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川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

地雷博物館内カフェ建築プロジェクト

2019年8月25日(日)

ここ3、4日、やっと雨季らしい様相を呈していますが、それまで本当に雨が降りませんでした。
雨季にしてここまで降らないのは、正に異常としか言えません。
(もっとも、最近はこうした異常気象が頻発してはいますが)

それが影響しているのかどうかは知りませんが、今年は例年以上にデング熱が流行していて、私の周りでも大勢が罹患しています。
アキラ氏の長女のメタもそうですし、バッタンバンの岩田亮子さんもカンボジア在住11年目にして、遂にその洗礼を受けたそうです。
しかも、岩田さんだけで無く、孤児院の子供たちやボランティアのほぼ全員が罹ったと言いますから、ああ、恐ろしやです。
幸い私の家では、妻も子もまだ生まれてから1度も罹った事が無いそうですが、私は既に2回罹っていますし、この先どうなるか分かりませんので、戦々恐々としています。


さて、今日の枕も含めて、これまで暗い話題が多かったのですが、今回のテーマはやっと明るい話題になりました。
「アキラ地雷博物館」の中に出来るカフェのお話です。
そうなんです、2年前に博物館に新しいモダンなトイレを作って下さった愛知県一宮市のNPO法人「ふれあいサロンさん・さんガーデン」の井浪理事長と坂井田理事のお二人が、この度個人的にお金を出し合って、館内にカフェを作って下さるのです。
昨年8月の爆発事故の後、4ヶ月間に渡る閉鎖で客足の減った博物館に、お客を呼び戻そうと企画して下さり、アキラ氏も大喜びのプロジェクトです。
売上は勿論全額寄付で博物館の収益になり、アキラ氏が強く望んでいる地雷撤去の新チーム結成に大きく寄与するものと期待しています。

その工事が一昨日の23日着工となり、9月、10月の工事を経て、11月7日にオープンする予定です。
そのカフェの責任者はアキラ氏夫人のソカさんであり、カフェでは手作りのパンも提供する予定なので、10月から1ヶ月間アキラ氏とソカさんが日本に渡り、「さんさんガーデン」さん運営のカフェにて経営、接客、パン作りの修行を行います。
地雷撤去のスペシャリストであり、日本の英語教科書にも載っている世界的有名人のアキラ氏が、何と日本でパン作りの修行をするのですから、これはひょっとしたら日本のマスコミが放って置かないかも知れませんね。

このプロジェクトは今年の1月に井浪理事長がカンボジアに来られた時からスタートし、建築業者の選定やら設計、着工時期についてその後何度かの協議を重ねた後、遂に8月23日着工となり、いよいよ本格始動となりました。
これから11月のオープンに向けて、工事の進行と並行して従業員を選定したり、調理道具、食器類、イスやテーブルなどの什器備品を揃えたりと仕事が目白押しですが、みんなで楽しみながらプロジェクトを進めて行き、オープンの日を待ちたいと思います。

さあ皆さん、カフェがオープンした暁には是非とも来館して下さり、アキラ氏の悲惨な戦争体験を聞かれた後で癒やしの一時をお過ごし下さい。


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 これまで、紳助の「世界バリバリバリュー」のDVDを見て頂いていたこの場所が、カフェになります

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    このブルーシートの奥がカフェとなります

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        ここに、カフェが建設されます



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  1. 2019/08/26(月) 21:46:51|
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To Be or Not To Be

2019年8月11日(日) 

本来このブログでは、カンボジアで起きた楽しい出来事を書いて、皆さんの顔をほころばせたい、そう言う思いから始めたのですが、ここの所そうしたネタが乏しく、面白くも何とも無い話しが続いていますが、今回こそ・・・・今まで以上に暗い話、そう、死についてです。
(何じゃそりゃ)

私は子供の時から物事を進める上で事細かく計画を立てるのが好きな性分で、中学生時代なんか中間テストとか期末テストの何日も前から勉強スケジュールを立て、いついつまでに教科書の何ページまでを制覇し、点数は何点を取ると表を作ってそれを机の前に貼り出していました。
しかし、計画を立て終えた段階でほぼ満足してしまい、やってもいないのにやり終えた感に浸ってしまって結果はいつも散々でしたが・・・・(アホでんがな)

それは兎も角、その性格は大人になってからも続いていて、今でも何でもかんでも計画を立てずにはおれません。
その計画の究極的なものが、いつまで生きるかという事です
最期の時を設定する事により、残された時間の中でやれる事、やれない事が明確になり、特にやるべき事を時間軸に沿って書き出して行きます。
私はかつては、長生きにあまり執着していなかったと言うか、むしろ逆でしたので、60歳をデッドラインに設定していました。
そして、それまでにやるべき事を全てやり終えて、死ぬ瞬間に悔いを残すまいと。
ですから、2011年3月(当時57歳)に日本を発ってカンボジアに出て来た時には、こちらでの生活は3年間と考えて、来る前には「自分史年表」と「遺言書」を作成し、又「自分の生きた証」を息子に託そうと、思い出の品々を10個の衣装ケースに整理して、更には葬式の手配(葬儀場、招待客リスト、葬式の時に流す曲、遺影写真など)なんかも全部済ませて来ました。
しかし、そのデッドラインを5年前に既にクリアしてしまいましたので、その後は70歳を新たな目標としていました。
しかし、昨年10月に子連れのカンボジア人女性(未亡人)と再婚し(これも5年前に立てた計画通りですが)、その妻と子に対して新たな責任を負った今は、70歳ではちと早過ぎる(何せあと5年しかないので)と思い、新たな目標を設定する必要に迫られていました。
そして、その目標を設定する上で、余り欲張り過ぎると達成出来ない可能性が高くなり、そうなると死ぬ瞬間に「ああ、もう少し生きたかった」と悔いが残るので、悔いを残さずに最期を迎える為には極力達成可能な目標を設定する必要があります。
と言う訳で、一応75歳を最期の時と設定するつもりだったのですが、でもここに来て、今4歳の娘が20歳になるのを見届けたいとの欲が出て、出来るなら81歳まで生きたいとの思いが強くなり、75歳81歳か、2つの間で心が揺れていました。

そんな最中の今年4月に、私の中学時代からの親友が65歳で逝ってしまいました。
昨年12月に会った時には元気一杯だったので、全く予想もしていなくて大変なショックを受けました。
そして、6月にはカンボジア在住の知人が75歳で突然亡くなり、先週8月4日にはその6月に亡くなった知人と同じアパートの隣の部屋に住んでいた別の知人が、同じく75歳で続け様に逝ってしまいました。
この2人が何歳まで生きるか、私もそれに続こうとの思いがあったので、この2人の死も大きなショックです。

そこで、やはり75歳をデッドラインに設定致します。あと10年です。
そこまで生きたら悔いは無い。満足して死ねる。
そこまでの計画をしっかり立てる事にします。

しかし、まあ運が良ければ81歳まで生きているかも知れないが、仮にそこまで生きてなくても後悔はしない。あくまで目標は75歳で、あとは運次第。
この方針で、これからの人生を歩んで行く事にします。

つまらない決意表明にお付き合い頂き、有難うございました。
謹んで、お礼申し上げます。




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  1. 2019/08/12(月) 15:05:35|
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