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川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

リリーフセンターの子供達と「コッコン」への小旅行

2018年1月21日(日)

毎年のこの時期には、リリーフセンターの子供達の研修旅行(field trip)があり、私も極力同行しています。
これまでもブログで紹介していますが、いつも子供達から元気を貰っています。
     2012年12月16日「モンドルキリ研修旅行」
     2016年2月21日「リリーフセンター研修旅行」
去年はたまたま日本に帰っていた時期だったので参加出来ませんでしたが、一昨年はベトナム、ラオス国境近くのラタナキリ、モンドルキリ方面に行きました。
そして今回は、1月17日から20日までの3泊4日の日程で、タイ国境近くの「コッコン」へ行きました。(実際は、私は19日には皆と別れてシェムリアップに帰るのですが)
「コッコン」と言う地名は一応知ってはいましたが、私にとって行くのは初めて。
そして、この「コッコン」には、何と海がありました。
カンボジアは日本の半分位の面積の国で、周辺をベトナム、ラオス、タイに囲まれています。ですから、海(南シナ海)に面しているのは南西部の極僅かな地だけです。
「シアヌークビル(コンポンソム)」と言う地が海に面していて、リゾート地として有名なのは知っていましたが、この「コッコン」が海に面しているとは全く知りませんでした。


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17日、朝5時にワゴン車3台に分乗して、シェムリアップの別々の場所から同時に出発しました。
2台は30人近くの子供達と子供達の先生のローウィンとチーの男女2名を乗せて博物館から出発。
もう1台はシェムリアップのビルさん、ジルさん夫妻の家から出発。
ビルさんは博物館で英語でガイドをし、ジルさんはリリーフセンターの子供達に英語を教えている人で、又、ネット上に「ランドマイン・リリーフファンド」を作ってアキラ氏の活動資金の大半を捻出しているアメリカ人夫妻であり、この2人無くしてはアキラ氏の活動も立ち行かない位の大きな存在です。
私は4時15分にシェムリアップのビルさんの家に集合と伝えられていたので、4時に住まいのゲストハウスを出てトゥクトゥクでビルさんの家に行きました。
そこには既に、ウェイ、スレイトーイ、スレインの3人の子供達が来ていました。
この子達は、一昨年高校を卒業と同時にリリーフセンターを離れて、今はシェムリアップの大学に通っています。
今回の旅行には、この3人と、後で合流するプノンペンの大学に通っているサーイの4人がOB,OGとして参加しました。
やがてビルさん、ジルさんが起きて来て、その後博物館のスタッフのソクンティア夫妻が幼子2人を連れて到着し計10人が1台のワゴン車に乗り込んでビルさんの家を出発。
途中ソクンティアの奥さんの両親を拾ったので計12名となり、荷物も一杯なのでかなりのギュウギュウ詰め状態。
でもこんなのはカンボジアでは当たり前、と言うよりまだ良い方かも。
しかし、この状態で2時間以上走ったので、車を降りた時には腰や首が曲がったままで正にエビさん状態(どんなんや)・・・暫く元に戻りませんでした。ハハハ
7時半に、コンポントム辺りの河畔で他の2台と合流し、そこで持参の弁当で朝食タイム。
8時に、3台揃って国道6号線を一路プノンペン方面へ向けて出発進行。
ここからは、ウェイ、スレイトーイ、スレインの3人が他の車に乗り移ったので、グッと楽になり、エビさん状態からやっと解放されました。ヨカッター
でも、これよりずっと後に、またエビさん状態を強いられる事になるのですが、それは後程に・・・。

シェムリアップからプノンペンまでの距離が約300キロ。
そのプノンペンの街に入る少し手前を右折して、コッコンに向かいます。
ここからは私にとって全く未知の道
何処をどう走っているのかさっぱり分からないまま、昼食タイムに。
立ち寄った食堂で、ウェイらの同級生でプノンペンの大学に通っているサーイが合流しました。
この子はとっても明るく元気な女の子で、せっせとみんなの給仕をやっていました。

食堂を出た後何箇所か立ち寄り、やがてコッコン州に入り、綺麗な浜辺に到着。
恐らくここまでの距離が、シェムリアップからおよそ600キロ位ではないかと思います。
時間は夕方の5時半。
その浜辺に車を止めて暫く遊び、やがて5台のモーターボートに乗り込んで向かいの島に渡りました。
島の名は、ウェイが言うには「キングアイランド」との事でしたが、後でネットで調べても出て来ませんので、真偽の程は分かりません。
その島の民宿に泊まる事になるのですが、ノーテンキな私はその事を全く知らなくて、私は車から降りた時に写真に夢中になっていた為皆が荷物を持ち出した事に全く気付かず、手ぶらのままモーターボートに乗り込んでしまいました。
15分位で島に到着し、モーターボートから上陸した所が民宿(まあ、船宿ですねえ)で、皆が大きな荷物を持っているではありませんか。その時になって初めてここに泊まるんだと気付いたのですが、後の祭り。
私は、旅の初日は着替えも洗面道具も一切無いまま過ごす事になりました。
ホントにドジな私です。
でもまあ、これ位のドジは私にとっては日常茶飯事なので、まあ良しと致しましょう。

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その島で一泊し、翌18日にはその島から別の島へ渡って海底探検。
ここいらの海は本当に綺麗で、肉眼でも海の底が見えるのではないかと思う位ですが、子供達は救命胴衣を付けて海に飛び込み、水中眼鏡で海の中を観察します。
子供達だけでなく、チー先生など大人も大はしゃぎで、何度も海に飛び込み私に写真を写せとせがみます。
私はデジカメに塩水が掛かっては大変と拒むのですが、あまりのしつこさに根負けし、いつの間にやらバシャバシャと写真を撮っていました。


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10時過ぎに泊まった島に戻り、シャワーを浴びてから車を止めている浜辺に上陸し、そこからコッコン州の他の場所の見学に向かいます。
夕方、「マングローブ・サンクチュアリイ・リゾート」へ。
そこは広大なマングローブの林で、これぞ熱帯とも言うべき場所でしたが、ここでアキラ氏が合流。
アキラ氏は地雷原に行っていたのですが、子供達の為に飛行機でこの地にやって来て、このマングローブ林に颯爽と登場したと言う訳です。
これまで、研修旅行にアキラ氏が参加した事は私が知る限り無いのですが、今回は特別と言う訳でした。
しかし、折角無理をしてやって来たアキラ氏ですが、たった一泊しただけで、私と一緒に翌19日にはシェムリアップに帰る事になるのですが、その話も後程に・・・・。


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その日の夜は、全員で浜辺で22時頃迄楽しく過ごしました。
子供達は日が暮れてもサッカーをする子、集団でゲームをする子、水と戯れる子、カラオケに興じる子、ダンスをする子、それぞれに楽しみ、大人達は缶ビールで大宴会。
アキラ氏もカラオケで何曲か歌っていました。
しかし私はと言うと、ビール片手に皆とワイワイ騒ぎながらも、頭の片隅である事に気を揉んでいました。


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それは、翌日の段取りでした。
実は10日程前に、シェムリアップ在住で日本のテレビ局のコーディネーターをやっている方から「アキラ氏のテレビ取材をさせて欲しい」との依頼を受け、それが旅行中の19日であった事から最初は断ろうと思ったのですが、アキラ氏にインタビューをしにやって来る人が日本のビックネーム2人だった事から、これはアキラ氏の日本でのPRにもって来いだと思い直し、アキラ氏を説得してこの取材を受ける事にしたのです。
そして、19日にアキラ氏とビルさん、私の3人が、シアヌークビルから飛行機でシェムリアップに戻り、午後3時半から博物館においてテレビ取材を受ける段取りだったのですが、何と航空チケットを予約してくれていたスタッフのソーパーリからお昼頃電話が入り、明日の飛行機の出発が3時間遅れると言うのです。
さあ、どうしたものか。
この後、先方のテレビコーディネーターの方やらシェムリアップの空港に迎えに来て貰うドライバーのバーンとの電話対応に追い捲られ、又、翌日になったらなったで次々と困難な状況に追い立てられるのですが、この続きは次回のブログに回します。
日本の超大物2人の名前も次回明かしますので乞う御期待。チャンチャン



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「バンテアイチュマール遺跡」及び「高田晴行小学校」訪問記

2018年1月14日(日) 

正月を挟んだ10日間位は、博物館は日本人客でごった返します。
しかしそんな中、日頃から不摂生な私は喉をやられて声が出なくなり、一番お客様が多いと思われる31日から1月3日までを博物館を休むと言う大失態を演じてしまいました。
その間にお越し頂いたお客様には、本当に申し訳ない事を致しました。
ここに改めてお詫び申し上げます。
てな事を言いながらも、普段もしょっちゅうサボっていますので、お客様には迷惑のかけっ放しなのですが。
日頃からビールで喉を消毒しているのに、声が出なくなるなんて困ったもんです。
その後は、それまで以上にビール消毒に励んでいますが、デヘヘ。

まあ本当は、11月4日頃引いた風邪が中々治らず、30日に一日中喋り続けた為翌日から声が出なくなったのですが、その風邪も、2ヶ月と1週間を要して今月10日頃やっと治りました。
そこで早速その10日(水)の日に、日本から来ていた小林幹二さん、それに元日に誕生祝をしてくれた若者グループの内のソンポア及びダリスと一緒にバーンの運転する車で、旅行に出掛けました。
小林さんは、お会いするのはこの時が初めてでしたが、以前からフェイスブックで繋がっていた方です。
バーンは、アキラ氏の協力者です。

私はいつの頃からか、水、土、日は基本的に博物館を休むと言う週休3日制を採り入れています。
これは、アメリカ人ガイドのビルさんに習ったものです。
もっとも、予約が入ればこの限りでは有りませんが。
そんな訳で、10日(水)は博物館をサボったと言う訳ですが、もっとも日本人客も5日を過ぎてからはぐっと減っていますので、10日もお客様はゼロだっただろうと自分で自分に言い聞かせています。ヘヘヘ

行った先はバンテアイミンチェイ州に在るバンテアイチュマール遺跡。
シェムリアップから北西に車で2時間ちょっと走った先です。
朝9時前にオールドマーケットのタプロムホテル前を出発し、国道6号線をシソポンまで行き、そこから北に走ってちょうど11時に遺跡に到着しました。
バンテアイミンチェイの地雷原には、以前来た事があります
それこそ、このブログの初っ端である2012年7月1日付けの「地雷原訪問」がそれです。
しかし、バンテアイチュマール遺跡に来るのは初めてでした。
この遺跡については色んな人から是非一度見学する様勧められていたのですが、中々機会が有りませんでした。
ですから、本当にラッキーでした。
ダリスやソンポアから、1月10日に旅行しようと誘われて「ああ、いいよ」と気軽に応えていたのですが、行き先は知らなかったのです。

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この遺跡は、12世紀末にあのアンコール・トムを造ったジャヤバルマン7世による建立だそうですが、かなり崩壊が進んでいて、有名な千手観音も現在修復中でした。
しかし、四面仏像は見る事が出来ましたし、また、精緻なレリーフが至る所に施されていて、確かに一見するに値する遺跡でした。


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2時間位を遺跡で過ごした後、道路向かいにある食堂で食事をしながら皆に、「折角ここまで来たのだから、この先にあるであろうアンピルという村の小学校に行こう」と提案しました。
前にNHKスペシャルで見たのですが、あの1993年の総選挙の時にUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の文民警察官としてカンボジア入りし、ポルポト派と思われる武装集団に襲撃されて殺害された私と同郷の岡山(倉敷)出身の警察官・高田晴行さん(当時33歳)の殺害された場所がバンテアイミンチェイ州のアンピルと言う村であり、その地に高田さんの遺族が小学校を建てたと言っていたのを覚えていて、そこに是非とも行きたいと思った訳です。
提案は満場一致で採用され、一路アンピルを目指して出発する所となりました。
食堂で、アンピルまでは約30キロと聞いたので、30分位で到着するだろうと思いながら道の両脇に広がるキャッサバ芋畑を眺めながら未舗装の道路を砂埃を舞い上げながら走ったのですが、行けども行けどもそれらしい小学校には辿り着けません。
あちこちで地元の人に尋ね尋ね、1時間位走ってやっとその「高田小学校」に辿り着きました。
思ったよりはこじんまりした小学校でしたが、2014年4月に完成したばかりとあって、まだ大変新しい学校でした。
校舎の前には慰霊碑も建っていました。
授業は午前中だけだった様で、子供の姿はありませんでしたが、高田さんの名前の付いたこの小学校が存続する限り、この村の人達の間にカンボジアの為に尽くした高田晴行さんの名前は語り継がれる事でしょう。


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17時半頃シェムリアップに戻り、スープチュナンダイの店で夕食を摂った後、カラオケに繰り出しました。
1月1日には声が出なくてカラオケを断念したので、この日はその時の借りを取り返すべく、いつも以上に唄いまくりました。
お陰で、また11日から声が出ません。そんなアホな


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新年の御挨拶

http://akiralandminefree.blog.fc2.com/blog-entry-250.html

2018年1月2日(火)

皆様、新年明けましておめでとうございます。
スオスダイ、チュナム、トメイ。
本年も引き続き、「アキラ地雷博物館・日本人応援団」並びにこのブログ「川ちゃんのカンボジア生活日記」に対する御愛顧、御鞭撻の程、何卒宜しくお願い致します。


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さて、昨日1月1日は、私の64回目の誕生日でした。
例年なら、ソテアレンとその仲間達が誕生祝をしてくれるのですが、今年はソテアレンも仕事が忙しくてそれ所ではありませんでした。
また、アキラ氏も便宜的に1月1日生まれと言うことになっているので(アキラ氏は、生まれて間も無く両親と引き離され、またその両親も5歳の時にポルポト派に殺されているので、本当の生まれた年月日を知りません)、たまにCSHDのスタッフ達がアキラ氏と私の合同誕生祝をやってくれたりするのですが、12月27日に年忘れパーティをCSHD事務所で盛大にやった為、それも無し。
今年はそれらに替わって、私のカンボジアの若い仲間達が私の誕生会を開いてくれました。
8月20日付けブログ「プノン・クロムでの宴」に登場の若者達です。

日本では、正月のこのクソ忙しい時に誰も誕生祝などやってくれませんでしたし、また、年取ってからの誕生祝なんて嬉しくも何とも無いのですが、カンボジアでは違います。
みんなに祝福されて、誕生ケーキのロウソクを吹き消すのは格別です。
よくぞ、ここまで生きて来たと、自らを褒めたくなります。
前には60歳を目標としていましたが、それを達成した今は、72歳を目標としています。
あと8年、頑張って生きようと思います。


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そんな誕生日だったのですが、実は、11月にタイ・チェンマイで行われたランタン祭り見物に行った時に引いた風邪が、かれこれ2ヶ月経とうと言うのにまだ治り切らず、そんな中、晦日の30日に博物館でのガイドが忙しくて朝から声を張り上げっ放しだった所、31日から声が出なくなってしまいました。
日本に帰っていた1ヶ月間も、病院で治療を受け服薬を続けていたのですが、完治まであと一歩と言う所まで行きながらも治り切らず、12月21日にカンボジアに戻ってからも、痰が喉に絡みつき不快だったのですが、31日に完全にぶり返してしまいました。

本当に、今回の風邪はしつこい。

折角10月25日にお寺で厄払いを受けたのに、余り効果が無かった様です。
そんな訳で、昨日の誕生会では、大好きなカラオケに行く事が出来ませんでした。
本来なら、最後にはカラオケに行って〆るメンバーなのに。

年明け早々ついてない。

オヤジの事も気懸かりです。
10月に何度目かの誤嚥性肺炎で入院し、点滴で辛うじて命を繋いでいますが、お医者さんの話ではもう長くないとか。
妹から危ないとの連絡を受け、11月23日に急遽帰国してから少し持ち直して、意識はしっかりしていて話も出来る状態だったのですが、12月21日にカンボジアに戻って来る直前お医者さんには年を越すのは難しいと言われました。
何とか年を越したものの、恐らくもう長くないでしょう。
でも、92歳ですし、苦しんでもいないので、このまま安らかに天寿を全うするものと達観してはいますが。

そんな事もあり、今年は年明け早々落ちつかない気分ではあるのですが、でもそんな事は言ってられません。
何せ、9月には日本での「アキラ氏平和学習講演会」を賑々しく開催するのですから。

2013年の5箇所(京都、大阪、岡山、東京、福岡)での講演会をよりグレードアップし、今回は1道1都7県15箇所での講演会を実施します。
アキラ氏の家族も連れて行きますので、私を含めて総勢7名で日本に渡り、9月1日から30日まで丸々1ヶ月間、北海道から沖縄まで日本国中を駆け巡ります。
私にとって、最初で最後のビッグイベントであり、この成功に人生を賭けていると言っても過言ではありません。
もっとも、それ程大した人生でもありませんが。ハハハ

まあ何れにしても、今年はこの講演会準備に最優先で取り組もうと思っていますので、風邪などにいつまでも負けてはいられません。
オヤジの事も、よくぞ長生きしてくれたと前向きに捉え様と思っています。
講演会が近付きましたなら、このブログや「アキラ地雷博物館・日本人応援団」のホームページで詳細を発表致しますので、お近くの方は是非足をお運び下さい。

最後に、今年1年が皆様方にとりまして素晴らしい年となります様に祈念しながら、今年初っ端のブログとさせて頂きます。
この先、出来るだけ書こうと思っていますが、ちょいちょいサボるかも知れません。
その時には悪しからず、御容赦下さいませ。



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  1. 2018/01/02(火) 19:51:11|
  2. その他
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