2人に同道して貰い、2人から日本政府に対して具体的な計画を伝えて貰い、支援を引き出すにはどうしたら良いかを聞いて貰う為でした。
我々に対応してくれたのは、大使館の中の経済協力班の二等書記官の方2名と、現地NGOに対する支援を担う「草の根・人間の安全保障無償資金協力」の外部委嘱員の方1名の合計3名の方でした。この内の2名の方は、前回私がお会いしましたが、もうお一人が新たに同席されました。
お互いの会話は英語だったので、私には殆ど理解出来ませんでしたが、後からビル氏に聞くとかなり良い感触を得た様です。
「グッド・トーキング?」と聞くと、「オー・イエィ.サンキュー」と言っていましたから。

アキラ氏は、NGO「CSHD」を通じての地雷撤去活動、「アキラ地雷博物館」と「リリーフセンター」(孤児院)の運営に加えて、田舎での学校建設(「RURAL SCHOOLS VILLAGE PROGRAM」)にも力を入れていまして、これまで20校の学校建設をして来ていてこれからも建設を続けますが、どうやらその学校建設に対して、日本のODA資金からの協力が得られるのではないかとの事です。
何れにしても、これから申請を上げて10月の決定通知を待つ事になりますが、上手く行く事を祈っています。

そもそも日本のODA資金は、国民の税金でありながら、その使われ用にしばしば疑問の声が上がったりします。
外国のインフラ整備に使われる事が多い様ですが、その支援を受けた外国政府が例えば道を作ったり橋を架けたりするのに、地元住民の意向を無視して経済優先で行う為に、地元住民から日本政府に対して反発の声が上がったりとか。
ですから、その使われ方にも丁寧な検証を行う必要が有ると思いますが、今回のアキラ氏に対する支援は、カンボジアの全ての国民から感謝されこそすれ、誰一人日本政府に対して文句を言う人はいない筈ですから、こうした支援なら大いにやって欲しいと思います。
私としても、何とかこのミッションを成功させる事で、我々日本人が「アキラ地雷博物館」とアキラ氏を応援している事を、これまで以上に内外に広く示したいと強く望んでいます。



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シェムリアップ空港で飛行機に向かうミスター・ビル


さて、ここからはオマケの話ですが、今回はシェムリアップからプノンペンに行くのにビル氏と私は飛行機を利用しました(ソーパーリーだけはバスでしたが)。
私は、これまで7、8回プノンペンに行った事がありますが、いつもバス利用であり、飛行機を使ったのは今回が初めてでした。
シェムリアップからプノンペンまでは距離にして320キロあり、バスだと片道6、7時間掛かりますが、飛行機だとアッという間で、1時間も掛かりません。
料金はバスで往復25ドル前後ですが、飛行機の方は80ドルでした。



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トゥクトゥクに乗ってプノンペンの街を走る


この飛行機で、ちょっとしたトラブル有り。
国内便なので、持ち込み荷物の事は一顧だにしていませんでしたら、何とたまたま他の文房具と一緒にショルダーバッグに入れていたハサミが見つかり没収されてしまいました。
昔、国際線でカッターナイフを押収された事が有りますが、ナイフなら仕方無いにしても、ハサミ位いいんでないの?
ハサミが凶器になると言うのであれば、定規だってボールペンだって、何だって凶器になり得るんでないの?
納得出来ませんが、規則なんで仕方無し。
諦めましたが、勿体無いなあ。普通のハサミでしたからまだいいものの、あれがもっと高価なものだったり思い出の品だったりしたら、悔しくて何日も眠れない日が続いただろうなあ。



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警備に当たる軍人、手には自動小銃が。

それからもう一つ。
空港を出た時、何メートルにも渡って、道路の両側に自動小銃を携えた凄い数の軍人がいるのに驚きました。
何でも、ベトナムの要人が今日プノンペンを訪問するので、その警護の為に駆り出された様ですが、その物々しさに戦慄を覚えました。
警官のピストル位ならまだしも、あの大きな自動小銃を携えた軍人に対しては心底恐怖を感じました。
日本の安倍首相は、自衛隊を軍隊に昇格させる事を悲願としていますが、軍隊は正に暴力装置です。
他国と戦うだけで無く、自国の国民に対する抑圧機能を果たします。
例えば、政府に対して批判的なデモや集会が呼び掛けられた場合、あの銃を持った軍隊が周りを取り囲めば、多くの人は参加を躊躇うでしょう。
正に、憲法で保障された言論の自由、集会の自由の圧殺です。
カンボジアでは、来年の総選挙に向けてあの軍隊があちこちに出没し、国民を威圧する事でしょう。
日本は民主国家だから、自衛隊が例え国防軍という名の軍隊になっても、国民を抑圧する事なんて有り得ないと考える人も居るかも知れません。
でも、それは幻想に過ぎません。
民主勢力を敵視する連中にとっては、政権批判をする人々は正に敵です。
安倍首相が図らずも、東京都議選の応援最中に「安倍やめろ」コールをした人々に対して「こんな人たち」呼ばわりした事が、彼の胸中を端的に物語っています。
こんな首相がもし軍隊を持ったら、あの秋葉原での「安倍やめろ」コールは完全に封殺されていたでしょう。
軍隊に発砲させる事など訳ありません。
相手方にスパイを潜らせて、その人物に騒動を起こさせれば幾らでも取締りの口実が出来ます。
そうなれば、日本でも民主勢力の合法デモや国会前での集会など皆無となってしまい、正に北朝鮮などと同様の独裁国家の誕生となりかねません。
そんな事を決して許してはなりません。

カンボジアの自動小銃を携えた軍人を目の当たりにした時、ついついそんな事を考えてしまいました。


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帰りの飛行機のチェックカウンター



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  1. 2017/07/24(月) 01:01:09|
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帰国中の出来事

7月16日(日) 

3日から11日まで日本に帰国して、主に来年9月に実施する「アキラ氏平和学習講演会」についての打ち合わせをして参りました。
概要が大筋確定し、あともう少しの所まで来ました。
8月になったら正式に発表しますね。
今度の講演会は凄いですよ。
何せ、北海道から沖縄まで全国15箇所で実施するのですから。
来月の発表を、楽しみにお待ち頂きたいと思います。

さて、たった10日間の帰国中に、日本でもカンボジアでも幾つかの重大事案が発生しました。
先ず良い事案は、7月7日に国連で核兵器禁止条約が可決締結された事です。
非常に情けない話ながら、本来先頭を走るべきと言うか、むしろ唯一の被爆国として世界をリードして纏めるべき我が母国日本は、参加していませんが。

カンボジアでも良い事が有りました。
サンボープレイクック遺跡群が、7月10日に世界文化遺産登録されたのです。
訪問記は次の通りです。「サンボー・プレイクック遺跡」探訪記

そして、悲しい出来事も幾つか有りました。
カンボジアで、ポルポト派の文化破壊によって廃れかけていた伝統的な絹織物の技術の復興に命を掛けたあの森本喜久男さんが、7月3日に亡くなりました。
まだ68歳でした。
森本さんの事については、以前ブログで紹介しました「IKTT伝統の森」で行われた第11回蚕祭りが、また改めて書きたいと思います。

日本では、カンボジア同様帰国中ずっと雨でしたが、7月5日には福岡県朝倉市、大分県日田市などが大水害で家屋が流され大勢の人が亡くなりました。
また、鹿児島では11日に震度5強の地震に見舞われました。
その少し前にも、福島、熊本、北海道、長野、大分などで大きな地震が起きています。

世界規模で天変地変、人心攪乱が起きています。
日本でも、安倍政権が迷走を続け、カンボジアでもフンセン政権が来年の総選挙に向けて圧政を強めていますね。
何が真実か、何が正しいか。
私達は、虚言に騙されず真実を見つめ、今こそ社会を正して行く使命を負っています。
ナンチャッテ。
あちゃっ、ちょっと飛躍し過ぎか。





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  1. 2017/07/16(日) 23:47:45|
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一時帰国致します。

7月2日(日)  

昨晩は、親友ソテアレンの従兄弟であり、観光ドライバーをしているソピア(男)
(ソピアと言うのはカンボジアでは男女共通名で、私の他の友人の中にも男女のソピアが何人か居ます)
の赤ちゃんの「出産祝賀パーティ」に招待されて、ソテアレンやソテアレンの親戚と一緒に出席しました。

カンボジア人はパーティが大好きであり、しょっちゅう家に客を招いてパーティと称する飲み会をやるので、今回のパーティもどうせその類だと思って、非常にラフなスタイルで気軽に参加致しました。
ところがおっとどっこいで、会場はソピアの家ではあるのですが、身内を集めての単なる飲み会では無くて、結婚披露宴などと同様に家の外に大きなテントを張って、しかも身内だけでなくて友人、知人、近所の人達が正装して次々と参加しての本格的なパーティでした。
4月にも、ソテアレンのお父さんの65歳の厄払いパーティというのがあって、それも本格的なものだったので驚いたのですが、カンボジアでは他にも婚約パーティとか誕生パーティとか結構一般客を大勢集めてのパーティを実施しています。

そのカンボジアのパーティと言うのは、結婚披露パーティでもそうなのですが、日本の様な儀式的なものでは無くて、開始時間はあるものの客は適当な時間に参加して、適当に飲み食いして、食べ終わったら帰ります。
受付も無く、ただ帰る時に祝儀箱に各々が適当な額の祝儀を入れて帰るだけです。
赤ちゃんの顔見世もありませんし、主催者の挨拶といったものもありませんでしたから、やっぱり単なる飲み会の拡大バージョンといった所でした。
しかし、名目は何であれ、こうして大勢の仲間が集まって親睦を深め絆を強めると言うのは、隣近所の繋がりが希薄になっている日本の現状を考えると羨ましい限りです。
何か困った時には、お互いが助け合う社会でしょうから。
私は、飲むのはあまり好きでは無いですが、こうしたパーティは大好きです。
(アチャッ、又、嘘を言いました。御存知の通り、飲むのも大好きです)


さて、実は私、今日の夜の便で12日まで一時帰国致します。
来年の「アキラ氏平和学習講演会」の打ち合わせをする為です。
5月28日のブログ「アキラ氏日本講演会予告」でもお伝えしました通り、私の残りの人生の中で最大のイベントがこの講演会実施です。
よって、来週のブログはお休みさせて頂きます。
と言いましても、これまで散々勝手に休んでいますので、改めて休むと言われても皆さんにとっては何を今更といった所でしょうが、一応御報告させて頂きました。



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  1. 2017/07/02(日) 13:39:28|
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