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川ちゃんの「カンボジア生活日記」

「アキラ地雷博物館」でのボランティア活動の中で出会った人々のことや、日々の可笑しくも楽しいカンボジア生活を綴っていきたいと思います。

博物館への道程

2019年1月20日(日) 


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      Happy Honeymoon


嫁が、今月4日から1週間、遠くタケオの地からシェムリアップに出て来て、束の間のハッピータイムを過ごしたのですが、我が幸せに留まらず、今月は他人が一杯幸せの瞬間を迎えています。
そうなんです。今は乾季ですから結婚式ラッシュでして、今月だけでも3人のCSHD隊員(地雷撤去チームメンバー)の結婚式があります。
既に2つ終えていて、30日には2013年にアキラ氏と一緒に日本での講演会に連れて行ったアラが結婚致します。
非常に嬉しい事なのですが、反面、財布がどんどん軽くなって行って年金のみが頼りの我が身には・・・・正直、辛いッ


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さて、今日のテーマは上記の前振りとは全く関係が無いのですが、「道」です。
私の住んでいるシェムリアップのゲストハウスから博物館に行くのに、行きは遺跡の中の道を通って行きます。
昔は帰りも同じ道を通れたのですが、2、3年前から帰りは何故か別の道を通らなければならなくなりました。
行きは、国道6号線からアプサラ道路に入り、遺跡チケット売り場やキョンギュー広場を横目に見ながらまっすぐ進むと、遺跡群の道に入る手前にチケットチェックポイントが在り、そこで外国人は遺跡チケットを見せなければなりません。
遺跡チケット代は、一昨年から一日券が37ドル掛かります(カンボジア人は無料)。
最初は私もチェックポイントで、遺跡を管理しているアプサラ機構の職員に止められて、「チケット不携帯の者はここを通さない」と言われたのですが、「私は遺跡を見学しに来たのでは無く、バンテアイスレイに在るアキラ地雷博物館に行くのだ」と言って何とか通行を許可され、それ以降は顔パスで通れる様になりました。


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           プラダック村に出来たチェックポイント


ところが、2、3年前のある日、そことは別にプラダック村にもチェックポイントが出来ました。そして、行く時はそこも通してくれるのですが、何故か帰りは通してくれないのです。幾ら「博物館からの帰りであって、これから遺跡見学に行く訳では無い」と言っても聞き入れてくれず、来た道を引き返して「韓国道路」を通って帰れと言うのです。
理由は、未だによく分かりませんが、まあ、距離的にはさほど変わらないし、実害は無いので指示に従って「韓国道路」を帰る様にしていました。
「韓国道路」と言うのは、正式には何と言うのか知りませんが、7、8年前に韓国政府が整備した道路なので通称「韓国道路」と呼ばれている10キロ弱の道です。
最初の頃はこの道も舗装された快適な道だったのですが、長年の風雪(雪は無いか)と車の重量に耐え切れず、2、3年前からはあちこちアスファルトが破壊されて大穴だらけの危険な道になっていて、特に夜、雨が降っている時などこの道を走ろうものなら、穴の深さが分からずに何度も転倒しかけ、又、穴に溜まったどろ水を思いっ切り顔に浴びる羽目になります。
「ええかげんにせんかい」と何度叫んだ事か。



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カンボジアにはまだまだこうした未舗装か、或いは一度は鋪装してもその後補修していないガタガタ道が数多くありますが、ここは仮にも韓国政府が整備した道路。入り口にも堂々と石碑を建てて「大韓民国が寄付をしたカンボジア・韓国友好道路」と謳っているのですから、「後々の面倒もちゃんと見ろよ」と言いたいです。
何も韓国政府批判をするのが本意では無いのですが、こうした政府間の支援事業の場合、やりっ放しが実に多い。それは日本も例外では有りませんが。
まあ、それはさて置き、この道は出来る事なら迂回したいと思っていた所、古川さんからいい抜け道が有ると教えられました。
この古川さんと言う人は、これまでも何度かこのブログに登場した事がありますが、私より1つ年上のカンボジア在住歴10年の先輩です。
兎に角物知りで、おまけに、この年代の人は私も含めてカンボジア語は殆ど話せないのが普通ですが(勝手に思っているだけかも)、この古川さんだけは例外で、カンボジア語もペラペラの達人です。
その古川さんが、韓国道路を通らず、又チェックポイントに引っ掛からずに帰る事の出来る道を教えてくれました。
それは、博物館から9キロ位南に下った韓国道路の手前1キロ位のプラダック村の中の未舗装道路で、東に行くと一ノ瀬泰造の墓に通じる道を反対に進む道です。


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   左に進むと一ノ瀬泰造の墓方面に、右に行くと東メボン遺跡方面に出られる

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      間道を抜け出た所にある東メボン遺跡
 

私は生来の方向音痴で、こんな地図にも載っていない様な道に足を踏み入れると大抵迷ってしまうので、普通なら決して一人で冒険したりしないのですが、もう2度とあの韓国道路は走りたくないとの思いが強く、意を決しました。
1回目は未舗装の道を抜けた所で案の定逆方向に進んだ為、とんでもなく大回りをする羽目になりましたが、2回目には上手く東メボン遺跡の前に出て、チケットチェックポイントの前を通らずに来た道を帰る事が出来ました。
この東メボン遺跡に通じる2、3キロの道も土埃の舞う砂利道で、決して快適な道と言う訳では有りませんが、穴凹だらけの韓国道路よりは大分ましです。
何で古川さんがこんな道を知っているのか。彼はシェムリアップ在住歴は私より短く、またこんな場所に用は無い筈なのに知っているのですからホントに不思議な人ですが、でもいい道を教えて貰って感謝で一杯です。
この道も、雨季にはどんな事になるのか今は想像も付きませんが、まあ当分この道を帰る事に致します。
我に幸あれ。


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        プレループ遺跡

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         スラスラン

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         バンテアイクディ遺跡




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  1. 2019/01/21(月) 02:12:36|
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博物館、遂にリオープン、イエーイ

2018年12月30日(日)

先週のブログで、12月20日にリオープン予定だったのに開かなかったと嘆いた所でしたが、皆さん、お待たせしました。
遂に、本当に、現実に、閉鎖からちょうど4ヶ月目の27日に「アキラ地雷博物館」が再開の運びと相成りました。
やったぜベイビー!よさこい祭りだ、ソーラン節だ、ああ、こりゃこりゃ。
何のこっちゃ。



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           許可状を手にするアキラ氏

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アキラ氏が、26日の早朝裁判所から呼び出され、正式な許可状を発行されて、そして午後1時にはお坊さんを呼んでオープンセレモニーを行い、お客様を迎え入れる準備を整えました。
そして、翌27日からお客様に入場頂きました。


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思えば、8月27日の爆発事故から丸4ヶ月。
一時は、このまま閉鎖になってしまうのでは無いかと不安になった時も有りましたが、取り越し苦労に終わって本当に良かったです。

これから又一生懸命ガイドに務めますので、皆様、どうぞ博物館に足をお運び下さい。
心より、お待ちしています。

それにしても、年内に解決して本当に良かった~
皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
ヤッホー


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  1. 2018/12/31(月) 01:44:03|
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今年を振り返って

2018年12月23日(日) 

時の経つのは何と早いことか・・・・もう10日後には新年を迎え、私も満65歳(元旦生まれなので満年齢65歳ですが、カンボジア式に数え年で言うと66歳です)。
遂に、高齢者の仲間入りと言ったところです。
もっとも、カンボジアは年中夏なので、正月が近付いていると言う実感は湧きませんが。

今年は何やかや有って、何度も日本に帰りました。
2月と5月と6月と9月と、そして最後が11月21日から今月16日までの計5回も。

何やかやと申しますのは、一つには93歳の父親が5月6日に他界しましたので、それに関連してですが、もう一つは何と言いましても私にとって人生最大のイベントであった日本全国での「アキラ氏平和学習講演会」開催の為でした。
残念ながらその肝心のアキラ氏は、8月27日に博物館で起きました爆発事故により警察に逮捕されると言う信じ難い大事件の為、9月2日から10月1日までの1ヶ月間はアキラ氏は日本に行けずに終わり、私や他のメンバーだけで日本行きを果たすと言う事になってしまいましたが。
でもまあ、既にブログにも書きましたが、アキラ氏不在の中でもそれなりの成果が上がった講演会だったと満足しています。

そのアキラ氏も、9月20日には釈放され、今は通常の生活に戻っています。
只、悲しい哉、「アキラ地雷博物館」がまだ閉じたままであり、「リリーフセンター」の子供達も戻って来ていません。

裁判所の許可が中々下りないのです。
何故下りないのか、詳しい事は書けませんが、アキラ氏が悪い訳では決して有りません。どうか皆さん、お察し下さい。

博物館への警察や裁判所の立ち入り検査もとっくに終わり、既に許可は下りた筈なのですが・・・。
裁判所とアキラ氏側との全ての交渉手続きが終わり、最初は11月初めには開館出来ると聞いていましたが延びて11月中旬となり、次に12月1日となり、更に延びて今度は12月20日、これは絶対間違い無いと思っていたのに、これもダメ。
今は、何日開館と聞いても私自身ちょっと信じられない心理状態に陥っています。
皆さんにも、「開く、開く」と言っておきながら一向に開かずで本当に申し訳なく思っています。
もう私の事を「狼少年」、いやいや「狼老人」、或いは「あくあく詐欺加害者」と言って頂いても結構です。
もう、こうなったら仕方が無い。
「開かぬなら、開くまで待とう博物館」
徳川家康の心境です。
しかし、それにしてももう4ヶ月も閉じたまま。
これ以上となると、私の精神が保ちません。
それで無くとも年を取り、肉体的衰退は勿論の事、気力もどんどん衰える一方でして、日本人応援団の活動も何処まで出来るか分かりません。
ああ、切ない、もう保たない、ああ、イヤだ、イヤだ。
と言いながらも実は、来年、東京中心に5箇所位で講演会をやろうかと密かに企んでいます。
今年、予定していた東京での講演が中止になってしまい、どうしてもアキラ氏に会いたいと仰っていた複数の方々とアキラ氏を会わせる事が出来ていません。
その方々も実は御高齢でして、そんなに先延ばしは出来ないのです。
ですから、何とか来年、アキラ氏を東京に連れて行きたいと思っています。

そして近い内、必ずや博物館も再開出来る・・筈・・ですので、皆さん、どうか今暫くお待ち下さい。



博物館の再開とは全く関係有りませんが、最後に一つ付け加えますと、今月の帰国時に、10月に結婚しましたカンボジア人の妻との入籍手続きを、私の本籍地の市役所にて無事終える事が出来ました。
65歳前に結婚すると、配偶者加給年金が加算されると言うので、今年末迄の入籍を4、5年前から計画していまして、その計画が無事果たせた事に大変安堵致しました。
これも既に発表済みですが、結婚の大きな目的は、カンボジア人妻に私の死んだ後の遺族年金を渡す事でした。
しか~し、つい先頃の新聞記事で、何と日本政府が「外国人労働者の受け入れ拡大に備え、厚生年金の加入者が扶養する配偶者について、年金の受給資格を得るには国内の居住を要件とする方向で検討に入った。2019年度中にも、国民年金法を改正する方針だ」との情報に接しました。
そうなったら、私の結婚の根本目的が覆ってしまいます。
大変なショックです。
折角、当初の計画通り、65歳前の入籍を果たせたと言うのに・・・・。

博物館の事と言い、結婚の事と言い、幸と不幸の波に翻弄され続けていますが、まあ、これが人生でしょう。
負けずに頑張りますです、ハイ。

その妻が、私の誕生日にシェムリアップに出て参ります。
一緒に住む様になるのは1年ちょっと先の予定ですが、10日後に出て来た時にはあんな事もしよう、こんな事もしようと色々計画しているところです。ウフフ。(ああ、気持ち悪い、オマエは変態か・・・。イヤイヤ、遺跡に連れて行くか、気球に乗せるかと考えています)
その時に、博物館が開館していれば是非連れて行こうと思っていますが、さあ、どうなります事やら・・・・。



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  1. 2018/12/23(日) 19:32:25|
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大変嬉しい御報告

2018年11月22日(木)

ブログを書くのが遅れがちになり申し訳無い上に、更にこれから1ヶ月程ブログをサボります。

と言いますのは、実は私、昨日21日に日本に一時帰国致しまして、これから来月15日まで日本で過ごします。
よって、この間、ブログをお休みさせて頂くという訳です。
何だかんだ言って、体の良いブログサボりの口実ですが。


今回帰国致しましたのは、一つは9月の講演会でクラウドファンディングで1万円以上御協力頂いた方に御礼の品(リターン品)をお送りする為と、もう一つは入籍届を本籍地の市役所に提出する為です。
カンボジア人と結婚した事は前回のブログで御報告済ですが、これが今回のブログのテーマ「大変嬉しい御報告」ではありません。


20日の夜シェムリアップ空港をベトナム航空便で飛び立ち、ハノイ経由で21日の朝6時半に関西国際空港に到着。2時間程待って、8時45分発の岡山行き高速リムジンバスに乗り込みました。
乗客は僅か18人です。
私はもうカンボジア在住8年目ですが、未だに殆どクメール語が分かりません。
しかし、私の前の座席に座っている人の会話がどうもクメール語っぼいので、思い切って話し掛けてみると、何とシェムリアップ在住のカンボジア人家族ではないですか。
何でも、岡山のライオンズクラブの招待を受けて、岡山観光に家族4人で来たとの事。
話を聞くと同じ飛行機だった様ですが、その時には会わずに同じ岡山行きバスに乗り合わせて出会うとは、正にこれまで何度も経験した「カンボジアミラクル」日本版。
2012年7月15日付「カンボジアミラクル」
しかし、これも今回のテーマ「大変嬉しい御報告」ではありません。


お待たせしました。
今回のテーマである「大変嬉しい御報告」は、8月27日の爆発事故以来閉鎖になっていた「アキラ地雷博物館」のリオープン(再開)が、12月1日に決まった事です。

アキラ氏は、8月28日に他の2人のスタッフと共に不当逮捕され、その後留置場、刑務所での監禁生活を強いられたものの9月20日には高い保釈金を支払わされはしましたが保釈され、自由の身となりました。しかし、博物館と、併設のリリーフセンター(養護施設)は閉鎖されたままでした。
しかし、こちらも裁判所に何度か呼び出され、更に又安くない金を支払わされましたが何とか再開の許可を受けて、その日が12月1日と決まった様です。
(フェイスブックやこのブログも当局の監視を受けている恐れがある為、保釈金や博物館再開の為の金の事については、余り詳しく書けませんが、何れにしても凄い金額です)
当初、11月の初旬には再開出来るのではないかと聞いていましたが延び延びになっていました。しかし、アキラ氏の指示を受けて今月17日にはスタッフが博物館の掃除に入ったので、今度は間違い無いでしょう。
只、リリーフセンターの再開はもう少し後になる様です。
リリーフセンターの子供達は、今シェムリアップの他の養護施設に振り分けられて収容されていますが、その子達がリリーフセンターに戻って来れるのは恐らく年明けでしょう。
でも、何とその子達の内の5人と、18日にシェムリアップの映画館で偶然にも遭遇しました。
16日から18日までの3日間、シェムリアップの映画館で3年前から恒例になっている「ジャパニーズ・フィルム・フェスティバル(日本映画祭)」(日本大使館や国際交流協会が主催)が開かれていて、3日間で最新の日本映画11本が無料で見れて、私もその内3本見ましたが、18日の日に偶然リリーフセンターの子供5人が来ていたと言う訳です。
リリーフセンターに居たら遠いし、子供達は日本語は勉強していないので日本映画の情報など入らなかったでしょうが、今、たまたまシェムリアップに居るので、何らかの繋がりで日本映画を見ようという事になり、しかもそこに川広が来ていたと言う訳ですから、これも、一つの「カンボジアミラクル」かな。

まあ、何れにしても、博物館、そしてリリーフセンターが近い内に再開の運びとなります事、誠に喜びに耐えません。
これまで3ヶ月間に渡り御心配と御迷惑をお掛け致しましたが、日本の皆様、12月から又博物館に足をお運び下さい。
私も、12月17日以降、ガイドをさせて頂きますので。

カンボジアは、昨日21日から明日23日までがウォーター・フェスティバル(水祭り)で大変な賑わいを見せている筈です。
そして、12月2日(日)には「アンコールワット・ハーフマラソン」(有森裕子さんの「ハート・オブ・ゴールド」が実質的な主催者)が開催され、25日はクリスマス、そして1月1日のワールドニューイヤーと華やかな行事が続き、街もイリュミネーションに彩られ大変綺麗ですし、気候的にも乾季で雨が降らず、朝晩は涼しく、今がホントにベストシーズンです。
是非、この時期にカンボジアを訪問して頂き、そして博物館に足をお運び頂きたくお願いする次第です。




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  1. 2018/11/22(木) 14:15:01|
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結婚の御報告

10月28日(日)

前回の予告通り、今日は結婚報告をさせて頂きます。
ちょうど、フェイスブックに載せた記事がありますので、それを転用致しますネ。(楽ちん、楽ちん)


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(10月6日フェイスブック掲載記事)
誠に唐突であり、多くの女性ファンには申し訳無いのですが(オマエは福山雅治か)、私・「川ちゃん」こと川広肇、一昨日4日にカンボジアで結婚しちゃいました。
10月1日に「日本全国平和学習講演会」を無事終えて1ヶ月ぶりにカンボジアに戻り、翌々日の3日に親友のソテアレン、チャントリア夫妻と一緒にシェムリアップから約400キロ離れたタケオまで行き、4日の日にそこで結婚式を挙げたのです。
セコい話ですが、受け取っている年金の関係も有って、何年か前から64歳の内に結婚する計画を立てていて、今年12月末までに何としても日本で入籍する予定でした。
相手はチャントリアの姉で、子持ちのチェンダ-と言う34歳の女性です。
3年前に結婚したのですが、まだ間が無い時に御主人を交通事故で亡くし、一人で女の子を育てていました。
私が死んだ後の年金を彼女の子育てに役立てて欲しい、そして私の老後の面倒を看て欲しいと言う己の一方的なわがまま、自己満足に付き合って貰って、結婚する約束を取り付けていました。
しかし、シェムリアップに呼んで一緒に生活する様になるのは彼女の子が小学校に上がる時、つまり今から3、4年先なので、今回タケオに行ったのも、11月に講演会の後処理も有って日本に帰国するので、その時についでに入籍手続きをしてしまおうと、必要な書類を受け取るのが目的でした。
元々結婚式は挙げるつもりは有りませんでした。
私も14年前銀婚式を終えた後熟年離婚をしていて今回が2度目となりますし、彼女も再婚で有り、結婚式は挙げ無くてもいいとの事だったので。
しかし、彼女の両親や親戚の人達がすっかり準備を整えてくれていて、4日にはあれよあれよという間にカンボジア式結婚式を挙げたという訳です。
参列者は花嫁の親戚の人達と近所の人達だけでしたが、それでも子供を含めると30人以上居たでしょうか。
私自身予期せぬ事で大変驚きましたが、でもまあ、周りの人達に喜んで貰えてホントに良かったと思っています。
元来、長生きしたい気持ちは余り無いのですが、彼女と子供の為にあと5年は生きたいと真剣に思っている今日この頃です。



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以上が、フェイスブック転用記事ですが、1つ訂正が有ります。
彼女の年齢を34歳としていますが、本当は32歳でした。
カンボジア人は、昔の日本人の様に時々年齢を数え(生まれた時が1歳)で言いますので、最初聞いた時には34歳だったのですが、入籍に必要な書類(独身証明書、ファミリーブックなどで、元々これを受け取りにタケオに行ったのですが)を調べてみると、生年月日が1986年4月20日とあり現在32歳である事が分かりました。
私のちょうど半分です。

「今回の結婚に愛はあるのか」と、人から時々聞かれます。
元々、私の死んだ後の年金を活かしたい、老後の面倒を看て欲しいという身勝手極まりない理由で結婚(日本で入籍)するのであり、また、彼女に初めて会ったのは今から2年前のソテアレンとチャントリアの結婚式の時であって顔もロクに覚えていませんでしたので、愛の芽生える余地など微塵も有りませんでした。

65歳までにカンボジア人と結婚する事だけは決めていたものの、自分で積極的に相手を探す訳でも無く、周りの人間に「離別か死別により、自分一人で小さい子を育てている女性」が居たら教えてくれと頼んでいて、その条件に合ったのが彼女だったのです。
ですから、ハッキリ言ってそこに愛は全く有りませんでした。

しかし、このまま終わってしまうと、恐らく世の女性達から大ブーイングを浴びせられると思うので言っておきます。

「安心して下さい、履いています」いやいや「安心して下さい、今は愛が有ります」。

10月3日に人生で2度目の出会いをし、4日に結婚式を挙げて初めて彼女と身振り手振りで会話(今の所、お互い相手の言葉が分かりません)した時から愛情が湧いて来ました。
愛の評論家として言わせて頂くなら(誰が愛の評論家やねん)「愛とは受け入れるものでは無く、育むものなのです」

昔の日本人、まあ、私の両親世代なんかは多くがお見合いで、中には写真を見ただけで結婚した夫婦なんかも一杯居たんですから。
これからしっかり愛を育んで行きます。彼女と子供を大切に護って行きますので、皆様、どうか暖かく見守って下さい。
と言いつつも、一緒に生活する様になるのはまだ当分先なのですが・・・。


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